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天地温古堂商店

歴史、人、旅、日々の雑感などを徒然に書き溜めています。読み物が中心です。表現の自由度を高めるために、です・ます調でなく、である調を使っています。そこにみなさまの目に止まる、心に残る何かがあれば幸いです。どうぞお立ち寄りください。

脇役

『広辞苑』を引いてみると、

劇または劇的発展で副次的な役割をつとめる役

とあって、まことにそっけない。

思いつくままに箇条書きすればこんな感じだろうか。

⚫︎映画、ドラマ、演劇などで主役を引き立て、物語の深みを増す役割をもつ人
⚫︎登場シーンやセリフは限られるが、物語の成功に欠かせない重要な存在
⚫︎良い脇役が配置されることで芝居の質が向上し、作品を成功にみちびく

脇役という定義はほとんどない、と言っていいほど広い。
とはいえ、少しばかり私の思索を綴りたい気持ちでいる。

それはこの言葉を聞いたからである。

父は、個性豊かで気難しい主役を安心させられる数少ない役者で、主役の動きを決して邪魔せず、横で微笑んでいた。


そして相手が芝居をやりやすいよう、相手を際立たせるような絶妙な演技をした。


普通なら、最後の局面で相乗りして自分の手柄にしたいところを、一歩引いて、しかもそのまま消え入るのではなく、存在感を小粋に残す。

 

それこそが父の技術であり、最大の魅力でもあった。


そして、父が映されるシーンでのアップショットは、時間が短くともユニークな説得力にあふれていた。


父は、そんな面白みのある演技で作品をきっちり引き締める、唯一無二の役者だった。

父を語ったのは、堺正章。
その父とは、コメディアンで喜劇俳優の堺駿二(1913〜1968)だ。

堺駿二は1968年にお亡くなりになっているから、私は彼をあまり知らない。

しかし、子が語る堺駿二は、脇役の見事なまでの手本だと、私は惚れ惚れする思いがする。

 

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そろいの衣装で父駿二さん(右)と親子共演をした堺正章 東京新聞ウェブサイトより


映画全盛の時代。
堺駿二の脇役ぶりは映画各社で重宝され、役者が特定の配給会社の専属だった時代にあって、異色の存在だった。
とりわけ東映でのエピソードは、脇役の良き哲学のようなものが感じられる。

かつて東映には二大巨頭がいて、勢力を二分していた。

市川右太衛門
片岡千恵蔵 

の二人である。

市川右太衛門と片岡千恵蔵は、ともに東映の創立に参画し、その黄金期を築き上げた大黒柱の一人だ。
その影響は、単なる人気俳優の枠を超え、経営面、制作面、そして東映のブランドイメージ確立に大きく貢献。
なにせ二人は東映の取締役なのである。

市川は『旗本退屈男』、片岡は『いれずみ判官』、『多羅尾伴内』の当たり役があり、ほとんど世代でない私でもお二人の映像を見ている。

その両者が率いる二つの派閥に東映内ががっちり分かれていて、撮影所内ではその御大ふたりが絶対に鉢合わせしないように細心の注意を払っていたという。

そんな派閥間の確執があったにもかかわらず、堺駿二だけは、どちらの御大とも仲がよく、両方とお付き合いをすることを特別に許されていた。
 
御大ふたりから可愛がられるなんて、他に誰もいない。駿ちゃんだけや。
駿ちゃんは別格のすごい人やで。


そう撮影所のスタッフは評判だったという。

主役がスタアと呼ばれた時代。
市川も片岡も、自分の脇役として堺駿二を必要としていたのだろう。

⚪︎相手が芝居をやりやすいよう、相手を際立たせるような絶妙な演技をした。
⚪︎普通なら、最後の局面で相乗りして自分の手柄にしたいところを、一歩引いて、しかもそのまま消え入るのではなく、存在感を小粋に残す。それこそが技術であり、最大の魅力でもあった。
⚪︎そして、映されるシーンでのアップショットは、時間が短くともユニークな説得力にあふれていた。


この言葉だけでそのまま、「脇役」の意味として辞書に載せることができる。

堺駿二の子でだれもが知る堺正章さんは、多芸の人である。
ミュージシャン、俳優、司会者、コメディアン…。
1970年代の正月の恒例番組かくし芸大会で観た、さまざまな名人芸には驚かされたものだ。
タレントとひとくくりにするには失礼なほど多才な人である。

長く芸能界のトップシーンを走ってきた堺さんは、父の役者としての生き方に忸怩たる思いを抱いていたと思われる。
それは次の言葉で見てとれる。

バイプレーヤーだった父の芸には、前で演じている人を後ろからニコニコ見ているスマートさがありました。
そのスマートさが、小さかったころの僕には不満だった。「もっと前に出てよ」と思ったものです。


