非常にお久しぶりです。
覚えてますか??
大学生活とフィルム写真の方にハマりすぎてブログの更新が気付けば、いつぶりになるやら・・・
残暑残る、青森ですが今日になって秋らしさが出てきました。
さて今後もたま~に、気が付いたら更新すると思います。
よかったら見ていってください。
それでは今日は夏休み中に行った釜石市のお話です。
岩手県釜石市は約1年半前の東日本大震災による津波被害を受けた街です。
個人的に様々な思いはあるのですが、同じ日本人として一度はみておくべきであると思い訪れる事となりました。
ちなみになぜ見に行くだけだったのかということに関しては、色々考えはありますがここでは控えさせていただきます。もし聞きたい方があればメッセージでお答えします。
なお、この先のお話は私が直接見て感じた、個人的感想です。
この記事を見ていただく方の心理面やブログの管理面などを考え、
この記事、私の言動、被災者を誹謗中傷するようなコメントは控えていただきたいと思います。
またここから先は被災地の画像が添付されています。
見て辛くなるようなこともあると思いますのでご覧になる方は十分に注意したうえでご覧いただくようお願いします。
釜石駅前にある鎮魂の鐘。
釜石に着き最初に目に付いたのがこれでした。
これを見ただけでも多くの命が失われた場所なんだということを感じました。
瓦礫
よく見ると分かると思いますが階段です。
こういった風に気づけばそこはかつて人の家だったという場所がたくさんありぞっとしました。
そこで誰かが生きていたのだということを実感し、そしてその生活が失われた証として無残な瓦礫は静かに語りかけてくるようでした。
錆びた鉄板
かつてauショップだった建物の前にありました。
一見すると特に何もないようですが、よく考えると町中にあるものが三つもここまで錆び付いているのは不自然なのですよね。
それはつまり海水が来た、津波が来たという何よりの証拠なのだと思いました。
工事用車両。
普段なら労働者の生活を映す、カッコいい機械ですが潰しているものを考えるとただカッコいいとは言えない気がします。
潰しているのは、不要になった家屋なのか住人の生活なのか、はたまたその人の生きた証なのか命なのか
あるいは悲しみなのかもしれません。更地にしてやり直そうという思いが込められた作業だったのかもしれません。
仮設商店街。
少し高台になったところにありました。
こうやって小さなスペースに居を構えながら懸命に商売に励む人たちがいました。
かなしさもありますが、嬉しさというか逞しさを感じずにはいられません。
ちなみに、ここの釜石ラーメンはなかなかの味でした。
仮設住宅。
ここにいた住民グループの方と少しお話をしましたが、被災した当時のこと仮設に暮らす住民のことや、やはり瓦礫は片付いてきているものの復興はまだまだ進んでいないというのが本音だと静かにに語ってくれました。
とはいえ、政治情勢なども絡んでいるため簡単にはいかないのだろうという言葉もありました。
言葉の中には悲しみや悔しさだけではない希望も感じられました。
しかし、どことなく諦めのようなものも感じられ言葉では表現できない複雑な気持ちになりました。
今回はここまでにします。
本当はもう少し撮った写真や話したいことはあるのですがすべてを一つの記事にすると長くなってしまうので・・・
また続きを書きます。
次の記事はもう少し希望にあふれた内容の予定です。
それでは。





