2024年6月12日(水)
高松宮殿下記念世界文化賞とプリツカー賞を受賞した世界的な建築家、槇文彦(まき・ふみひこ)さんが6日、老衰のため死去した。95歳だった。葬儀は近親者のみで執り行った。
東京都出身。東大工学部建築学科を卒業後に渡米。ハーバード大学大学院を修了後、米国の大学の教壇に立った。昭和40年に槇総合計画事務所を設立。20世紀様式のモダニズム建築を追求し、洗練された作品で高い評価を得た。54年から10年間、東大教授を務めた。
平成5年に建築のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を日本人では丹下健三さんに次いで受賞。11年には世界文化賞を受賞した。

 

岐阜新聞 2024年6月12日

 

デビュー作「名古屋大学豊田講堂」(1960年)で日本建築学会賞を受賞。

代表作は他に、東京都の複合文化施設「スパイラル」や「東京体育館」、京都市の「京都国立近代美術館」、新潟市の「朱鷺メッセ」、大分県中津市の「風の丘葬斎場」、横浜市の「横浜市役所」。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。