今日はなぜか浜田省吾さんと尾崎豊さんの曲が無性に聴きたくなって、iPhoneで風呂場で聴きました。




もう一つの土曜日、やっぱりこれ良いです。


昨夜眠れずに泣いていたんだろう

彼からの電話待ち続けて


そして、テーブルの向こうで僕はそんな君が振り向いてくれるのを待っているんですよね。この歌。切ないですね。


いやー、当時の色々が思い出されます。良い歌だな〜ーー。



尾崎豊さんの卒業、この曲が発売された当時、わたしはもう大学生でした。時はバブル真っ最中でした。当時私はBruce Springsteenが大好きで、そんなわたしにはこの曲は結構心に響きました。


風呂場で聴く『卒業』は、青春時代の不安定な心を思い出させてくれました。


風呂から出て早速メインシステムの電源を入れて、聴いてみます。


これがね、不思議なことに風呂場でiPhone のスピーカーで聴く、もう一つの土曜日や卒業の方が、なんか心に響いたんですよね。


特に尾崎豊さんの『卒業』はハイ上がりの録音で聴くのが結構辛い感じです。そっちが気になって歌詞が頭に入ってきません。当時のラジカセで聞いたらちょうど良いのかもしれません。誰かリマスターしてくれないかしら。


今回の経験は、いくつかのことを教えてくれました。


一つは、必ずしもハイエンドシステムで聴く音楽が最善というわけでは無いんだなということがわかりました。


そして、心に響く歌詞の歌を聴いて感動する事は内面的な経験で、どちらかと言うと短歌や詩に感動する経験につながっていて、オーディオでいい音を聴くのは体験と言うべきもので、もっと物理的な快楽に近いんだと言う事です。まあ当たり前じゃんって事なんですけど、この二つが混同されると何かいいのかわからなくなっちゃいますからね。

例えば、今の米国のヒットチャートの曲たちの録音がオーディオ的につまらないなんて言うわたしの感想は、作り手からしたら大きなお世話で、彼らには、そんなもの目指してねーしっていわれちゃうんだと思うんです。

彼らにとっての音楽は彼らの詩歌を相手に心に届けるためのベクターであって、そのためにどう言う音がいいかを考えてるんだなとようやくわかりました。


iPhoneで風呂場で聴く音楽はハイエンドシステムで聴く音楽に劣らない力を持った音楽でした。