天地温古堂商店

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歴史、人、旅、日々の雑感などを徒然に書き溜めています。読み物が中心です。表現の自由度を高めるために、です・ます調でなく、である調を使っています。そこにみなさまの目に止まる、心に残る何かがあれば幸いです。どうぞお立ち寄りください。

2025年がまもなく暮れる。

1963年にスタートして以来、今年で64作目。

映画スターをテレビに、そして日曜の夜の茶の間に大型娯楽時代劇をーーいう大号令の下、大河ドラマは誕生した。
以来、62年。
いわば大河ドラマは史上最長の歴史ドラマシリーズだ。

大河ドラマを彩った方々にも今年、惜しまれつつ鬼籍に入られた方が少なくない。
今年も以下にまとめてみた。
つつしんでご冥福をお祈りしたい。

※50音順

◉伊藤孝雄さん
勝海舟(1974年) ー武市半平太
花神(1977年) ー徳川慶喜
草燃える(1979年)ー阿野全成
徳川家康(1983年)ー織田信秀
信長 KING OF ZIPANGU(1992年)ー千利休

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伊藤孝雄さん 劇団民藝ウェブサイトより

 

劇団民藝の代表的な俳優さん。
『勝海舟』では武市半平太を演じ、ショーケンの岡田以蔵に暗殺を指示する共演シーンが印象に残っている。
この当時は、大滝秀治、米倉斉加年、樫山文枝、真野響子、山内明、宇野重吉など多くの劇団民藝の俳優さんが常連のように出演されていた。
劇団民藝は滝沢修や宇野重吉らによって創立された日本を代表する新劇団のひとつ。
所属する俳優さんたちは、徹底した発声や演技の基礎訓練を積んでいる。
大河ドラマのような長期間の撮影や重厚な人間ドラマにおいて、舞台で鍛えられた安定感のある演技力は、キャスティングとして不可欠な存在となっていて、大河黎明期から重要な役割を担っていた。

伊藤さんもそのお一人だった。

◉上條恒彦さん
徳川家康(1983年) ー鳥居強右衛門
武田信玄(1988年) ー村上義清 
秀吉(1996年) ー斎藤利三 
葵 徳川三代(2000年) ー上杉景勝 
軍師官兵衛(2014年) ー大友宗麟

 

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上條恒彦さん 朝日新聞ウェブサイトより

 

なんといっても『徳川家康』の鳥居強右衛門はちょっとだけの出演だったが、役が役だけに印象深い。
その豊かな声量を活かし、磔にされながらも援軍の到来を絶叫して仲間に伝える迫真の演技を見せた。

 

上條さんの芝居の基本は、「出たとこ勝負」だという。

 

大河ドラマの時は、NHKの稽古場に行って、稽古をしながらどう芝居をするかを考えます。

演出家から指示が出る時もありますし、その時もそれをどう表すかをその場で考える。

もちろんそれなりの準備はしていきますが、基本的には「出たとこ勝負」です。

そこに行って初めて、その中で自分がどう生きるべきかが見えてくるわけですから。(略)

「このようにやりたい」があまりあると、それに束縛されてしまう。束縛されると、いい芝居はできませんから。そんなのは作らないで、自分のその時の感覚で「こうだ」っていうのを出した方がいいと思います。

(春日太一『すべての道は役者に通ず』より)

 

個人的には、上條さんの力強い声で歌うバラエティ時代劇『天下堂々』(1973年)の主題歌が強く記憶に残っている。
天下堂々ハイどうどう、天下ぁ〜ハアどうどう♪

◯『天下堂々』主題歌

 

◉川辺久造さん
元禄太平記(1975年) ー神崎与五郎(赤穂義士四十七士)
徳川家康(1983年) ー北条氏政
徳川慶喜(1998年) ー市川三左衛門
元禄繚乱(1999年) ー小野寺十内(赤穂義士四十七士) ほか

 

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川辺久造さん 文学座ウェブサイトより

 

