学生の頃から色んなところでブログを書いていたんだけど、ここが一番長いかな。
文章書くこと自体は苦じゃなかったので、自分用の備忘録も含め、そのとき色々思ったことを書いてました。
学生生活も全部終わり、博士号を取ったまでは良かったんだけど、それまで研究やプライベート生活でも、ずっと緊張や我慢を自らに課していたつけが回ってきたのか、就活をする段階でもうヘトヘトでした。

だけど、博士を取ったら簡単には就職できないなんて誰にも言わせないぞ!って気負って本当にやりたいと思ってもいなかった他分野の大学発のベンチャー企業になんとか就職。
でも、それがある種の転換期といいますか…

他分野で勝手が分からず猛烈な勉強が必要だったのに、すでに疲労感があり、やりたいと思っていたことでもなかったので全然勉強も進まず…
そのベンチャー企業にいた先輩から社員全員の前で数時間こき下ろされること、毎週。
夜8時から深夜12時近くまでその先輩に足止めされ、2人っきりの状態で罵詈雑言。

それが1年近く続いたら、自分にまったく自信がなくなり自尊心の欠如から自殺願望が。
ご飯も思うように食べられなくて、日々辛いだけでした。
そんな辛い生活をやめたくて、辛いと思うのは自分の心の問題なのかもと、心療内科に通うようになり、抑うつ神経症と全般性不安障害と診断され、周りの優しかった先輩方に勧められて休職。

良くなり悪くなりを繰り返し、、、
まあ、そんな状態の時では何かを選択しなければならない時に正しい選択なんて到底できないもので。
最低な男に何人も捕まってしまい、警察のお世話にならなければならない状況にも陥りました…
その暗い生活を当初はここで、別のタイトルでブログにしていたのですが、間違った選択肢の1つで、ほんの数ヶ月彼となっていた人からこのブログを監視されているようだったので記事を非公開にして閉鎖状態でした。

でも、いつまでも引きこもっている訳にもいかないので、外に出て人と話すことが問題なくできるようになったところで再就職先を探し、コネを頼りに以前研究していた分野に近い業種に就職できました。
でも、心の支えが欲しくて、大事にしたい人がいたらいいのにとSNSを使ってお見合いをしたところで、今の旦那さんに会いました。

鬱は寛解するまでに揺り戻しがあって、症状が良くなったり悪くなったりを繰り返しながら総合的には徐々に快復…ということがよくあるのですが、私もこの質で、ぶり返して悪くなった時には、仕事もやめて部屋に籠り、もうすべてをやめてしまいたいと切に願うことは変わりませんでした。
だけど、当時は彼でしたが旦那さんの支えに自分もなりたいという気持ちも一方にはあって、自分が落ちている時に彼も調子が悪くなってしまったら、一体誰が彼を支えるんだろうと考えていました。
いつまでも自分が病気のままでいたら彼が疲労していく一方で、私と一緒にいることを選んだがために不幸な日々に巻き込んでしまうなんてことはしたくないし、自分が疲弊して具合が悪くなり、それがどれだけ自分を惨めな気持ちにさせるかということを思い知っている分、彼が万が一、同じ気持ちに陥った時に寄り添って「大丈夫だよ」と言える強さを持たなければダメだと強く思うようになり、揺り戻しの辛い時期にも辛さを受け入れる考え方を調整し続け、やっと暗い霧の中から這い出すことができました。


もう、それはそれはしんどい道のりでしたが、そこを乗り越え、それ以上私も病状が悪化することなく寛解、彼もとりあえず元気なままで、私たちは2014年6月に結婚いたしました。
結婚すると今度は新しい家族問題が私の頭をもたげ、もう、子作りするにはあまり時間が残されていないので、プレッシャーと焦りを感じながらの生活です。
子供がいないからといって不幸になるわけではないし、子供がいればオールOKという訳でもないし、もっと人生を総合的に見つめようとは思いつつも、他人の妊娠出産の知らせに羨ましさと焦りを感じまくりの日々を今は過ごしております。
主婦となった今では、妊活や毎日のお料理を頑張っている同じ主婦という立場の方々のブログを読んでは励みにしていますし、お友達になれたらいいなぁと思っています。

私たちはすでにおじさんおばさんの年齢ではありますが笑、まだ新婚ですし、これからは、旦那さんとの日々や、縁あって今させて頂いてる仕事で使った知識を忘れないための自分の備忘録として、また、仕事は少し医療系であるので健康ネタなど、自分で面白いなと思った物等を記録していく予定です。