現代社会・経済の諸悪の根源は、新自由主義とグローバリズムといえます。

新自由主義という言葉はしょっちゅう出てきますし、私もよく使いますが、その持つ意味をはっきりと分かって使っているわけではありません。それが世の中を悪くしていることは分かるのですが、その詳しい意味となると、知ったかぶり、レッテル張りで使っているようで恥ずかしい限りです。

今読んでいる中野剛志「資本主義の預言者たち」(角川新書)の本の一番最初に新自由主義について書かれていましたので、メモとして引用しておきます。何度も反復して理解して、頭の中を整理しておくべき中身だと思われます。

 

 

中野剛志「資本主義の預言者たち」(角川新書)より

「…新自由主義とは、「自由市場には、価格を通じて資源を最も効率的に配分し、経済厚生を増大する原理がある」という信念の下、政府による市場への介入をできるだけ排除し、経済活動の自由をできる限り許容すべきであるとするイデオロギーのことである。

この教義に基づき、新自由主義者は、「小さな政府」「健全財政(緊縮財政)」「規制緩和」「自由化」「民営化」「労働市場の流動化」さらには「グローバル化」といった政策を推進してきた
 その影響は経済のみならず、政治さらには社会全般に及ぶが、特に、金融市場の自由化がもたらした影響は、資本主義の構造をも大きく変えるものであった。
 新自由主義者は、金融市場の自由化を進めれは全席市場が最も生産性の高い優秀な企業を見つけ出して資金を流し込むという「効率市場仮説」を支持した。企業の生産性の高さは、その企業の株価に反映されるはずだというのである。そこで新自由主義者は、株主の発言力や権限を強化し、企業経営の透明性を高め、企業が株価に敏感に反応するように、企業組織、会計基準、金融証券制度、あるいは税制などの制度を構築しようとした。こうしてできた経済システムは、「株主資本主義」あるいは「金融資本主義」とも呼ばれている。

新自由主義者は、マクロ経済政策については、積極的な財政政策はインフレを起こすものであるとみなし、もっぱら金融政策によって、低インフレを維持することを目指す。税制については、累進的な課税には否定的であり、高所得者層や大企業に対する減税を望ましいものとする。その結果、所得格差が拡大したとしても、新自由主義者は、これを政府の介入によって是正する必要性をほとんど感じない。

この新自由主義というイデオロギーは、一九七○年代末頃から、もっぱらアメリカやイギリスを中心として台頭した。日本においても、新自由主義は、一九九○年代以降、著しく影響力を強めた。例えば、一九九〇年代後半の橋本龍太郎政権や二○○○年代前半の小泉純一郎政権において推進された「構造改革」は、典型的な新自由主義に基づくものであった。

ヨーロッパ連合(EU)は、その根拠法であるマーストリヒト条約により、通貨統合にまで及ぶ高度な経済統合を完成させたが、そのシステムもまた新自由主義的な発想に基づいて設計されたものであった。例えば、EU加盟国は、EU域内における貿易、資本、労働の移動の障壁を撤廃して単一市場を成立させた。また、各国の財政政策については、財政赤字は GDP(国内総生産)の三%まで、公的債務残高は原則としてGDPの六〇%までと厳格に制限した。そして、マクロ経済運営は、独立性の極めて高い欧州中央銀行による金融政策を中心として行うこととなり、低インフレの維持がその最大の目標とされたのである。

こうして、新自由主義に基づいて構築された金融資本主義のシステムは、世界金融危機が勃発した二〇〇八年以前までは、うまくいっているように見えた。

まず、アメリカやヨーロッパの一部では、金融商品の革新と金融市場の規制緩和によって、 資産価格が持続的に上昇するようになり、それが負債の増大と需要の拡大をもたらし、世界経済を牽引した。そのおかげで、日本、ドイツあるいはアジア新興国は、輸出主導型の経済成長に成功した。これら輸出主導型の成長を追求した国々は内需を拡大する代わりに貿易黒字を貯め込み、その資金をアメリカ市場への投資によって還流した。この貿易黒字国からの資金の流入によって、アメリカの資産価格はさらに上昇し、アメリカはますます消費と輸人を拡大した。

実質賃金の伸びは抑制されていたが、グローバル化の促進によって、中国をはじめとする新興国から安価な輸入品が流入したおかげもあって物価水準が低めに抑えられ、消費者はそれほど苦痛を感じずに済んだ。その結果、アメリカは好況にもかかわらず低インフレが維持されるという、一見、理想的な経済状態が持続した

(トラ注:この辺の仕組みをヤニス・バルファキスはグローバル・ミノタウルス(世界黒字再循環装置)と呼んでいます。しかしトランプはこの仕組みを理解できず、高関税政策によってわざわざ破壊しようとしています。経済音痴のトランプ!)

だが、このアメリカ経済及びグローバル経済の好調は、アメリカの資産価格の持続的な上昇と、それに伴う負債の増大が続かなければ、維持できない。要するに、アメリカにおける金融市場のバブルに依存した経済成長に過ぎなかったのである。そして、そのバブルが崩壊したのが、二〇〇七年のサブプライム危機であり、その翌年の世界金融危機であったのだ。

だとするならば、金融主導で成長する資本主義システム、グローバルな経済成長、そしてそれを演出した新自由主義のパラダイムは、世界金融危機を契機として、その正統性を失うだろう。そして、その代わりとなる新たな資本主義システムと新たな経済思想が希求されようになるだろう。それが、「恐慌の黙示録」(中野剛志氏の旧著)の執筆を導いた直観であったのである。

「ニュー・ノーマル」の到来

それからおよそ六年の歳月を閲(けみ)して、当時の筆者の直観を振り返ってみると、それは、部分的な間違いはあるものの、おおむね正しかったと自己評価することができる。
 間違いを認めねばならない理由は、新自由主義が、依然として経済学者、政策当局あるいは経済界の間では、主流派としての(政治的な)地位を譲っていないからである。
 例えば、アメリカでは、世界金融危機以降、金融機関の寡占化はいっそう進み、所得格差もより拡大した。オバマ政権は、世界金融危機の直後こそは積極財政を行い、恐慌を防ぐことに成功した。しかし、ティー・パーティなど政府支出の拡大を嫌う勢力が連邦議会で台頭したために、ほどなくして緊縮財政へと戻ってしまい、景気回復策は、結局、金融政策(量的緩和)が主導することとなった。また、EUは、そもそもマーストリヒト条約によって、新自由主義的な政策以外の手段をとることができず、かといって新たなシステムへ移行しようとする意欲も欠いたまま、極端に高い失業率とディスインフレを放置している。
 新自由主義の支配は、日本においても顕著である。例えば、二〇一二年一二月に成立した安倍晋三政権は、発足当初こそ積極的な財政政策を講じたが、他方で環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加や消費増税と財政健全化、あるいは規制緩和を中心とした成長戦略など、新自由主義的な色彩の濃い政策を打ち出している。また、経済政策の司令塔として位置付けられた経済財政諮問会議や産業競争力会議には、新自由主義者の典型とも言うべき経済学者や企業経営者が名を連ねたのである。
 新自由主義というイデオロギーが持つ政治的な生命力のしぶとさ、そしてエリートたちの思考停止ぶりを、筆者は過小評価していたようである。(後略)」

(引用終わり)

 

中野剛志氏の経済への見方はとても素晴らしいので、今後も機会があれば文字起こしをして記事にしたい。