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天地温古堂商店

歴史、人、旅、日々の雑感などを徒然に書き溜めています。読み物が中心です。表現の自由度を高めるために、です・ます調でなく、である調を使っています。そこにみなさまの目に止まる、心に残る何かがあれば幸いです。どうぞお立ち寄りください。

大河ドラマのことである。

あるプロデューサーが大河ドラマをヒットさせる秘訣について話している。

やっぱり一言でいうと、いい本(脚本)ができた時ですね。
本がよくなかったら全部駄目。
初期の時代は別として、あとはね、大河っていうのはそんなに大物を持ってこなくてもいい時代が続いたんですよ。
例えば織田信長ってのは、いい役に決まってるじゃないですか。だから新人もってきたって、この役者は織田信長やるんだからいい役者に違いないと思って見てくれるわけ。
つまり役者では視聴率を稼げない。まずどんな本を作るか。
作り手の情念がその本にいかにね、伝わってるか。それを演じる役者がノってやるか。
それを見たお客さんがノってくれるかっていうような本を作ってなきゃ。
本が全てです。


そう語ったのは、元NHKプロデューサー・澁谷康生氏。
手がけた主な大河作品は『おんな太閤記』、『徳川家康』、『いのち』、『春日局』など。

4度にわたり大河ドラマの制作にたずさわったレジェンドの「本が全て」の一言は千鈞の重みがある。

澁谷氏がいう

作家の情念がその本にいかに伝わってるか。
それを演じる役者がノってやるか。
それを見たお客さんがノってくれるか。


という成功の法則を、実感したドラマが私にはある。

2016年の大河ドラマ『真田丸』だ。

『真田丸』の主人公は、真田信繁。
幸村の名で有名な戦国終末期の悲運の天才武将だ。
しかし、知っての通り、このドラマの影の主役は、その父・真田昌幸であることは間違いない。

表裏比興の者

と評された狡猾な謀略家である。

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大河ドラマ『真田丸』 NHKオンデマンドより


真田昌幸を演じたのは、草刈正雄(1952〜)。

草刈さんの次のひとことは、奇妙なほど澁谷氏のいう大河ドラマ成功の法則に合致している。

ホンのお陰でいまの僕がある。
完璧な台本のなかでは、役者はそこで生きればそれでいい。


そう言うまでにいたる彼の俳優人生は試行錯誤の連続だったようだ。
ひょっとしたら立ち直れないほどの挫折や屈辱や苦悩の日も少なからずあったのかもしれない。

草刈さんはモデル出身である。
私は今でも彼がテレビに登場した頃を覚えているが、おそらく現在も含めてもっともイケメンな芸能人だ。

彼が世に出たのは1970年。
資生堂MG5 ブラバスのコマーシャル。
ご記憶の方もいらっしゃるだろう。

草刈さんは劇団出身ではないし演技を学んだ経験がなかった。
彼はテレビコマーシャルの撮影の中で、女性と肩を組むことや芝居の演出に戸惑ったようだ。その戸惑いが、芝居への興味に変わっていったことはむしろ自然なことで不思議ではない。
彼は売れっ子モデルから俳優に転身した。

私が草刈さんを俳優として初めて観たのは大河ドラマ『風と雲と虹と』(1976年)の鹿島玄明役だ。
その翌年にはドラマ『華麗なる刑事』に出演。田中邦衛の相棒刑事を演じた。
全くタイプの違う二人が、コンビを組んで事件を解決するアクション刑事ドラマで、草刈さんはエンディング曲も歌った。
都心の高層ビル群をバックに、「高速道路をゆるやかに〜ひとつ季節がすぎてゆく〜」とささやくようなソフトな歌声がいまも耳に残っている。

とにかくスタイルもマスクも抜群の草刈さんは、映画『復活の日』、『汚れた英雄』とたてつづけに主演。
いっぺんにスターダムをかけあがった。

 

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草刈正雄 西日本新聞ウェブサイトより


その実、草刈さんは大の時代劇好きである。小さいとき、母親に連れられて東映の時代劇をよく観にいった。

中村錦之助
大川橋蔵
大友柳太朗

草刈さんは銀幕の時代劇スターに魅了された。
とくに中村錦之助(萬屋)の『風雲児・織田信長』は忘れられないという。

彼の大きな節目となった作品は1985年のNHKの新大型時代劇『真田太平記』である。

考えてみれば、この作品は草刈さんにとって運命的な作品である。
なぜなら、この作品がはるか31年後の大河ドラマ『真田丸』へと繋がっているからだ。

NHKは1983年の『徳川家康』を最後に近現代モノへのシフトを決定する(4年後に歴史モノに回帰)。
そこで、NHKは従来の大河ファンのために、水曜日の夜に新大型時代劇を持ってきた。
その第二弾が『真田太平記』だった。

