仏教の教えだと思いますが、他人は自分の鏡、という言葉はビジネスの世界、日本では文化的に教えられている事だと思います。
これは感覚的には分かることで、自分が不機嫌にしていると、周りは寄ってきませんし、自分に対しても良い態度では接してくれないことが多いです。
自分が明るく朗らかにしていると、周りも優しく接してくれて、周りも明るく良い雰囲気になるものです。
陛下が即位成されるときに、三種の神器を引き継ぎます。
その中に、八咫鏡、というものがあります。
天照大神が、邇邇芸命が天孫降臨するときに授けたと言われている鏡ですが、天照大神が天岩戸から出てくるキッカケを作ったという言い伝えがあります。
この鏡は、知を表すそうですが、なるほど、自分が行う事が鏡の様に他人に反映されるのですから、知を持って、懸命に行動する事が大切なのだと思います。
ところが現代社会を見てみると、自分に対して何か悪い事があると、直ぐに訴えたり、SNSで誹謗中傷したりで、全く思いやりととか優しが見受けられません。
平成の30年間で心が荒み、そんな余裕がなくなってしまった、のかもしれません。
上記の様に、他人が自分の鏡になっているという発想がありませんから、強硬な手段に出ることにより、その気が更に悪くなり、世の中に広がっているような気がします。
明治維新以降、いや、もっと手前の大東亜戦争後、日本的な文化がドンドン無くなっていき、他人を思いやる気持ちが、だんだん薄れてきているようにも見えます。
考えてみたら分かる事だと思いますが、冷たく当たれば、他人は良い気持ちはしませんよね。
その人は私と今後は付き合いたいと思いませんでしょうし、一緒に仕事なんかしたくはないでしょう。
正に、自分が起こしたことが自分に返ってくる、という事ですね。
日本は資本主義社会ですから、ある程度は収入を得るための活動をしなければなりませんが、そればかりに捉われてしまうと、自分自身が殺伐とした人間に成ってしまうのかもしれません。
お金に捉われると、いつも神経がピリピリして、他人を思いやる余裕がなくなります。
最近は本当に、そういう人が増えている様に感じます。
給料は増えないのに、物価高や年金問題で、私たちは大変な思いをしています。
行き過ぎた資本主義体制が、この殺伐とした社会を作り上げています。
平成の初めに、小泉・竹中内閣から始まった、自由経済主義により、格差が広がり、人々は余裕が無くなってきているのでしょう。
私たちはそんな中でも、心の少しのゆとりを求めて成長していく事が必要なのかもしれません。