無事公立高校に入れたは良いものの、やはり入学時は新たに必要なものが沢山あるため費用がかさむ。




新一年生の四月の始めは、高2、高3の学年が上がる時に比べて教科書を買う量が多い。

自分が心配しても全く何の手伝いにもならないのに教科書や必要なもの値段を見て、もうちょっと安くならないのかな、と思う。




これでも大阪府の政府からは助けてもらっているのだ。自分が高校一年生に入る時から、公立高校の無償化が始まったらしい。





親ほどには有り難さは感じていなかっただろうが、この制度が無ければもっと親は金銭的に辛い状況になってたかもしれないから本当に助かった。




親が感じている金銭的な不安は伝わって来る、というよりもそういう話題、もしくは自分が心配を示した時に逆にキレられるからだ。

自分の痛いところを突かれているから仕方ないのかもしれないけど、不安を示しただけで怒られるのは、納得できず自分の気持ちを消化できなかった。






高校に入ると小中学校に比べ、辞典の重要度が増す。

だから各辞典は買わなければならない、それどころか電子辞書を購入するのが普通という雰囲気で、クラスの子でも入学祝いに知り合いに買ってもらったというのを何人も聞いた。




もちろん自分の新しくできた友達の中で情報を得ているから"全員"ではない。でも自分の頭には"皆"こうなのかという印象しか残らない。





どうしても15歳の若い自分にとって、これまで辞書をほとんど使うことなく育って自分にとって、それぞれの辞書を買うことは無駄にしか感じなかった。




[どうしても辞典は全部買わなくちゃいけないですか?]と教師に質問したのを覚えている。



『高校で授業受けるには必要だからね、、、』






兄弟がいたりすれば辞書を使うのは普通という考えも染み込むかもしれないが、やっぱり納得は出来ないな、でも必要なのかと渋々辞書を購入した。たまに物を購入するときは『親のお金』で購入しているという微々たる罪悪感がちらつくときがある。

電子辞書は買わなかった。





周りが持っていると、持ってみても良いかもなくらいの気持ちは湧いてきた。でも少なくとも一万円、色々機能がついて数万円するだろうからやっぱりいっか、と一年時は紙の辞書を使うことに決めた。





新学期が始まって以降しばらくは、

授業で辞書を引いてと言われる時、移動教室の時、

自分の目は、ほんの僅かな羨望と共に、無意識に友達の電子辞書に向けられていることが多かったように思う。