しかし、年を経るうちにこう思うようになった。

「やるだけが芸じゃない、やらないのも芸」と気づいたのです。人の邪魔をせず、なおかつ存在はちゃんとある。

これは前出した「最後の局面で相乗りして自分の手柄にしたいところを、一歩引いて、しかもそのまま消え入るのではなく、存在感を小粋に残す。」と同じ意味だろう。

いずれも宝箱にしまっておきたいような言葉だと思う。

私は、遅く生まれてきたために、堺駿二を知ることはなかったが、おそらく、同じにおいをもつ四人の役者には間に合っている。

伴淳三郎
伊東四朗
由利徹
左とん平

由利徹は生涯、コメディアン・喜劇俳優をまっとうした人だ。
彼も堺駿二に似た脇役の信条を持っていたように思う。

共演の多かった俳優・左とん平は言う。

由利さんはシリアスな芝居をやらせても上手い役者なのに、照れるんだ。
だから、あまりやりたがらない。
泣かせるような場面でも「ここで泣かせればいいのにな」と思うようなところで、サラっと行っちゃう。


それは照れ性だからなのか、主役を立てるためなのか。
おそらく両方なのだろう。

 

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由利徹(右)と左とん平(中) BS12ウェブサイトより


そういう左とん平本人も、自分は脇役という自己規定を持っていて、その信条をこう言っている。

脇役はでしゃばっちゃいけない。
そのことは体に染み付いているんですよ。
舞台で一番大事なのは去り際。お客に「もうちょっと見たいな」と思わせるくらいがちょうどいいんだ。
自分の芝居が終わったら後は任せるって言うね。


ひとことで言えば

引いて、輝く

それがすべてではないが、間違いなく脇役の一典型である。

***

本稿の主題も、また曖昧だ。
それが脇役か、という点景を追っているだけである。
したがって、話があっちこっちに飛ぶが、ご寛恕ねがいたい。

私が十代に観たテレビドラマ『前略おふくろ様』は、いまも忘れられないドラマだ。

主人公は、山形出身の若い板前サブ、主役は萩原健一、ショーケンである。
私はこのドラマほど、すぐれた魅力ある脇役の集まったドラマをほかに知らない。

梅宮辰夫
桃井かおり
室田日出男
川谷拓三
丘みつ子
坂口良子
小松政夫
大滝秀治
北林谷栄
加藤嘉

古今東西、よくぞこれだけ個性的な役者を集めたというキャスティングであった。
とくに室田、川谷は悪役、殺され役として出演していた東映ピラニア軍団のメンバーで、テレビドラマにあまりなじみのない役者さんだった。

ここでは川谷拓三(1941〜1995)についてふれる。

 

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川谷拓三 高知県立美術館ウェブサイトより


12歳のときマーロン・ブランド主演の映画『乱暴者』を観て俳優になることを決め、18歳でエキストラ要員として東映に入った。
彼は大部屋役者となり、それは17年間も続いたという。
好遇か不遇かといえば不遇だろう。
食ってゆくのも大変だったと思う。
しかし、彼は腐らなかった。

そんな不遇のなかで、自分だけにできる演技を目指した川谷さんは、ヤクザ映画で、より過激な芝居に挑戦していった。
あるときは火だるまになり、あるときはビルから飛び降りたり。

ご子息の証言によると、

父は、酒を飲んでヤクザとケンカすることがありました。その時の相手の口調や殴り方、殴られ方を手本にしたため、リアルな演技ができたのです。

という。
もうこれは狂気に近い。
川谷さん自身も言っている。

無理な注文に駆り立てるのは、僕自身の狂気でもある。この狂気が消えた時、僕の役者人生も終わると思っている。

それは彼の必死懸命の〝居場所〟さがしだったはずだ。
私はその頃の川谷さんを知らない。
知っているのは『前略おふくろ様』のあとからだ。

川谷さんは『前略〜』で、深川の鳶職「渡辺組」の若衆、利夫役を演じた。
室田演じる小頭の部下で、江戸っ子気質で荒っぽい面もありつつ、人情味のあるキャラクターを熱演し高い評価を得た。

 

※『前略おふくろ様』川谷拓三出演シーン

のりじんさんYouTubeより


川谷さんについて、脚本の倉本聰はこんな配役のエピソードを語っている。

倉本氏は、あるとき東京でタクシーに乗った。その時の運転手が一見してヤクザみたいな運転手だったという。


やだなーと思って乗っていたら、突然そのヤクザみたいな運転手が、ひどくやさしい口調で話しかけてきた。
それでなんか変に感激しちゃったんですよ。
その表面的に見えてるものと全くアンチのものが内面にあると、こんなに面白いことかっていう気がして、そのそれをヒントにしましたね。


