彼らはイカを「タコ」、タコを「イカ」だと言う。  


こう自信ありげに言われると、単に私の単語レベルの記憶ちがいかとも思うが、時折、イカをイカだとも言う。                                 



なぜか…。   例によって私の苦悩は尽きない。


内陸の国ドイツで貴重な海産物を入手する際に、ここを誤るとまず立ち直れない。いや、誤っているのは基本的に彼らの方である。 

帰宅して誤りに気づき愕然としながらも予定の献立料理の製作を強行すると、結果としてタコ墨スパゲティやイカ焼き(注:球形)、タコ素麺等、非常にユニークな代物ができあがる。 


日本の食文化とは偉大なもので、現代まで受け継がれていない料理というものは、まず美味くない。一見似ている食材を用いただけで、こうまで不味くなるものかと思うほどのできばえである。

また、レストランでメニューにある「イカのマリネ」をこれは珍しいと思って注文し、普通にタコのマリネが出てきた位では、日夜人生のなんたるかをちまたで学び続ける私にとってはもはやたいした問題ではない。箸が転んだようなものである。
 



さてさて、ではなぜ彼らはイカとタコを間違うのか。しかも魚屋店員まで。
10本と8本、白色とえんじ色を見分けられないわけではなかろうに。まぁ揚げ衣に包まれていたり、ぶつ切りにしてトマトソースで煮込まれているとそれらも判断しにくいだろうが、それでも私たち日本人には大抵、瞬時に判別できる。一度、遊戯施設の片隅の売店で売っていたイカリングをめぐって、ある友人と軽く口論になった事がある。

今でもはっきり憶えているが、あれはイカリングであった。日本人1億3千万人全てがイカリングだと主張するにちがいない。

それを売り子は「タコリング」だと言って売っていた。


隣の友人に「いや、これイカやんなぁ。」とささやいたところ、

「タコやで。ほら、『タコリング』って書いてる。この”OKTOPUS”ってタコっていう意味。知ってる?英語でもそう言うのよ!」的な返答をしてきた。

―いやいや イカにも「OKTOPUS」は「タコ」である。

でもこのタコはタコではなくイカである。

イカもイカとしてのアイデンティティーを確立していて、タコの場合も以下同様であるから、その辺を混同されると両者とも不本意なはずである。


そして最終的には「おのれの言語ではイカは『ティンテン(墨orインク)・フィッシュ』と言うんとちがうんかいっ!!」 と、相手のあまりにタコへの過信がすぎる態度に少々キレ気味に反論してしまったのは当時私が若かったせいであろう。べつにイカの気持ちを汲んだわけではない。


しからば彼女はすかさず、「タコもイカも墨を吐くでしょーよっ だからどっちもTINTENFISCHって言うの」だと実もフタもないセリフ。 

ではほんの1分前に彼女が述べたオクトパスという単語の存在価値と、目前の「オクトパス・リング」の看板の是非はどう処理されるのか。



しばし考えている間に彼女は「どっちにしろ魚介類は嫌いだから私は買わないわ。」と先に行ってしまった。 

その瞬間、はたと気づいた。彼らには元々興味がないのである。SUSHIブームもイギリス経由でここ数年の間に定着してきたところであり、まだまだ食材としての魚介類は家庭レベルでは受け入れられていない。彼らにとって魚は観るものであって、食べるものではない。


20年ほど前に某番組『世界ま○ごとHow much』で聞いた

「お好み焼きのカツオブシはナゼおどってるンデスカ?」「ちりめんじゃこの目がコワイネ~」というセリフは実際に何度も耳にした。 


今にして思えば、そんな彼らにむかってイカにイカとタコが違う生き物であるかを一心不乱に説明したところで興味がわくはずもなく、まったくもって時間と労力の無駄であった。



このイカタコ論、いつぞや日記に記した様に議論を日課とするドイツ人が後にも先にも唯一、自ら議論を放棄したテーマである。



ところで「タコなぐり」という言葉は何に由来するのだろう。