2023年12月8日(金)
今回の日帰り旅の二つ目の目的は、西尾市岩瀬文庫で本物の本草書を観ること。![]()
西尾駅より徒歩20分。
ちょっと遠い…。
西尾市岩瀬文庫 本館
外観はガラス張りという現代的な建物。名古屋工業大学教授で建築家の若山滋による設計。『古い文庫の建物を書庫として活用しつつ、打ち放しコンクリートの端正なマスを無理なくつなぎ合わせ、落ち着いた都市景観の中に新しい表情を作り出している』として、2003年度に「愛知まちなみ建築賞」を受賞。
植物への恋文(ラブレター) ~本草書から牧野富太郎の手紙まで~
■会期:2023年11月18日(土)〜2024年2月12日(月)
■時間:午前9時から午後5時まで
■会場:西尾市岩瀬文庫(西尾駅より徒歩20分)
■料金:入館無料
(チラシより引用)
本草学とは古代中国の薬草学を起源とする学問で、日本へもたらされた後、植物をはじめあらゆる自然物を研究対象とする博物学的な学問へと発展を遂げました。日本人にはこの本草学の素地があったからこそ、近代に西洋から移入してきた植物学へスムーズに転換することができたのです。「日本植物学の父」といわれる牧野富太郎も、幼い頃から本草書に触れて植物学について学んでいました。
本展では岩瀬文庫が誇る豊富な本草書を通して、江戸時代以前の本草学から近代の植物学への転換までをたどりつつ、植物に対する真摯なまなざしが成せる精緻で美しい植物図をご覧に入れます。また、牧野富太郎が西尾の植物研究者・名倉誾一郎に宛てた手紙も展示し、植物へ飽くなき情熱を注ぐ二人の交流の一端をご紹介します。
植物への愛が詰まった文(書物・手紙)の数々をお楽しみください。
平成28年に当時の皇太子殿下の行啓を賜っています。
第1章 本草学のはじまり ~日本への伝来・受容~
本草学の起源は古代中国の“嘗草伝説”に遡ります。薬草を探し、薬草を嘗める(服用する)という実体験の積み重ねが本草学の始まりでした。そのような経験知が長い年月をかけて蓄積・洗練されたのちにまとめられ、本草書が成立したのです。
日本人は中国から伝来した本草書を教材として薬草の知識を学びました。書物に記された薬草が日本のどの植物にあたるかを見極め、栽培に取り組みます。そして、積み重ねた知識や経験をもとに、日本人自身が本草書を手がけるようになっていったのでした。
第2章 日本独自の発展 ~華麗なる植物図の世界~
日本の本草学は、自然物のすべてをありのままに記そうという博物誌的な研究へ変容していきます。万物を知ろうとする本草学にとって、そのものの情報を記録し、伝達するための精細な図は欠かせません。時を経るごとに、より正確な、より緻密な写生図が描かれました。
第3章 本草学から植物学への転換
江戸時代後期以降、蘭学や洋学の広まりに伴って西洋の植物学が日本に伝来し、宇田川榕庵をはじめ、岩崎灌園や小野蘭山、伊藤圭介らの本草学者によって紹介されました。明治時代には、東京帝国大学で植物学の講義が行なわれ、ますます浸透していきます。本草学から植物学へ、これほどまでにスムーズに転換することができたのは、日本にはこれまで築いてきた本草学の素地があったからこそ、といえるでしょう。
第4章 牧野富太郎と名倉誾一郎
ここ西尾にも、植物の研究に情熱を注いだ人物がいました。その名は名倉誾一郎。独学で植物研究に打ち込み、この地方最初の植物研究団体である「山草会」を率いる傍ら、牧野富太郞とも手紙のやり取りがありました。二人の交流の一端と、地元の植物研究者である誾一郎の業績をご紹介します。
展示図録 1冊800円
旧書庫 (国登録有形文化財)
岩瀬文庫のシンボル。旧書庫は大正6年よりいったん休館し、増築されました。 以後、平成14年12月までの約80年間、蔵書は、この旧書庫の中で大切に守られてきました。平成15年に新収蔵庫が完成し、蔵書は現在全て新収蔵庫に収蔵されています。
岩瀬弥助翁之像
慶応3年10月6日に須田(現西尾市須田町)に生まれ。
肥料商「山本屋」の4代目当主。商才に長け、一代で莫大な財を築き上げました。
岩瀬文庫は、生来の読者家であった翁が、明治40年に私財を投じて創設したもの。
旧書庫は一年に一度、にしお本まつりで内部を特別公開しているとのこと。機会があれば見学してみたいです。![]()
岩瀬文庫の児童館として建てられたもの。
現在は市立図書館のおもちゃ館として使用されています。



















