I wonder what will happen if...

これは、行動分析家のシドマンが言った言葉だそうです。
意訳すれば、「こんなのやってみたら、どうなるんだろう(うふふ…)」という感じでしょうか。
こういう姿勢って大事だよねというお話。


行動分析とかABA(応用行動分析)って、なんとなく「相手の行動をこちらの都合でどんどん変えてっちゃうぜべいべ」的なイメージを持たれてる方もいらっしゃるような気がするんですが、そうでもないですかね?
あるいは、「動物(人間含む)の行動を、どんどんごりごり変えていくテクニックの集まり」とか、「刺激を与えて反応だけを見る機械的で、冷たい感じ」とか。
こうした批判(意見?)は、これまでの歴史でも結構あった(らしい)のですけれど、一応行動分析家の端くれ(末端の末端だとは思うけれども、そういうことにしておきたい)としては、そうじゃないんだよなっていうね。

まず、「相手の行動をこっちの都合でごりごり変えていく」わけじゃあないと思うんですよね。
よく、「行動分析学は、行動の予測と制御を目指している」と言われたりして、まあ実際そういった面もある(あった?)のだろうと思うんですけど、僕が持ってるイメージ、考えっていうのはそういうんじゃないんですよねぇ。
まあまあ、この辺は、人によって違うでしょうとは思いますが。

んで。
そこで冒頭の言葉。

I wonder what will happen if...


これってば、つまりは「こういうことをしたから、こうなるぜ」ではなくて、「こういうことをしてみたんだけど、どうなるのかな?」っていう態度なんですよね。きっとね。

そいでもって、僕の行動分析に対するイメージも、まさにこういう感じでして。
「行動分析は、行動の予測と制御を目的とし~」みたいなことを言われると、「え?そうなの?」という。
まあ、確かに「予測」はするし、「制御」もするんですけど、「何から何まで操ってやるぜ」というものではなく、「色々環境を動かしたら、行動はどうなるんだろう?」ということを、丁寧に丁寧に見ていく。
それが行動分析へのイメージなんですよね。

つまり…

「ある程度予測はするけど、実際はどうなるかわかんないから丁寧に確かめよう」
「制御するのは、行動というよりは環境」

こんな感じかなぁと。

そして、更に。

どうなるんだろう(うふふ…)」なわけですよ。


んー。
長くなりそうなので今日はここまで。