2021年4月4日(日)

(朝日新聞より転載)
青色LED(発光ダイオードの発明によって2014年のノーベル物理学賞を受けた赤崎勇さんが亡くなった。名古屋大特別教授で、名城大の終身教授・特別栄誉教授。「新たな光」で世界を照らした赤崎さんを悼む声が上がった。
鹿児島県生まれの赤崎さんは1952年に京都大理学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)などで研究を続けた。名大で、「20世紀中には無理」と言われた青色LEDを発明。ノーベル物理学賞を受けたのは85歳の時だった。
松尾清一・名大総長は「『我ひとり荒れ野を行く』という不屈の研究者魂で、青色LEDを発明され、世界中の人々に新しい光として届けられた」。小原章裕・名城大学長は「多くの研究者や学生とともに研究に取り組まれ、常に世界を先導し続けた」と功績をたたえた。
19年のノーベル化学賞を受けた吉野彰・名城大終身教授・特別栄誉教授は、青色LEDと自らの専門のリチウムイオン電池は環境問題の解決につながるとして「世界的に重要な二つの技術が名城大にあることを誇りに思っておりました。悲報に接し残念でなりません」。飯島澄男・名城大終身教授は「日本のみならず世界が大事な人を失いました。青色LED照明は世界の人々を永久に照らし励まし続けます」と追悼した。
トヨタ自動車系部品大手の豊田合成(愛知県清須市)は、赤崎さんらの指導を受けて青色LED研究を始め、95年に製品化。車内照明や液晶画面のバックライトなどにも使われてきた。同社の小山享社長は「現代の社会を支える世界的な発明を成し遂げた先生を失い、深い悲しみに包まれている。ご冥福をお祈りいたします」とのコメントを出した。
赤崎勇さんの教え子であり、ノーベル物理学賞を共同受賞した天野浩・名古屋大教授は、追悼の言葉を出した。
いままで、おられるのが当たり前だったので、ずっと安心して今の研究に打ち込むことができたのですが、その赤崎勇先生が他界されたという事実は、自分の中でこれから研究にどう向き合えばよいのか、心の整理がついておりません。今の私があるのはすべて先生のおかげです。研究はもちろんですが、研究者として、あるいは人間としてあるべき姿を様々な場面で教えていただきました。私が先生にご指導いただいたのは、学部4年生の時からですから、かれこれ40年近くにも及びます。出来が悪い私を辛抱強く、ずっと親身になってご指導してくださいました。私の頭には感謝の言葉しか浮かんできません。ありがとうございました。
赤崎勇先生がこの世を去られたことは、日本のみならず世界にとっても大きな損失であることは間違いありません。先生の御業績は数え上げればきりがないですが、蛍光面の研究から始まり、ゲルマニウムの気相成長、化合物半導体の結晶成長からLED、そして私も参加させていただいた青色LED研究、これはノーベル物理学賞に結びつきました。その後もフロンティアエレクトロニクスと冠して、パワーデバイスや高周波デバイスの分野でも、人並み外れた熱意をもって、生涯研究に取り組まれておりました。また、数々の先生の受賞に対するご寄付で設立された赤崎賞、これは名古屋大学のみならず、いくつかの学会でも、研究分野に対する貢献で業績を上げた人々に贈られており、すべての研究者にとって非常に大きな励みになっております。
私たちとしては、このような先生の研究に対する思いや研究者へのエールを引き継いで、力を尽くし、研究を通して日本や世界の人々に幸せを届けること、および次の時代を担う人材を育てることが、先生にご指導いただいた人間としての使命と思っております。
赤崎勇先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

数年前に読んだ著書を引っ張り出して読み直し。

最後のひとりになったとしても、私は決してあきらめない。あきらめなければ道は開ける―。幾多の困難にもくじけることなく、青色LEDの基礎技術を確立させた“不屈の研究者”が語します。


赤崎先生が諦めてたらカラー液晶ディスプレイの登場は何年遅れたんでしょうね? 現代社会が受けた恩恵は計り知れません。
謹んでご冥福をお祈りいたします。