2021年1月30日(土) 晴れくもり

一か月前から往復はがきで申込み、今回は定員が少なかったのですが、当選し参加。ウインクキラキラ

会場のじゅうろくプラザへは、12時半ごろ到着。(先回参加時の様子

 

コロナ感染防止対策に気を配りながらの開催です。


第14回信長学フォーラムの開催概要

■テーマ:道三・信長・光秀 ~戦国武将の葛藤~
■場所:じゅうろくプラザ ホール(岐阜市橋本町1丁目10番地11)
■日時:令和3年1月30日(土曜日)午後1時~午後3時(開場:正午)
■プログラム

 講座:「大河ドラマの舞台となった岐阜城跡発掘調査」内堀 信雄(岐阜市文化財保護課)

 講演:「明智光秀と本能寺の変」桐野作人氏(歴史作家、武蔵野大学政治経済研究所客員研究員)
■主催:岐阜市

 昨年のフォーラムでは、大河ドラマ「麒麟がくる」放送を受けて、明智光秀と関わりが深い斎藤道三に焦点をあて『道三のまちと城』について考えました。「麒麟がくる」では、道三・信長・光秀の葛藤が鋭く描かれるとともに、稲葉山城(岐阜城)が舞台の一つとして注目されています。ドラマもいよいよ佳境に入り、「本能寺の変」が近づいています。光秀の動機については諸説ありますが、本年度のフォーラムでは、その一端を桐野作人氏にご講演いただきます。

 

ひとつおきの座席、200名ほどの参加者。

 

講演メモ

・内堀氏

 岐阜市・金華山(329メートル)の発掘調査で、織田信長が築いたとされていた「一ノ門」が、構造などから信長の前に居城した戦国武将・斎藤道三が築いた可能性が高いことが判明。一ノ門の構造は16世紀前半に美濃国守護の土岐氏が築いた「大桑城」(岐阜県山県市)の門に非常によく似ていることが判明。土岐氏に仕え、後に追放した道三が、土岐氏と同じ技術を用いて築いたとみられる。

今日の岐阜新聞朝刊を見て欲しいとのこと。

・桐野氏
 出会ってから約15年間は仲が良かった。
 大河ドラマでは「西尾光教宛て光秀書状」を含ませて描いているように思える。
 ”天下の妨げ”
 吉田兼見『兼見卿記』は、大河ドラマには登場していない。雑談(ぞうだん)したと書かれているが、その内容が書かれていない。

本能寺の変の原因
 ①「光秀折檻事件:本能寺の変直前に起こり、謀反の原因として一番近い。光秀と信長の軋轢。
 ②四国問題:長宗我部元親と関係の深い光秀が、信長の四国征伐を回避するために信長を討った。この説は、直接の要因と考えるのは微妙。
 ③訴訟沙汰で敗訴:「光秀と稲葉一鉄父子の間で起こった。一鉄家来の那波直治の帰属問題で、信長の上意は光秀の敗訴。

 

たくさんの史料に基づき、詳しく解説されましたが、ついていけませんでした。ショボーン