折ったりちぎったりの手抜きごはん

折ったりちぎったりの手抜きごはん

城西地区生まれ、城南地区在住(同棲中)、 1人で外食するのが嫌いな食いしん坊。毎日手抜きをしながら美味しいものを食べ続けようとしている。愛犬命。

体力おばけの父が救急車で運ばれる→その場で緊急手術→集中治療室→延命治療の書類にサインさせられ覚悟を決める、というあの緊張から約2か月。


最悪の事態は避けられたものの今後も今までと同じ生活が送れるはずはなく。往復3時間かかる隣県の病院での面会、退院後の受け入れ体制の準備、父の会社閉鎖に伴うあれこれ、そして父の説得(これが一番大変)と、まるでこれまでの生活に新たにフルタイムの仕事が加わったかのようなドタバタが続いている。


退院後の問題は山積み。特に今後かかるであろう時間的拘束や金銭的負担を考え始めるとメンタルがやられて日々の生活が回らなくなりそうになる。頭がしっかりしているのは有難い反面、しっかりしているが故の自我に悩まされる場面があまりにも多すぎる。結果、毎日周りの方々に謝ってばかり。素直に施設にでも入ってくれたらどれだけ助かるか…介護ブログでも始めようか…と嘆いても仕方ない。父には教育を授けてもらった恩がある。先の事はなるべく考えずに今出来る事をやるしかない。


正直、このような状況下でのお弁当作りはかなりキツイ。なんなら夕食作りからも解放されたいくらいなわけで、毎朝お弁当箱の中に千円札を入れる衝動に駆られる。だってまさにこういう緊急時にお金に頼れるよう日々がんばって自炊してきたわけだから。


問題は、N氏は私から物は受け取るけれど現金だけは絶対に受け取らないのだ。まだ籍を入れていなくて別財布である事に対する彼なりのケジメなのは十分理解しているけれど、私からすると食材を買っても現金を渡しても銀行の残高が減るのは一緒。実際ワイシャツがへたってきたりビジネスシューズが擦れてきたり下着がヨレヨレになってきたり、共に生活していると気づくことがとても多く、頼まれなくても新調することなんてしょっちゅう。そんな時は「助かるよ、ありがとう」と素直に受け取ってくれるし、起業して会社を軌道に乗せるために日々奮闘しているN氏を陰でサポート出来る事は私としても嬉しい。


ただ、今みたいな緊急時は割り切ってお弁当代を受け取ってもらった方が私としては何倍も楽なのだ。夕食もたまにはウーバーさせて欲しいのに、割高だの配送料がどうだので自分が代わりにお弁当を買いに行くと言う。ちなみに自分が作るとは決して言わないけれど私はそこは問題視していない。


要は、私がサボりたい時くらい自分のお金を自由に使わせて欲しいのだ。だって私にとって、最初から無駄とわかっていながら払うお金は無駄金じゃないから。Time is money.


お弁当を作らないと。夕食を作らないと。これが今の私にとってはプレッシャーなんだと何度話しても「大変な時は作らなくていい」という返事。もちろんそれが本音なんだろうけど、それでは全く解決にならない。自分の収入を抑えて苦しい生活を自ら選んでまで増収増益を追求している人間にそう言われても、私としては「私がサボると相手が目標を達成できなくなる」と自分に鞭を打たざるを得なくなる。N氏が決して贅沢しているわけでも甘えているわけでもないのを誰よりもわかっているからこそ、余計に無理せざるを得なくなる。


N氏は私が自分のお金で自分に何を買おうが一切口出しはしてこない。でもそこに自分がからむと話が変わってくる。つまり純粋に私に余計なお金を「N氏に対して」使わせたくないのだ。たとえば私が友達からお高めのランチに誘われると「いけいけー!楽しんでこいー!」と言う。でも2人の外食となるとB級グルメしか提案してこないし、私が自分が食べたいものを提案しても却下されてしまう。


最近私が食材のお取り寄せに走っているのはキッチンがN氏の管轄外であること、そして外で食べたいものが食べられないことに対するストレス発散。最後に2人でまともな外食したのっていつだろう…


人生で何かを得るには何かを失う時期だって存在するはず。そして現状を打破するために努力しているのは私よりもむしろN氏だということは十分わかっている。今はたまたま私の経済状況が優位なだけで今後どうなるかなんてわからないし、1人なら自由に使えるお金も2人になった以上パートナーの状況もふまえて我慢するのは大事なこと。それが苦楽を共にするということ。頭ではそう思うんだけど…


経営者って聞こえはいいけどホント大変。そして裏方も大変。早く会社が起動に乗ってほしい。これに尽きる。