帝国から日本国へ~歴史をプロセスで見る大切さ~ | 天地温古堂商店

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歴史、人、旅、日々の雑感などを徒然に書き溜めていこうと思います。どうぞお立ち寄りください。

先日、NHKドラマ『憲法はまだか』を見た。



いまのことはよくわからないが、私が子どものころの歴史の授業では、時間がたらなくて近現代まで行かず、西南戦争あたりで3学期が終わる。
帝国憲法にも日本国憲法にも到達しない。日本国憲法は、政治経済の授業でやったのではないか、と言われればその通りなのだが、憲法の基本原理「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」と三権分立くらいしか記憶にない。

 

そんな初心者の私が、『憲法はまだか』を見た。
面白かった。

 

戦争が終わった。
いまは、戦後70年余がすぎている。戦争の歴史的意味も一応は定まっている。
しかし、ドラマの世界では、終戦の2か月後だ。東京裁判もまだ始まっていない。
東京に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が設置され、マッカーサー元帥が着任。
日本は独立国でなく、連合国の占領下にある。

 

その気分で、見た。

 

さて、『憲法はまだか』(作・ジェームス三木)はNHKが日本国憲法公布50周年を記念し、1996年に放映。
日本国憲法制定までのいきさつや、草案をめぐって、政治家、GHQ民政局、憲法学者たちが繰り広げた舞台裏の駆け引きを再現している。

 

第一部は、象徴天皇。
第二部は、戦争放棄。

 

憲法とは、国の成立に係る統治の根本規範となる基本的な原理原則に関して定めた法規範で、国民が憲法で国家権力を制限するものととらえられている。

 

教科書には書いていない、学校でも教えない、新憲法制定までの紆余曲折があって、本当に興味深かった。

 

 

ときに総理大臣は、幣原喜重郎
外相は吉田茂。厚相、芦田均。
幣原内閣は、憲法担当大臣に松本烝治国務相を指名。ドラマでは津川雅彦が熱演した。
ドラマは、約180分にわたる長編だが、松本烝治がナビゲーターのようにして、物語が進む。

幣原内閣は、終戦の年の10月26日、政府に憲法問題調査委員会を設置。松本が中心になって憲法草案(松本試案)を作りはじめる。
一方、近衛文麿公爵(元首相)は、帝国憲法改正要綱(近衛私案)を作って天皇に報告。
松本は政府と異なる動きに不快感をあらわにする。

 

政府も近衛も、最大の主眼は天皇の規定だった。

 

政府の草案である松本試案の天皇条項は、こうだ。

 

第一条 日本国は君主国とす
第二条 天皇は君主にして此の憲法の条規に依り統治権を行ふ

 

新憲法案は、天皇主権だ。
帝国憲法の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と変わりがない。

 

そして第二章は、「臣民の権利義務」。臣民という言葉が用いられている。第三章は、「帝国議会」。政府が提示した新国家日本は、天皇主権であり、臣民であり、帝国だったのだ。

 

マッカーサーはこれを受け取って落胆困惑した。彼は連合国の強硬派をも相手にしなければならない。彼は彼なりに日本に親心を持っていた。あるいは、彼の属する米国への利害も考えていただろう。

 

政府は何もわかっていない。

 

と、愚痴ったか。

 

天皇制が危うく脆い崖の上に立たされていることがわからんのか!

 

と、罵ったか。


松本試案は、到底受諾できない。

憲法改正作業を日本政府に任せておいては、国際世論(特にソ連、オーストラリア)から、天皇制廃止を要求されるおそれがある。


マッカーサーは、決断した。


昭和天皇と会見して、GHQが憲法草案を起草することを。

 

憲法草案は民間でも作られていた。鈴木安蔵ら憲法学者、大学教授、ジャーナリスト、評論家などで作る憲法研究会が1945年12月26日、憲法草案要綱を発表。

 

国民主権
言論や宗教の自由  
男女平等
軍に関する規定はなく平和思想の確立と国際協調の義務を定める

 

というものだ。
これは、明治期の自由民権運動や大正デモクラシーの影響を受けていると鈴木安蔵は語っている。
GHQの法規課長は、「この憲法草案に盛られている諸条項は、民主主義的で、賛成できるものである」と評価していて、GHQが政府に示した憲法草案の大きな参考になった可能性がある。

 

そしてGHQ民政局が吉田茂と松本烝治を訪れる。
GHQ民政局による憲法草案を手渡された吉田と松本は最初の条文を見て、愕然とする。

 

天皇は象徴?何だこの象徴とは…。
国権の発動たる戦争は放棄する…戦争放棄!

 

幣原首相はマッカーサーの翻心を促すべく直談判するが、天皇制を維持するためにGHQの憲法草案の範囲で成案するよう迫られる。

 

劇中、印象的なシーンがあった。

松本大臣と政府の憲法問題調査委員会の委員である東大の宮沢俊義教授のやりとりだ。
松本は、松本試案をGHQ案がほぼひっくり返した格好を憂い、何とかしようと宮沢教授に懇願する。

 

宮沢 GHQ案はよくできてますよ。あのままでいいじゃないですか。私は一読して感動しました。

 

松本 あれは民政局の素人が作ったんですよ。

 

宮沢 そうでしょうね。憲法学者にはとても思いつかん条文です。私は学者の限界を感じましたよ。元々法律家は保守的な考えしかできないものだと思い知らされました。
憲法問題調査委員会のメンバーは大臣をはじめ明治憲法しか頭にありませんでした。
明治憲法を改正するということに支配されていたんです。

 

松本 すると、宮沢さんはアメリカが押し付ける憲法をすんなり容認しろというのかね。

 

宮沢 押し付けとは言えないでしょ。我々はナショナリズムにこだわりましたが、あの憲法案はインターナショナルです。
国家という概念を飛び越えて人類の理想を示しています。
戦争を放棄して平和国家を建設する。この空前絶後の条文には心を揺さぶられました。

 

松本 宮沢君はいつから理想主義者になったんだ。憲法は国家経営の基本法ですよ。

 

宮沢 理想を持たない人間には、人間としての価値がありません。

 

※NHKドラマ『憲法はまだか』より

 

むろん、このシーンがドキュメンタリーかどうかはわからない。
が、事実の点を補うフィクションという補助線として、作家がこのドラマでいちばん言いたかったことなのではないか、と私は思う。

 

 

この後、GHQ案をベースにして、帝国憲法改正小委員会が設置され、与党、中道、日本社会党の議員によって、GHQ案に修正が加えられ、必要な機関承認を経ながら、1946年11月3日、日本国憲法が公布された。施行は翌年5月3日。

 

このドラマは、歴史を結果で見るだけでなく、経過・プロセスで見ることの重要性を教えてくれた。

 

例えば、帝国憲法の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」が、いきなり、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」となるわけではなく、1年半余にわたる幾多のギリギリの紆余曲折があり、多くの人々による主張と協調があって、行き着いたのだ。

 

いまを生きる教材は、歴史の中に無数にある。歴史をプロセスで見る大切さを、『憲法はまだか』で気づかされた。