死生観という単語を調べてみますと、色々と難しい事が書かれています。
物凄く単純に言うと、死と生についての自分なりの考え方、となると思います。
生きる事、死ぬこと。
本当に奥が深い事柄ですが、私たちは今生きていて、これから先、何時か必ず死ぬのですから、各自の死生観というものは持っていた方が良いだろう、と思う訳です。
私は、50歳を過ぎた位から、死について頻繁に考えるようになりました。
おそらく、単純に歳を取ったからだと思います。
死については何も知識がありませんので、色々な本を読みます。
一番多いのは、医者が書いた書籍が多いでしょうか。
これは多分、医者が最も死に対して真正面から立ち向かっているからだと思います
医者にも色々と分野がありますが、特に心臓外科やガン治療、脳関係の医者は、患者の死を最も多く観る存在だと思います。
今思ったのですが、私はこのコロナ騒ぎで、医者が儲け過ぎだと考えていましたが、いつも人の死に直面しているのだから、多少は儲けてもしょうがないかな、と感じています。
それでも、やはり尊い仕事ですから、それなりの道徳的な活動に徹してもらいたい、という感情も持ちます。
またふっと思いましたが、こんな低劣な考えしか出来ない、と自分を恥ずかしくも思いますが、多くの人がそんな考えを持っていると思います。
生死を、お金勘定で考えるからいけない、と思います。
そう考えると、私たちはこれから死に向かっている存在として、どう生きれば良いのか。
その一つの答えとして、社会があると思います。
自分が死ぬときに、自分がどうありたいか。
自分が死ぬときに、自分がどうあったら満足、不満が残らないか。
と、考えます。
私が思うに、ひとえに社会にどれだけ貢献できたか、という事も一つの指標になると思うのです。
私たちは、今生きている時でさえ、誰かに優しくしたり、誰か助けるという社会貢献をする事で、何とも言えない満足感を味わう事が出来ます。
死ぬときと言うのは、その積み重ねの結果だと思うのです。
その積み重ねが多ければ多い程、死ぬときに不満が残らない、と思うのです。
まあ、こうやって話していて、綺麗ごとだな、なんて思ったりもします。
でも現実的には、多分そうなんだろうな~~、とも思いますし、んんん~~~、今回は本当に難しいテーマを選んでしまいました
この様な問題は答えが無いですから、それこそ死ぬまで考える事なのかも知れませんね。