民放の時代劇の常連で、『水戸黄門』、『暴れん坊将軍』でよくお見かけした。
知的な悪役として時代劇には欠かせない俳優さんだった。

◉ジェームス三木さん
独眼竜政宗(1987年) ー脚本
八代将軍吉宗(1995年) ー脚本
葵・徳川三代(2000年) ー脚本

 

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ジェームス三木さん NHKアーカイブスより

 

大河ドラマ最高視聴率記録を持つ『独眼竜政宗』の脚本家。
大河ドラマ以外で、土曜ドラマ『憲法はまだか』は個人的に非常に印象深い。
ぜひ多くの方にご覧いただきたい名作だと思う。

『憲法はまだか』は、NHKが日本国憲法公布50周年を記念し、1996年に放映したテレビドラマ。
日本国憲法制定までのいきさつや、草案をめぐって政治家、GHQ民政局、憲法学者たちが繰り広げた舞台裏の駆け引きを再現。
単なる歴史ドラマ・政治劇の枠を超える斬新な演出が注目を浴び、第23回放送文化基金賞優秀賞(1997年)を受賞した。
ジェームス三木さんは、同名の小説もお書きになっている。

◯あの人に会いたい

◯NHKドラマ『憲法はまだか』

◯ジェームス三木さんについての拙稿

 

◉仲代達矢さん
新・平家物語(1972年)ー平清盛
秀吉(1996年)ー千利休

 

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仲代達矢さん Wikipediaより

 

『新・平家物語』では主人公の平清盛を演じた。
演じるまでは「悪人のイメージが強かった」と話していた仲代さんだったが、清盛が持つ反逆精神や体制に対する抵抗にふれ、深く共感し心をひかれていったそうだ。清盛の出家に合わせて髪をそるなど、役に没頭。バイタリティーにあふれた人間くさい清盛を熱演した。

 

実は仲代さん、いちど大河ドラマのオファーを断っている。

大河ドラマ2作目の『赤穂浪士』(1964年)のときにオファーを受けた。当時31歳の仲代さんは、すでに黒澤映画のスター。また、舞台『ハムレット』や『東海道四谷会談』に集中していて、このオファーを断った。

 

仲代さんは次のように語っている。


『新・平家物語』に出演を決めた理由は、原作に感動したことと、小2のときに父と死別後、貧乏をしながらも私を育ててくれた母親の涙に後押しされたからです。


原作は吉川英治の歴史小説「新・平家物語」。初版本は24巻の大作です。
太平洋戦争中の子供時代は、滅亡する平家に良いイメージはなかったですが、東京の定時制高校に通っていたときに読んだ小説では違っていて、清盛がスケールの大きい人物として生き生きと描かれていたんです。


清盛の史料も調べました。
人間像としては、おおらかで情が深く、ただいちずに平家一門の幸せを求め続ける。
豪傑の天才肌ではない偉大な凡人が天下を取ったところにひかれました。
大河に清盛が登場するのは初めてでしたし、思い切って仲代清盛を創造しようと気合が入りました。

もっとも大きな理由は母親だった。


最終的な決め手ですが、ぶっちゃけて話しますと、オファーを受けた時期にたまたま母親から電話がありまして。

それも泣きながら「頼むから、何かテレビに出ておくれ」って…。
母親はユーモアがあって愛情が深くて、僕の一番の応援団でした。
その母親に涙の理由を聞くと「ご近所さんからお前の息子は落ちぶれた」と言われたって。
自分としては黒澤明監督の映画やシェークスピアの舞台にも出演して、それなりに知られた存在だと思っていたのですが(笑)、母親は「あの人たちはテレビしか見ないから」って悔しそうで。
そのときの言葉と涙で「よし、やろう!」と決意しました。

放送が始まると、母親は家に親戚やご近所さんを集めて、お酒を飲みながら作品を楽しんでくれました。「新・平家は最高の親孝行」。

87歳で亡くなった母親は、最期までそう言ってくれましたから。 
(大河のころ 仲代達矢⑴ 2019/03/03 サンスポウェブサイトより)

 

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NHK大河ドラマ「新平家物語」の平清盛役で頭を剃った仲代達矢さん サンスポウェブサイトより

 

