先日、こんな記事を読みました。
「親が残してくれようとしている家(実家)は、ボロボロで古く、残してくれても解体で大変だから、資産でもなんでもない」、と。
これ、あなたはどう思いますか。
これは私の個人的な考え方ですが、親が残してくれたものを金額ベースで考えるべきではない、と思うのです。
確かに、古くて解体にはお金が掛かるかもしれませんが、少なくとも土地は残ります。
それよりも、その人が幼少期に育った家ですから、大切な思い出があると思いますし、今の自分があるのはその家で親が育ててくれたお陰です。
私は、資産価値には色々な考え方があると思います。
資本主義経済での資産価値と言うのは、換金性でしょうか。
私も仕事上、物件を購入する際にはこの換金性は重要視しています。
所謂、一般的に言うところの資産価値ですね。
私が何故、この意味で言う資産価値を重要視するかというと、それが仕事だからです。
私の仕事は、この様な収益物件を購入し、それを必要な方に賃貸して収入を得ています。
だから、この意味での資産価値を重要視します。
それでは、相続により何かを譲り受けるもの、特に実家に関してはどうでしょう。
先ほど述べたように、換金性も確かに悪いよりは良いに決まっていますが、自分が育った実家ですから、その人には換金性以外の価値があると思うのですね。
維持するのにお金が掛かり(固定資産税や庭や建物の維持費など)、そのせいで生活するのも大変だ、というなら売れば良いのではないですかね。
私は、これが今の実態なのかな、と少し寂しく思います。
要は、何でもお金ベースで物事を考えているのですね
気持ちとか、思い出とか、家族とか、血の繋がりとか、そういうものを一切考えていない。
高度成長期が終わったころから、核家族化が進み、子供たちが、自分は自分、親に面倒は掛けないが面倒も見ない、という、寂しい社会構造になりました(偏見化も知れませんが、私はこれも国際金融連合の仕業だと思っています)。
核家族化が進むと、住宅がもっと必要になります。
住宅が余計に必要になりますので、家具や自動車などの生活必需品も余計に必要になりますよね。
ものを売る企業には良い事ですが、一般的にはどうですかね。
こんなことを最近、考えるようになったのですが、この核家族化に私自身もどっぷりハマってしまっているので、本当に恥ずかしい限りです。
時間は掛かるかもしれませんが、もっと暖かく人情味の溢れる人に成ろうと思いますし、私の家族を始め、私の周囲の人のために、そういう環境づくりに尽力出来たら、と思う今日この頃です。