ちょっと過ぎちゃいましたけど、先日は「かいぬし塾 」でした。
関西ではこれで5回目だったんですけども、皆勤賞の方もいらっしゃって、本当に嬉しい限りです。
やあ、本当にありがとうございます。

専門用語が結構出てきてしまった内容で、いや本当に申し訳ないなと思いつつも、やはり「よく理解しないまま使っている人が多い」というのを見るにつけ、せっかくですので「きちんと知っていただこう」と。
でもでもやっぱり、難しかったのは難しかったかと思いますので「やっぱりわかんなかったわ」という方はですね、是非ともメールなりコメントなりでお知らせいただければ、きちんとお答えさせていただきますので。

内容的には「馴れ」というものが、まず表のテーマとしてありました。
「興奮が高すぎる」「反応が強すぎる」「すごく怖がる・怯える」ていう場合に、さて我々は何をどう考えてやっていけばいいのか?っていう、そういうお話でした。
セミナーに出られた方には散々お伝えしたことですが「条件づけ」や「行動・学習の原理」というものを知らないまま、あの辺のことをやり始めちゃうと、怖いんですよね。
上にも書いた「よく理解しないまま使ってる」というのは、この辺の理解がないまま、ただただ「テクニック」としてだけ「知って」いて、それを使っちゃってるということに対する危惧です。
これは「陽性強化/陰性強化」みたいに「言葉だけが独り歩きしてっちゃうんじゃないか?」という危惧でもあります。

そしてそれは、裏のテーマである「どうなっちゃうんだろう?うふふ…」に繋がるものでもあります。

「I wonder what will happen if...」
(これをやってみたら、どうなるんだろう?うふふ…)

この言葉は、以前のエントリ にも登場した言葉 ですが、本当に僕は大好きな言葉でして。
「行動分析学的ココロ」ってものを、よくよく表しているような気がするなぁと。

そして「プロは結果から区別する。素人は操作から区別する」という言葉も、紹介させていただきました。
こちらは、僕が師事している先生の言葉です。
どちらも「やってみなくちゃわからない」という態度、哲学なのですね。

セミナー中にいただいたご質問への僕の回答が、まさにそうだったわけなんですけれども、覚えてらっしゃいますでしょうか?

 「あるシチュエーションにおいて、私はこんな対応をしてみた。
 私の対応は正解ですか?間違いですか?教えてください」
 (具体的な内容は置いておきます)

このようなご質問に対して、僕はこう答えました。

 「それは次回、同じようなシチュエーションで、
 犬がどう反応するか?ではじめてわかります」

これなんですよね、これ。
「○○という対応をしてみた」というだけで、それが「正しい」のか「間違い」なのかはわからないわけです。
大事なのは「犬がその対応をどう感じたか?」なわけです。
そしてその「どう感じたか?」は、次の同じような状況で「こちらが期待するような反応をしてくれたかどうか?」で、はじめて判断できるわけです。
その結果が出る前に「正しいか間違いか」なんてのは、わからないわけです。
それが「プロは結果から区別する。素人は操作から区別する」という言葉になるわけですね。

「オヤツを使うか?使わないか?」論争みたいなのがありますけれども、あれはそういった意味では本当にくだらないわけです。
結果として「イヌがどう感じたか?」が大事なんですから。
あるいは、またちょっと違う話でいえば「叱るか怒るか」みたいなのもありますね。
あれもくだらない。
今ちょうど、もう一つのブログ「わんこも、そして飼い主さんも」の方で、更新祭(読んでくださいね)なんですけれど、そこにも書いてます。

「褒められたかどうか/叱られたかどうかは、イヌが決める」

「これが正しい褒め方です」なんていったって、イヌがそれを受け取ってくれなきゃ意味がないし、人間様の都合で勝手に決めないでよって話です。
「怒るのではなく、叱るなんです」とか言ったって、イヌがどう感じるかなんてわかんないですよね。

私たちが、イヌに対して「何をしたか?」「何をしているか?」というのは、もちろん大事です。
しかし、それと同じぐらい、いや、それ以上に大事なのは「イヌがどう感じたか?」です。
もうこれは、ごくごく当たり前のことですよね。
誰かとコミュニケーションを取ろうってときに「私はこう思う。それを理解してくれ!」ってやったって、うまくいくはずがないんですよ。
下手をすると「こんなにやってるのに、全然わかってくれない」みたいになってしまう。
そうじゃない。

「相手がこちらのやったことをどう受け取って、どう感じたか?」
「そしてそれを、繰り返し、繰り返し見続ける」

これが大事なわけです。

以前のエントリにも書きましたけれども「行動の問題」というのは、これ「コミュニケーションの問題」でもあるわけです。
関係の問題」と言ってもいいかもしれません。
であるならば、その「コミュニケーション」とは何か?ということを、よくよく考えないといけません。

「イヌに対して、こういう接し方をすればうまくいく」なんてのは、いささか乱暴な話です。
他のイヌはそうかもしれないけれど、目の前のこの子はそうじゃないかもしれない。
「アメリカ人に対して、こういう接し方をすればうまくいく」なんて考え方、多少参考にすることはあっても、まともには取り合わないでしょう?
そんなことよりも「この目の前にいるこの人とは、どうやっていけばいいのか?」って考えるはずなんです。
それと同じことを、イヌ相手にもやりましょうって話ですね。

そして、もう一つ紹介したい言葉があって。

 「自分の思いで相手とかかわっちゃダメなんだ」

これは、僕が先生からダメ出ししてもらったときに頂戴した言葉です。
あるケース(事例)について、先生に色々と話を聞いてもらってたときに、出た言葉。

 「君の思いなんてのはさ、どうだっていいんだよ。
 相手がさ、どう感じたか?が大事なんだよ。
 それを見ていくのが、行動分析なんだ。
 自分の思いで相手とかかわっちゃダメなんだ。
 だから、繰り返しの中で丁寧に丁寧に付き合ってくんだよ。
 それが、行動分析なんだよ」


ガツーン!と来ました。
グサリと刺さったでもよろしい。

やっぱりね「こうしたらうまくいくはずだ」みたいなのは、どうしても思っちゃうんですよね。
長年やってると、ある程度予想もつくし。
そいでもって「ほら、やっぱりうまくいったじゃん」みたいなのが出てくると、自信を持っちゃう。
でも、そうじゃないんだよっていう。
もっと謙虚にならなきゃいけないんだよっていう。
それを僕なんかよりはるかにキャリアがあって、第一線でバリバリやってる先生が言うわけなんですよ。
僕なんかより、きっと「予測」も「予想」も、クリアにできるであろう人がですね「そうじゃない」って言うわけなんですよ。

そしてこれは、この先生だけじゃなく、他の「人の行動の問題、心の問題」と対峙してらっしゃる専門家の先生方に、広く共通してることでもあるんですよね。
みなさん、常に「わからないよね」って立場で続けてらっしゃるんですよね。

「どう?ダメ?OK?」っていう問いかけを、ひたすらに続けていきながら、相手とのコミュニケーションを作っていく。
こちらの思いを相手に一切押し付けることなく、相手の出方をうかがい続ける
これはいわば「わからない」ってところで、考え続けるってことで、それは結構体力がいるんですよね。
でも、本当に本当に大事なことだよなと。


なんか思いの他長くなってしまいました。
ちょっとお知らせしたいこともあったんですけれど、別エントリにしようかな。

ではまた。