昨年は暖冬ということで、眩い光のなかを歩いていると、汗ばむこともありました。
寒がりのわたしは大変甘やかされた冬でしたが、春になった今、意外と寒い。


今回の課題本は『人形の家』ということで、率直な感想と疑問点を語り合う場なので、厳しい展開もあるかもしれないと思いつつ、開催。短いストーリーですが、「女性の自立を描き、社会に大きな影響を与えた社会劇」ということですから、現在に生きる人たちにも影響力がある物語なのだろう、と思います。


舞台はずっとノラとヘルメルが暮らす家のリビングで、ノラ、ヘルメル、ランク医師、リンネ夫人、クログスタットと、数人の登場人物がそこを出入りするだけなので状況は把握しやすい。この時代の、一般的な価値観でとらえれば、とても幸福なのであろう家族に他者をぼーんと放り込み、どんどん夫婦や家族のとらえ直しが起こる物語の展開はとても早く、ちょっと駆け足気分で読む。
 居心地よく、趣味豊かで、しかし贅沢ではない部屋だと冒頭から語られることから、とてもセンスのいい
静かな生き方を選ぶ人が登場するのだろうと想像したのですが、ヘルメルがノラを「ヒバリちゃん」「栗鼠さん」と呼び、ノラが小動物のようにふるまう物語の始まりに、「なんだなんだ驚き、気持ち悪い・・・真顔」という第一印象。
昔祖父が見ていた古い映画でも、よくこんなシーンが描かれていたが、これが本当に関係のいい夫婦として
受け入れられていたのだなぁと、遠い目凝視。いや、いまだって生き残っているかもしれない、パートナーに仔猫のように振舞ってもらうことで満たされている人がいるのではないか。など思いながら、そのノラとヘルメスの関係が壊れていく様子を見守る。とても賢く生き抜こうといしているようにも見えるし、向こう見ずで稚拙な考えや衝動を持っているようにも見えるノラ。ドアを閉めて出ていくまでが物語なのでしょうが、その後のノラを誰もが追いたい気持ちになっただろうと想像します。


 今回はテーマが掴みやすいということや、現在に通じることもあるからか、感想も途切れることなく出てきて、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
 人の家で他人が待ち合わせをしたり、自由に友人が出入りする家っていったいどうなっているんだろう?
無理があるような展開だけれどノラは本当に家を出るのだろうか、それとも戻るのだろうか。戯曲だから語り手がいない、一人称であることが当たり前だけれど驚いた。ノラは自分のために生き、リンネ夫人は他者のために生きる人だ。自分が理解できないことは聞こうとしない、頭に入らない男性は多い印象があり、ヘルメルの「わかった、わかった」はわかっていない、わかる気がないのでは。リンネ夫人とクログスタットのよりを戻す早さと、他人の家に集合してよりを戻すのは驚き。ノラは父からの支配を逃れるはずだったが、同じ現状を繰り返している。心地よく生きるための賢さでニコニコ笑いながらノラは生きてきたが、父への怒りも一緒にヘルメルへぶつけたのではないか。生きるための手段としてのノラの性質、本当は賢い人、それをリンネ夫人はわかっていたのでは・・・。今まで無邪気に頑張る姿を見せていたかと思うと、急に冷静になり賢くなる女性→怖い! 物語の中で子どもの印象、存在が薄い。ランク医師の役割はなんだったのかと考えると、彼は最後ノラの身代わりになったのではないか。当時のノルウェーは医学者が4人しかいないかった、どれだけランク医師が優秀であったかがわかる。当時ノルウェーは、離婚がとても難しかった。「奇跡」と翻訳されているところを英訳で読むと、「wonder」となっている。意味合いが変わる。
人形の「家」→「家庭」。


 感想や疑問点だけではなく、調べてきてくださったことや、専門的な知識や視点もシェアしていただけたおかげで、とても奥行のあるお話ができました。

 今回、ヘルメル批判の声がとても大きかったため、「彼もいい家庭にしようと頑張っていて、家族に不自由な思いをさせず、ちゃんと食べさせていて、いい暮らしをさせている。」というバランスをとってくださる意見もあったのですが、「私はちゃんとやっているから、文句言われる理由はない、ということばがその後に続くのですよね」、とつい言ってしまう世話人お願い。おそらく、自分は家族のために一生懸命頑張っていて、世間で幸せな家族だと胸が張れる家庭を築いているのに、なぜ責められないかんのだ、と思うでしょうし、私もヘルメルだったら思うだろうと思います。ヘルメルはヘルメルで一生懸命家庭を築いてきたということは確かです。そして、社会のルールや価値観の中で得ることができる幸福を、ヘルメルやその時代に働く男性は、真面目に努力して大きなプレッシャーや責任も感じながら目指してきたのだろうと思います。でもこの物語は、その社会が描いてきた「幸福」在り方に、大きな革命を起こすような巨大な問い、を孕んでいるからこそ、社会に大きな影響を与えたのだろうと思います。私たちが現在、なんだかんだ言っても、「日本は平和で幸せな国だ」と思っていたとして、その状態を覆すような問い、力のある物語に出会うことはとても難しい。それを思うと、やはりヘルメルには申し訳ないですが、ヘルメルの信じる幸福にどんな問題を感じるのか、言語化される必要性はあるように思いました。

 今まで女性は、あたり前のように子どもと同じ庇護されるべき存在だとされ、考えや意見を許さず、自立して生きることを妨げられ、理想的な女性像を押し付けられながら、それが幸福であると思わなければ生きてゆけない時代を長く、とても長く生きてきており、現在も男女問わずどこかでまだ女性に対する冷ややかな眼差しがあり、男性と対等に考えや、意見を持つことを許さない人たちがいることは確かです。それは男性の中の女性像に関わる意識というより、男性の中の男性像に関わる意識が原因だろうと思います。でもなかなかうまく言語化され、語り合える機会はなく発信されるばかりであるテーマですので、いくら時代が違えども、この関係性はおかしいと、どういう構造でこの関係が成り立っているかということもシェアできるといいなと思いました。なんの違和感もなく女性が社会で生きていくには、まだまだ途上であり、ノラがドアを閉めた後の姿を、私たちがちゃんと描いてゆかなければならないなぁと思いました。


戯曲であることで、舞台と物語、時間、とは制限や枠組みがあり、構成も戯曲のためにある。けれど、私たちはそれをまた、わざわざ文字で追い、頁をめくるという作業のなかで、考えをめぐらし、「読み手」となって物語と距離を保ちながら、捉え直してゆく。という体験はなかなかおもしろかったなぁと思いました。


ご参加くださった方々の知識と様々な感想が、大変熱い時間をつくってくださったのですが、2時間くらいの会ですので、みなさん消化できていたのかとちょっと心配もありました。いつも大変貴重な時間をありがとうございます。こころから深く、深く感謝申し上げます。