ということが無意識だけど深い意味を持つ。物事の変化というものもこの「土着である」ことに寄る、つまり自然の摂理なのだろう。
結局は文化も社会も「土」が作っている。土着なのである。オーケストラもその場所の土が作る個性に寄る、その土の上にいる人間が作る音で成り立っている。
時代とともにいろいろな物が改良されてどこに行っても似たような物を見る世の中。土着に染まる時間もないまま次々と変化をしていく。それでも根底には脈々と流れる土着の文化がある。
海外での伝統の文化にドップリ浸かった生活の中で若い自分はヨーロッパ人になったような感覚にもなった。また日本での生活に戻りあのヨーロッパの生活でも脈々と「土着・日本人」が自分の中に流れていたことを日本の土の上で再認識した。
ドイツ人と一緒に醤油の海でコロコロしたシャリの真っ黒になった巻き寿司は…実は美味かった。土着とはそういうことなのかもしれない。