今朝、子供に学校へ行く支度をさせている時、寝室から、鼻をすする音、咳き込む声が聞こえていた。
つまり、バカは起きている。
が、部屋からは出てこない。
恐らく、雨が降っているのは分かっていて、私が「送っていけ」と言いに来てくれるかもと部屋で待っているつもりなのだろうけど。
どうして言われないと動かないのか…
私にとって、言わないと動かないという反応は、「俺様にお願いしなさいよ。お願いされたらやってあげる。」そう言われているような感じがするようになってしまった。
俺様の方が上なんだってアピールしたいのか??この野郎…
恐らく、自己判断不能なだけで、本人にはそんなつもりないんだろうなぁとは思うけど…
長年の積み重ねでね。
じぶんから「やってあげたい」って気持ちはないんだなと実感してしまうと、
ということは?「お願いされたらやってあげてもいいよ。」ってことなのかよ
ってなっちゃうわけです。
いい気分しないから、決して頼まない。
本当にピンチの時は、もしかしたら頼むこともあるかもしれないけど。
とりあえず、頑張ればなんとかなる時は頼まない。
それに先の見積もりがあまり出来ないので、なんとなく、その時の気分で変に手を出されても迷惑だったりするから、言われなきゃ何にもしないなら、そのまま何にもしてくれない方が好都合だしね。
でも、バカのその行動を見て、つくづく考えさせられる。
息子が同じような人間にならないようにするために、何をどう教えればいいのか。
正直、人が成人していたとしても、その人を形作ったのは、幼少期に接した大人(特に親や親に当たる人)の教育なんだから、そこに関わった人には生涯、責任があると思うのよね。
子供が働いてお金が稼げる年齢になって、自分で考えて判断できる経験値も少しずつ付いてきて、そりゃあ、養う義務はなくなるでしょうけれど。
生み出した以上、「はい、もう私は無関係でーす。」っていうことはあり得ないと思う。
だから、私は一生、死ぬまで、チュンが人と関わっていく上で、相手を無闇に傷つけることになったら、「それはダメじゃない?」って意見を言うし、矯正もしていくつもりでいる。
そのために、喧嘩しても断絶してしまうことはないように、「もう、お前なんて知らん!!」ってならないように努力せねば。
ただし、バカ(夫)は、私が生んだわけではなく、教育や矯正をする義理はないし、なんとか私が助けてあげたいとも思わないし、そんな努力、絶対しないけど!!!!!
それは、義両親がやるべきことだ。
子供の頃、ちゃんと息子を観察して、細かに教育を施さなかったことに端を発していることだからね。
どんなに年を取ろうが、自分たちが生み出した宇宙人は、自分たちで調教してくれたまえ。
バカは、苦手なことを努力することをしないばかりか、開き直って「できなくてもいいんだもん」ときている。
さらには、自分から「これはできない」「ここは苦手」と申告することもなく、『俺が出来ないって察しろよ』とまできている。
馬鹿やろう。
自分は他者のことなど、1ミリ足りとて察することができないのに、なぜ、人には自分のことを察せさせるのか。
まあ、これも自己中自分軸しかないから、自分が相手にできていないことなど思考する回線がないからなんだろうけど。
回線がなくても、オキシトシンが不足なく分泌されていたら、他者を大事にしたいって気持ちから、もう少しマシな態度を取れるようになるんじゃないのかなぁ…
私の場合、もうバカへの愛情は枯渇したため、仮にこれでASDの症状が改善されても生涯を共にすることはないけどね。
でも、将来、息子のためには、早くこのオキシトシン経鼻スプレーが治療に使われるようになって欲しいなぁ。
