2019年11月9日(土) 晴れくもり
名大病院での講演会開場まで30分ほど時間がありましたので、鶴舞公園を散策。

 

加納秀美《鶴の噴水》、早瀬景雲《巣籠りの鶴》、伊藤鐐一《亀》 三位一体型作品。

 

 

 


先々月に見逃していた彫刻を再度探してみました。頼りになるのは、この小冊子。


 

鶴舞図書館前の自転車置き場奥の草むらに何やらあります。


都築宗彦氏《休む男》

 

不詳《伊吹おろし碑》

 

石田清《TAKA》


 

山本豊市《伊藤圭介先生象》 

 

(ネットより引用)

 伊藤圭介は、享和3(1803)年1月名古屋呉服町(現名古屋市中区丸の内3丁目10番)の医者の家に生まれました。植物学に興味をいだき、文政9(1826年)年2月宮(現熱田区)で、江戸に赴く途中のシーボルトに、植物の学名の点検を依頼したのを機に、翌年長崎に赴き、シーボルトの下で植物学を学びました。「泰西本草名疏」を訳述刊行したほか、多数著書を出しています。また医者としても尾張藩で種痘を始めるなど、この地域の医療に尽しました。
 明治政府から大学に出仕するよう命じられ、明治3(1870)年11月に名古屋を離れ上京、明治14(1881)年東京大学教授に任ぜられ、同21(1888)年日本初の理学博士の学位を受けました。明治34(1901)年に逝去しています(享年99歳)。 伊藤は上京する直前、名古屋藩に西洋医学の病院と学校をつくるよう建議し、これが現在の名古屋大学の前身となる仮医学校・仮病院の設置となりました。いわば名古屋大学の生みの親といえます。