◯大河ドラマ『新・平家物語』

◯仲代達矢さんについての拙稿

 

◉藤村志保さん
太閤記(1965年)ーねね
三姉妹(1967年) ーおるい
天と地と(1969年) ー藤紫
黄金の日日(1978年) ー淀君
太平記(1991年)ー足利尊氏の母・清子
八代将軍吉宗(1995年)ー安宮照子
風林火山(2007年)ー寿桂尼

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藤村志保さん シネマクラシックウェブサイトより

 

『太閤記』、『黄金の日日』での夫は秀吉、『太平記』での夫は足利貞氏。

これら夫役はいずれも緒形拳だった。
落ち着きと凛とした品のある演技は、日本舞踊や地唄舞の舞踊家ゆえか。
『軍師官兵衛』(2014年)ではナレーションを担当していたが、背骨を圧迫骨折したことで病院から絶対安静とされ、第6話で途中降板した。以降は療養を続けたものの、女優復帰がかなうことなく、これが遺作となってしまった。
49年の長きにわたり大河出演を重ねられたレジェンドのおひとり。

◯あの人に会いたい

 

◉山口崇さん
源義経(1966年) ー平教経
三姉妹(1967年) ー三沢半之丞
天と地と(1969年) ー長尾政景
風と雲と虹と(1976年)ー平貞盛
春の波濤(1985年) ー金子堅太郎
元禄繚乱(1999年) ー大野九郎兵衛

 

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山口崇さん 神戸新聞nextウェブサイトより

 

『風と雲と虹と』では平貞盛役で、将門と対照的な要領よく世渡り上手な従兄弟を演じた。

民放では、水谷豊主演の『熱中時代』の八代先生、バラエティではクイズ『タイムショック』の司会者、そして晩年に出演された映画『記憶にございません』の主人公・黒田首相の恩師役が印象深い。

しかし、なんといってもバラエティ時代劇の元祖にして伝説的ドラマ『天下御免』(1971年)の主人公・平賀源内を忘れることはできない。

『天下御免』のラストシーンは、山口さん演じる源内が獄中で死んだと見せかけて、仲間たちと気球に乗り、「おーい、日本よ!早う目を覚ませ!」と言い放って、国外へ旅立ってゆくというものだった。

 

今年の大河ドラマ『べらぼう』で重要な役割を果たした平賀源内のレジェンド俳優ということもあって、山口さんは昨年10月にガイドブックの取材を受けた。これが、彼の最後の仕事となった。

 

◯NHKドラマ『天下御免』

◯あの人に会いたい

◯山口崇さんについての拙稿

 

◉吉行和子さん

樅ノ木は残った(1970年)ーのぶ

国盗り物語(1973年)ー各務野

風と雲と虹と(1976年)ーけら婆

徳川家康(1983年)ー北政所

 

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吉行和子さん NHKアーカイブスより


『風と雲と虹と』で演じたのは、けら婆。

京の傀儡の一人で変装の達人。藤原純友と平将門の情報伝達役で、二人の反乱が共謀によるものだったというフィクションを成立させるための役柄だった。

『徳川家康』では、北政所役で夫の秀吉役は武田鉄矢。脚本は小山内美江子。

この三人は人気ドラマ『3年B組金八先生』で一緒。武田は主役の金八先生、小山内は脚本、吉行さんは金八の下宿先の主人で桜中学の池内先生役だった。

さながら金八トリオの大河参戦といったところだった。


私が小さいころ、NHKの子供番組『おかあさんといっしょ』の毎週金曜日「おはなしこんにちわ」というコーナーで、おはなしのおねえさんとして出演していたのをよく覚えている。

とても懐かしい俳優さんだ。



そうか、もう君はいないのか。

 

私が観ていた貴方のいる豊穣な世界、自分の生きた時代感を彷彿とさせる世界が、現在(いま)でなくなってしまう淋しさを痛いほど感じています。

淋しいけれど、その演じられた姿は、確かに大河ドラマを彩り、私たちの記憶に残ります。

 

惜しまれながら旅立たれたみなさん。

歴史のなかの貴方は永遠です。


どうぞ安らかにおやすみください。