昨日は運動のお教室で、先生達とマンツーマンで一時間弱しっかり運動。

今日は、連日なのに、早起き、昼寝なしで集中して言葉のお教室。


かなり疲れていたんだと思う…

でも、夕方になって寝そうになってたから、「ちゃぽ(お風呂)するから、寝ちゃダメだよ!」と寝かさずにいたら、癇癪開始。

お風呂も入りたくないアピール。


ママに担がれて、無理やり浴室へ。


頭を洗われて、身体洗われて、湯船に浸かろうとしたら、浴室リモコンの呼び出し音押して、「もう出る!!」アピール…

分かったよ、一瞬だけ浸かろうね、と、抱っこして湯船に入ったら、ギャン泣き。
本当に一瞬で出る。


疲れたんだよね。
なのに、寝ることを許されず(^^;; お風呂に浸かったら、余計に疲れることが分かるから、入りたくないもん!って反応だったんだと思う…

偉いねぇ、がんばったね。
疲れて眠たいのに、一生懸命、ちゃぽ出来たね。
すごい、すごい。


褒めても愚図りは止まらず。



今度、出たら出たで、服を着るのを抵抗(^^;;



もう、何がなんだか、分からんちんな状態だったんだろうな(^^;;


『チュンチュン、そういうのを「疲れた」って言うんだよ。
「疲れた。」だよ。
疲れたねぇ。』


と、言ったら、少し聞いてる感じ。


癇癪、大パニックになるんじゃなくて、「疲れた」って発語できるようになって欲しい。
でも、自分の、この状態を「疲れた」というんだと分かるまでには、あと、何回か、この状態をやらないとダメだろうな…





しかも、この、しんどさが、いつまで続くとか先も分からず、尚更パニックだったかも…


ちょっと私の対応もまずかったな…
可哀想なことした…




「いつも通りのこと、しようね。
ちゃぽから出たら、お洋服着て、寝んねだよ。
さあ、お洋服着よう。」


と、暴れて嫌がるところ、無理やりパジャマ着せたあたりで、少し落ち着く。


あ、パジャマだ。
寝る支度だ。
寝んねなのかな?
って気がついた模様。


チュンチュン、ママに抱っこさせて。
寝んねしよー

と、誘ったら、いつもは抱っこされるのなんか嫌がるのに、泣きながら私のところにやってきた。


やっぱり、疲れて眠いのを、どうしたらいいか分かんなかったんだろうな…


赤ちゃん抱っこして、トントンしてたら、しゃくりあげながらも、あっという間に撃沈…



うーん…
色々難しいな…
本当はこんなに疲れ果てる前に寝させたいけど、なかなかうまくいかないし…

なので、どうせなら、この機会を使って、自分のことを話す練習にさせたいけど、大パニック起こして泣いてるのを見るのもしのびない…(´;ω;`)



運動のお教室で、「自分のやりたいことと他のお友達がやっていることが被っちゃうと、奪い取っちゃうし、ギャーって泣いちゃうし、どうやって『待つ』とか『譲る』とかを教えていったらいいか模索している」って話を先生にしたら、

「思い通りにいかなかった時に自分で自分の気持ちを切り替えて立て直すことができるようになることが大事なので、私達は「ダメだよ」と、先に制したりせずにやっていこうと思っていますが、それで進めていいですか?」

って言われた。

確かに先回りして、「ダメだよ、こうしようね。」って、すぐに周りが手を出しちゃうのをずっとやってると、誰かが促してくれないとできなくなっていっちゃうよね…


それを聞いてから、いつも、チュンが1人になった時、自分のことをよく分かってくれてる人が周りにすぐいなかった時でも困らないように、教えていかなきゃいけないんだなと思って、いつでも考えるように意識しているつもり。


自分の状態を自分で把握することも必要だし、それを言葉に変換することも必要だし、相手に(周りの人に)伝えることも必要。



今回は、疲れるってどういうことなのか、この状態を「疲れた」と言うのか、疲れたと発語してみたらどうなるのか、、、
知ってもらいたかったな…



自閉症の人達は、コミュニケーションを取るのが苦手だけど、でも、それは必要なことで、そこをちゃんと教育しないままに、コミュニケーションが取れないことを、そのまま受け入れてればよいという姿勢は健常者の傲慢だ。って、TEACCHハンドブックって本に書いてあるのを読んで、色々考えさせられた。


人間はコミュニケーションを通して社会を作る生き物だから、「自分の意思を相手に伝える、相手の意思を受け取って理解する」が出来るように訓練していかなきゃいけないんだよね。


でも、何が正しいのか、正解なのか、なかなかクリアには見えなかったり…

日々、勉強だなー。