三角大福
と聞いて、ただちに何のことかわかる人は、昭和世代の方か、かなりの政界通だろう。
もちろん和菓子のことではない。
1970年代に総理大臣となった三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫の名前の一文字を取って表した言葉である。
総理大臣と言葉
について少し考えてみたい。
考える、というよりは、こんなことがあったというほうが当たっている。
私が若いころ、桜井長一郎という芸人がいた。
いまは、モノマネという芸でくくられているが、氏の芸を当時は
声帯模写
といった。
テレビの普及から、真似るのは声だけでなく仕草やパターン、思想まで及ぶようになり、多様化した芸をモノマネというようになった。
桜井師の十八番は、映画俳優と政治家だった。
とりわけ、くだんの三角大福は桜井師のおはこ中のおはこだった。
とくに田中角栄、福田赳夫、大平正芳の三人のものまねは、芸人だけでなく私ら素人も日頃の冗談や余興の席なのでやった記憶がある。
なぜ、この三人が多くの人にものまねされるのかといえば、三人が総理大臣になったのが同じ時期だったのもあろうし、三人のキャラクターがかなり異なっており、かつ、強烈だったからではなかったか。
テレビ全盛期だったというのもあったかもしれない。
しかし、多くに共有されたワケは、彼らの特徴のある話し方であろう。
国会答弁や演説のとき、それは顕著にみられた。
話をするとき、必ず話の継ぎ目というのが生まれる。ふつうは息つぎを入れて次にいく。
三人には三様にこれに特徴があった。
まず田中角栄元総理は、浪曲師のようなだみ声で、
まあ、そのー
まあ、このー
を頻発させた。
第64・65代内閣総理大臣 田中角栄 Wikipediaより
福田赳夫元総理の場合は、つぎの言葉に行く前に息を吐くように語尾をのばして、
ふーふーふー
はーはーはー
とやったものだ。
第67代内閣総理大臣 福田赳夫 首相官邸ウェブサイトより
大平正芳元総理になると、言葉を発する前に、
あー
うー
という独特のうなり声を発した。
そのため、アーウー宰相という異名で呼ばれることもあった。
あるテレビ番組では、あのー、えーと、といった言葉について取り上げ、言いたいことは決まっているが、どう表現すればいいか考えているときにこの言葉を使うと考察していた。
この歴代総理大臣三人も、次に話す内容を考えるための時間稼ぎとしてこの言葉を使っていたと思われる。
言葉をつまらせずに、相手に発言を割り込ませさないようにしつつ、頭の中で次の言葉を選ぶ。
言葉を選ぶ時間を確保することで、軽率な発言や不用意な断定が避けられるのだ。
つまり、「まーそのー」や「はーはー」や「あー、うー」は、失言を防ぐ智慧なのである。
とくに、大平元総理の「あー、うー」に代表されるあいまいとも取れる語り口は、激しい外交や政争の中でも敵を作りにくくする智慧だったのだ。
第68・69代内閣総理大臣 大平正芳 Wikipediaより
証言がある。
大平元総理の娘婿で秘書をつとめた元衆議院議員の森田一氏は、大平氏の答弁や演説のときに発した「あー、うー」には理由があったという。
それを次のように言っている。
大平は自分の発言が日本、全世界にどういう影響があるかを考えた上で初めて一言を発していた
実は、大平氏本人も、はっきりこう言っている。
私は戦後でいちばん長い間、外務大臣をやらせていただきました。
私に質問が集中いたします。その人に答えなければなりませんが、外務大臣の答弁というのは、ワシントンもすぐキャッチしております。
モスクワも耳を傾けております。
北京も注意しているわけでございまするから、下手に言えないのであります。
そこで、あーと言いながら考え、うーと言いながら文章を練って、それで言うクセがついたものですから、とうとうそういうことになったのでございますが、私は悔いはございません。
もう間違いない。
その当時(1978〜80)は、当然、SNSもないし、衛星放送もまだなかった。
しかし、大平氏は自分の発言について、そこまで深慮し慎重を期していたのである。
おそらく、田中角栄氏も福田赳夫氏も同様だろう。
総理大臣の言葉は、それ以外の人の言葉とは明らかに別物である。その任にある者のみ特別な意味を持つ。
国の最高の立場にある人の言動と個人の信条とは、あくまで分けて考えなければならない。
と言ったのは、名官房長官といわれた後藤田正晴氏である。
政治というのは、美学ではない。徹頭徹尾、実学である。
とも言っている。
駟(し)も舌に及ばず
覆水盆に返らず
綸言(りんげん)汗の如し
いずれも、発言(失言)は取り消すことができないという有名な格言である。
「駟も舌に及ばず」は論語の言葉で、駟とは四頭立ての馬車のこと。
古代中国では四頭立ての馬車が最速の乗り物だったが、それをもってしても、失言には追いつけないという意味である。
過ちをあらたむるにしくはなし
という言葉が論語にある。
消費税3%の時代が続いていた1994年。
細川護熙総理大臣は、消費税を廃止し、新たに税率7%の福祉目的税を創設する構想を唐突に発表した。
この構想に対し、武村正義官房長官は強く反発し、この言葉を使ったのである。
過ちを犯したと気づいたら、自分の面目や他人の目など気にせず、ためらうことなく改めるべきである、という意味だ。
武村氏の発言は、細川総理との間に亀裂を生じさせ、両者の関係が急速に冷却化するきっかけとなった。
詳細は他に譲るが、その構想は与党内で意見が合わず白紙撤回となった。
政局的には失敗かもしれないが、論語のこの言葉のもつ浄化作用や国民の受け止めへの影響は少なくない。
これも言葉の智慧というべきであろう。
総理大臣のひと言に全世界がきき耳を立てている(首相公邸) 時事通信ウェブサイトより
言葉には、魔力がある。
あくまで一般論だが、
この人
という言葉と、
こんな人
という言葉がある。
「この人」は、対象を特定して指す客観的で一般的な表現である。
「こんな人」は、話し手の感情的な評価や、不満、軽蔑、批判といったネガティブなニュアンスを含んだ表現になる。
そのこと
という言葉と、
そんなこと
という言葉がある。
「そのこと」と「そんなこと」の言葉は、話している内容や状況に対する話し手の距離感や評価を表すときに使うが、当然両者はそのいずれもが異なっている。
前者は、話し手と話題との距離が近く、共有された認識がある場合によく使われ、客観的で話題をそのまま取り上げる場合が多い。
後者は、話し手から話題への距離が遠く、共感や理解が薄い、あるいは否定的な感情がある場合によく使われ、
あの程度のこと
大したことないこと
予想外のこと
といった、話し手の主観的な感情が込められていると解釈されている。
言葉は、相手に届いて初めて成立するといっていい。
届いた相手の気持ちは当人のものであって、他者のものではないだろう。
話し手が、それは誤解(相手の理解に誤りがある)とはちと傲慢にすぎるだろう。
三角大福の時代といまでは、時代が違うということも言えるかもしれない。
時代には時代に合った言葉があるのかもしれない。
見方を変えれば、そうした後世に教訓となる言葉を遺された方々はすべて、過去の時代の人々だし、歴史の中の人物だ。
ただし、歴史の中の人物の言葉は、単なる言葉ではなく、もはや「智慧」なのではないか。
言葉が智慧になった瞬間に、それは時空を超えて、いまの世にあって生きて現代人の道標にもなり戒めにもなる。
いわんや国の最高の立場にある人をや。