当初、草刈さんは『真田太平記』にキャスティングされてはいなかった。
まず、主役は真田昌幸になる。
プロデューサーがオファーしたのは緒形拳(1937年生)だった。
最初は、緒形も乗り気だったので、幸村(信繁)役は若い役者を考えたという。
世代でいえば渡辺謙や中井貴一あたりか。
しかし、緒形は懇意にしている今村昌平監督のつくる映画に出ることになってしまう。

プロデューサーは配役を白紙に戻し、あらためて昌幸役を丹波哲郎(1922年生)に決めた。
丹波もこの役はやりたかった役らしい。

こんな役に入れ込むのは初めてだよ

と言っていたし、原作者の池波正太郎に電話で頼み込んだという噂もあった。
丹波が昌幸となると、その息子である信幸(信之)や幸村はそれに合わせて若手では厳しくなる。
そのため、二人の息子の配役も丹波に合わせて年齢を上げることになった。
期せずして、兄・信幸に渡瀬恒彦、弟・幸村に草刈正雄がキャスティングされたのだ。

運命のキャスティングだった。

草刈さんは父親役の丹波に圧倒された。

現場での記憶といえば、丹波さんの存在感に始まり丹波さんの存在感に終わる。豪快かつ楽しそうに演じる丹波さんのオーラは圧倒的でした。

とかくセリフ覚えについては、噂のある丹波ではあったが、草刈さんの見た丹波は違っていた。

台詞は見事に体に入っていて、そのうえで融通無碍に演じておられた。
丹波さんの真田安房守昌幸、じつに魅力的でした。


そう言っている。
『真田太平記』は全45回、一年間にわたる大長編だった。
そこで真田昌幸演じる丹波哲郎に接し、みずからは幸村を生きた。
得るものは大きかったに違いない。

私はこのドラマを観ていたが、日大芸術学部を卒業して、みずから劇団『サンシャインボーイズ』を立ち上げたばかりの三谷幸喜も大好きで欠かさず観ていたという。

 

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『真田太平記』の丹波哲郎と草刈正雄 NHKオンデマンドより


草刈さんにも斜陽の時代があった。
30代になったころ、役どころがどんどん小さくなっていったという。
イケメンだけではやっていけなくなった。
しかし、草刈さんはどんな小さな役でもいいから、この世界にしがみつこう、役者を続けていこう、と思ったという。

そんなとき、声をかけてくれたのが大女優・若尾文子だった。
彼女は彼を舞台の世界に誘った。

草刈さんは舞台で、台詞の大切さを知った。

「人が何を考えているか」。

共演者たちの魅力を観察しながら、そして自分の台詞を何度も言いながら、「この人物はいま、何を考えているのか」、一歩引いて見られるようになりました。
よく、観ろ。よく、聴け。
舞台が僕に教えてくれました。


草刈さんが、ホンのお陰でいまの僕がある、と断言するのは、彼の役へのアプローチと大きな関係があるようだ。

彼の役作りはこうだ。

まずは、とにかく台詞を体のなかに取り込む。ホンを何度も、何度も、読むんです。それから台詞を発酵させる。(略)
うまく発酵して自分のなかに自分の地酒ができるような頃には、台詞が自分の細胞になっている。(略)
細胞になった台詞と自分のなかでキャッチボールをしていると、ふとした拍子に過去の記憶が蘇ることがあります。
記憶に命を吹き込んでくれるもの。それが、名台詞かもしれません。(略)

いかにして役をつくるか。これは、いかにして台詞を生きるかと同じだと。


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真田太平記の縁が真田丸で二人をつなぐ(写真は三谷幸喜) シス・カンパニーウェブサイトより


2014年、草刈さんは61歳になっていた。この年の舞台は三谷幸喜作品『君となら』だった。
この公演のさなか、草刈さんは三谷からオファーを受けた。

再来年、大河ドラマをやるんですが、出てくれませんか?

しかもその役は、真田昌幸。
『真田太平記』ではみずからは幸村を演じ、そして丹波哲郎に圧倒されたあの真田昌幸を、今度は自分が。

三谷は草刈さんの心を見透かすように、

僕もあのドラマ、大好きで見ていました。丹波さんを超えましょう!

と言った。

草刈さんは『真田丸』で昌幸を演じたとき、撮影現場で丹波哲郎に支えられたという。

『真田丸』の撮影に使われたスタジオは、『真田太平記』と確か同じでした。

だからでしょうか、待ち時間にスタジオの隅で座っていると、丹波さんが上から降りてくるような気が何度もしたものです。

お前、この役ちやんとやれよ。俺が本当に愛した役だからね。ちゃんと、ちゃんとだぞ

という声が聞こえてくるわけです。あの声で。あの笑顔で。

草刈さん演じる昌幸の台詞で、

わしは勘で生きている

というのがあったそうだ。
草刈さんは自分にもそういうところがある、という。
三谷氏がすぐれた脚本家であるのは、そういう台詞を書くことだろう。

山田太一は、その役者でなければその台詞は吐けない、そういう人物を書くと言った。つまり役者はその役を演じるというより自分の心からその人物の言葉を吐く、そういう台詞を書くということだろう。
倉本聰も、その役者と頻繁にコミュニケーションをとって、私生活で考えているまたは考えていそうなことを演じる人物の台詞に入れたという。

