お別れの会、帝国ホテル「孔雀の間」にて

 

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本日はご多用中にもかかわらず、故・森田浩一郎の「お別れの会」にご参会賜り、また沢山の弔電をいただきまして心より厚く御礼申し上げます。

 

父は、大正141925)年に台東区谷中の森田天龍堂医院の長男として生まれました。この年は、国内でラジオ放送が開始された年で、後年、放送界で活躍させていただけたのも、何かのご縁のように思えます。敗戦後の焼け跡のなか医業を受け継ぎ、荒廃した社会に多少なりとも貢献したいという使命感をもち、熊本医大(現熊本大学医学部)に進みました。

 

その後、行く先々で心の友や良き師にめぐり会えたことを誇りに思い、また天に感謝しておりました。

「いかなる友とも分け隔てなく胸衿を開いて語りあい、心を通わせる姿勢が大切」「利害得失をはなれて、心おきなく付き合いのできる友がたくさんいることが最高の幸せ」と、「友」が口癖でした。

 

皆さまのおかげで、下谷医師会から東京都医師会、さらに日本医師会へと活動の場を拡げさせていただき、医療事故や医事紛争などを中心に全国各地の医師会とのつながりを深めさせていただきました。また、「We Serve(我々は奉仕する)」をモットーとしたライオンズクラブにおいても、国内外で活躍の場をいただきました。

 

さまざまなラジオ、テレビ、講演などを通じ、医学情報を発信できる機会を与えていただきましたことは、父にとってとても幸運なことでした。関係者の皆さま、視聴者の皆さまのおかげで、弁舌・話術を磨いていただいたものと感謝申し上げます。

 

故人の遺志を引き継ぎ、これからも社会貢献・奉仕の精神をモットーに尽力いたす所存でございます。

本日、こうして縁ある皆さまとご一緒に先代を偲べますことを、心より感謝いたします。ここに、故人が皆さまから賜りました数々のご厚誼、ご高配に対しまして、謹んで御礼を申し上げます。


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