それで室田、川谷といったピラニア軍団の一見して凶暴そうな連中に、善人を演らしたいと思ったという。
『前略〜』で、倉本氏は川谷がいままで持っていたコワモテの、凶暴そうなキャラとは反対の、善人の、気の弱い、気の優しい男の役を演じさせたのだ。

 

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ドラマ『前略おふくろ様』の川谷拓三(左) チャンネル銀河ウェブサイトより


川谷さんは『前略〜』で、世間に発見された。

おそらく、NHKの制作者も観ていたのだろう。
すぐに大河ドラマ『黄金の日日』に出演が決まった。
役どころは、織田信長を火縄銃で狙撃する鉄砲の名手・杉谷善住坊。
主人公・呂宋助左衛門の親友で、お人よしな面もあるが、最後は信長の怒りに触れ、のこびきの刑で無惨な最期を遂げるという壮絶な役である。
人の好い善住坊の凄惨な処刑シーンは当時、高校生だった私は鮮明に覚えているが、私だけでなく全国の視聴者に衝撃を与えたことは間違いない。

『前略〜』での善人の、気の弱い、気の優しい鳶職の利夫。
それまでのヤクザ映画の過激な殺され役。
二つを合わせたような、杉谷善住坊。
間違いなく大河ドラマ史に残る脇役であった。

 

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大河ドラマ『黄金の日日』の川谷拓三(中央) NHKアーカイブスより


そんな川谷さんの脇役として、見逃すことのできないエピソードがある。
俳優・石坂浩二氏の証言である。

石坂氏は、映画『ビルマの竪琴』(1985年)で川谷さんと共演した。

主役の水島上等兵に中井貴一
小隊を率いる井上隊長に石坂浩二
川谷さんは伊東という軍曹を演じた。

川谷さんは、役柄や芝居のことを誰かに相談することなく、自分なりの解釈で、物静かで芯のある軍曹を演じ切ったという。

以下は、石坂氏の証言だ。

小隊のみんなが寝ているシーンを撮っていた時のことです。
1人が突然、立ち上がりました。
台本にそんな描写はないので、市川崑監督はカットを入れ、理由をたずねると、その役者は、「トイレに行く感じで立ち上がった」と説明するのです。
「そんな必要はない」と市川監督は、怒っていました。

それから数日後にみんなでお酒を飲む機会がありました。
その時に川谷さんがくだんの役者に対し、

映画はおまえのためにあるわけじゃないんだぞ

とたしなめているのです。
それを聞いて僕は、作品に対する彼の思いを感じました。

この映画は一つの部隊に焦点を当てているので、誰がメインということはありません。
川谷さんは、中井君に帰国を説得する重要な役でしたが、それも1人ではなく、何人かの隊員と説得に行っています。

役者として少しでも目立とうとする気持ちもわからなくはないですが、川谷さんは、そういうことをする作品ではないとちゃんと理解していたのです。


シーンによっては主役が脇に回ることもあろう。脇役だって、セリフのないシーンだって、もっといえば映っていないシーンだって、すべて必要とされているのだ。
役者が目立つために作品があるのではない。
川谷さんは、つねに作品というものを心底に置いて仕事をしていたことがわかる。

***

堺正章さんは役者としての父・駿二さんの生き方についてこう結んでいる。

単に演じることが心底好きで、きっと芝居さえできればどんな場所でも、誰が相手でもよかったのだ。
だから、命をかけて「居て居ぬふり」ができたのだろうし、その立ち位置から否応なく人を魅了する魔力を持ってもいたのだ。


一方の川谷さん。
道徳の教科書に『踏まれてタンポポ』という文章が載っている。
これは川谷さんが役者について書いたメッセージだ。
その一節にこんな文章がある。

どんなに小さな役でも、そこに自分の役者生命のすべてを賭ける、決して器用とはいえない僕には、このようなやり方が一番合っているのじゃないかと思っている。
今、やっとここまでき、僕の役者生活をふりかえってみると、ずいぶん長い道のりだったように思える。
役者という家業が、本当に好きだったから、どんな苦労にも耐えられたのだろう。
踏まれても、踏まれても諦めずにコツコツと努力していれば必ず光は見えてくることを僕はこれまでの人生の中で教えられた。


二人とも、ただただ、役者が、芝居が、演じることが好きだから、命をかけて、自分がその居場所に居続けられるように、このように生きたのだろう。

私が追いかけた脇役の点景などは、その答えからすれば、小さな、ごく当たり前な、光景にすぎないのかもしれない。

堺駿二さん、川谷拓三さん。
奇しくも同じ54歳で亡くなられている。

お二人の遺されたものが、世代を越えて語り継がれんことを切に願う。

【参考】

堺正章『最高の二番手』(飛鳥新社)

週刊現代プレミアム『脇役稼業』(講談社)

DVD『前略おふくろ様』(VAP)