草刈さんにとっての真田昌幸はそんな役だったのではなかったか。

真田昌幸は、表裏比興の者と呼ばれた。

史料のなかの昌幸は、こんな男だ。

執念深くて、領土に執着の強いことは無類であった。
利にさとくて反覆の人であった。
信義の観念などさらにありそうになかった。
戦争には強かった。
徳川家の大軍を上田の小城によって前後2回とも散々に打ち破っている。
軍略の人ではあったが、政略を含む知略の人ではなかったと思う。


史伝作家・海音寺潮五郎氏はそのように評している。
その人物を、三谷幸喜はその本(台本)で一発で私たちに示してくれた。
草刈さんは、それを体に染み込ませ発酵して、イタコの口寄せのように自然と体が答えを出した。

 

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『真田丸』で真田昌幸を演じる草刈正雄 デイリースポーツウェブサイトより


私にとって、大河ドラマの黄金時代は、大河を見始めた1970年代前半から1990年代初めにかけてである。
しかし、『真田丸』(2016年)はどうも違う。

私は、第一話からグッとハートをつかまれてしまった。そのようなことは数ある大河ドラマの中でも、おそらく『真田丸』だけかもしれない。
表裏比興のドンピシャぶりに、私は度肝を抜かれた。

第一話「船出」。
真田家の家族会議のシーン。

真田昌幸(草刈正雄)
長男・信幸(大泉洋)
次男・信繁(堺雅人)
昌幸の妻・薫(高畑淳子)
昌幸の母・とり(草笛光子) ほか

真田昌幸を筆頭にその子・兄の信幸と弟の信繁、昌幸の妻、母らが揃っている大広間。

織田信長勢が甲州に攻め込んでくると聞き、みな心配の様子。


いったいこれから武田のお家はどうなるのです?

昌幸
案ずるな


織田はほんとうに攻めてくるのですか?

信繁
母上はもう逃げ支度をされているようですよ。

昌幸
それは気が早いのう。


笑いごとではありません。

昌幸
確かにいま、この地は三方の織田方の軍勢が囲んでおる。
まあ、話を聞け、新府城はこの真田昌幸が知恵の限りをつくして築いた天下に聞こえた名城じゃ。
この新府こそもっとも安全な場所じゃ。


とり
わしは真田の里に帰りたい。こんなところで死にとうない。

信繁
ですから、いま父上が申されたではないですか。ここが一番安心なのです。

昌幸
安心せい、この真田安房守がいる限り、武田が滅びることは決してない!

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大河ドラマ『真田丸』第一話のワンシーン スポニチアネックスウェブサイトより


次のシーン。
別室に昌幸と信幸・信繁の兄弟。
武田が滅びることは決してない!と断言した、その舌の根もかわかぬうちに、昌幸が息子たちにこのひとこと。

武田は滅びるぞ

信幸
えぇっ?

昌幸
むろんぎりぎりまでわしが食い止める。しかしそれにも限度がある。

信幸
それだけ織田勢の力は強いということですか。

昌幸
強い。長篠の頃の比ではない。
(略)
わしはこの城を捨てることにした!


『真田丸』がおもしろいことを、そして、真田昌幸がどういう男であるかを、この二つのシーンだけでわからせてしまう本の力に、私はこころよい感動を覚えた。

作家の情念がその本にいかに伝わってるか。
それを演じる役者がノってやるか。
それを見たお客さんがノってくれるか。


とは、このことをいうのだろう。

草刈さんは、生涯一番の作品について、明言している。

大河ドラマ『真田丸』の昌幸役は、長年のファンばかりでなく多くの方々が受け入れてくれるきっかけになりました。
僕の役者人生で、迷うことなく「一番」といえる作品です。仕事を続けてきて40年以上経たうえでなお、集大成といえる作品に恵まれたのですから、これ以上の幸せはありません。


そうまで言い切った草刈さん。
大河ドラマ『真田丸』は草刈さんにとって、間違いなく人生の転機であった。
ときに草刈正雄、64歳。

考えてみれば、いま、私もその地点に立っている。
人生、まだ捨てたもんじゃなさそうである。


※CS放送『チャンネル銀河』にて2026年4月3日(金) 午前4:00からスタート。

以降、平日の同時間。全50回。



【参考】

草刈正雄『人生に必要な知恵はすべてホンから学んだ』(朝日新書)

春日太一『大河ドラマの黄金時代』(NHK出版新書)

海音寺潮五郎『武将列伝 戦国終末篇』(文春文庫)