今、視てます。
神戸新聞は読んだことないです。
が、素直に皆さんプロでカッコいいと思いました。
始まったときからあの怖さを体験しているので、(視たくない、視たくない…!!)と心との葛藤。
神戸新聞社さんが大きな被害を受け、京都新聞社さんに助けを求めました。
神戸~京都間は高速なら1時間の距離。
ですが、映像でご存じの方もおられると思いますが、高速道路が酷くなぎ倒されていたのです。
、時間だけがただだけが過ぎていく。夕刊発行の締め切りの正午に間に合わず、翌日の朝刊に間に合わすため、カメラマンもライターも関係なく、仕事する。
瓦礫の下から助かる人を撮りたいとカメラを向けたにも関わらず、カメラに写ったのは息を引き取った人。伝えたくてカメラを向けたのに「撮るな」と罵られる…。
それでも泪ながらにカメラを向ける。主人公のカメラマンはやっと現場に出ることが出来たのにシャッターが押せない。局長の口癖である《人間を撮る》。私にも意味は解りませんでした。だけど、局長が言いたかったのは、生の声を写真を通して伝えろ、と言いたかったのでしょう。
局長さんは自分より新聞を待つ情報のない被災者を考えた。
カッコいいと思いました。現場を歩きカメラを向けていたカメラマンと撮れないと葛藤していた主人公たちとの口論。
主人公の前職での同僚との約束も果たせぬままその人の死を知る。
だけど、時間は進んでいく。命は動いている限り人間は生きていく、人は日々を過ごしていかなければならない。
言葉にあったが、被災者の気持ちは被災してみないと解らない。
それは、あの日被災した私にも神戸の人たちに比べれば何も解ってないし、表面でしか言葉をかけられない。
だけど、そのときかけた声はそのかけた人の本音だと思います。
あの日から15年が経った。だけど、神戸の人たちにとって、いや関西の人々にとって忘れてはならないのです。
このドラマを視て私は、改めて、新聞のありがたみや記事を書くことの大変さ、ライフラインがいかに生活に切っても切れない物だと思い知らされました。
ずっとが止まりませんでした。