最近はnoteの国債とか日銀当座預金等の記事をよく見る。その中でもとてもいい記事にぶつかった。

これまで、税金は財源ではない、と三橋貴明さんらが言っていたが、この記事tao_morohoshiさんという方が書いたnote「財源とか、国債の意味とか」を読むと、税どころか、国債すらも財源では無いと述べている。

かなりトンデいるみたいなのだが、解説をじっくり読んでいくと確かにその通りであるというふうに思い始めた。この方は経済学者でもMMT研究者でも何でもなく、介護に携わっていながらMMTや福祉について独自に研究しているようだが、とても中身が濃くて説明がうまくて(といっても結構理解するには何度もよまないといけないのだが)素晴らしい。

そして、大事なこと、つまり結論は

「MMTが明確に示す通り、税も国債も財源ではない。

では、何が財源なのか?

政府支出が財源である。」

であると。

これは先日私が女房にMMTの仕組みを説明したときの結論と同じだった。

素人の女房にMMTを説明するなんてとても難しい。だって自分だってよく分かっていないのだから。だから、説明しながら考えながら論理をたどっていった。

そして私の結論も「一番重要なのは、政府支出だ!」という結論にたどり着いた。国債の発行が一番重要なのではなく、「政府支出」なんだと。

このtaoさんの結論もそうなっていた。

だからこの結論にすんなりとはまったのであった。

(政府支出が財源とは、つまり国家意思なんだと。政府がやろうと思えばできるのだ。財源がないからできませんは間違いだし、後で支出分を税として徴収しますも間違いなんだ!

ウクライナ支援で日本がなぜか9兆円もゼレンスキーの財布を豊かにするのは馬鹿げているが、それを日本国民に増税で負担させるのは更に馬鹿げているのだよ。)

 

最初に結論を書いてもよくわからないはずだから、次に掲げるtaoさんの記事をゆっくり読んでみてほしい。

 

 

財源とか、国債の意味とか

         tao_morohoshi

2021年10月24日

財源について、、、税どころか、国債すらも財源では無い、という事について。
以下は、太陽が昇るのは西か?という問いに、否、東からだ。という回答で満足する人は見なくていい。実は太陽は昇らず、地球が自転して云々、、、というややこしい話になる。
最近ようやく、税は財源では無い、という事が言われ始めた。
 支出を税収から賄わなくて良い、というに留まらず、事実、財源になり得無いのだが、その辺は繰り返し書いてきたのでここは飛ばす。
端的には、預金はデータは入力されるか削除されるだけで、リサイクルされない、というに尽きる。
 

今日は、国債は財源では無い、という意味について。

(もちろん言うまでもなく、本当の財は、我々が必要とする物やサービスであり、それを生産する人や設備や自然環境である。ここで言う財源の財とは、あくまでも実物財ではなく、金融財のことである。金融資産はいかにして発生するのかと言う話である。実物資産は、人であり自然環境であり、誰かが保有したりするものでは本来ない)
 

これまで私はかなり意識的に、財源は国債「でいい」という言い方をしてきた。でなければ、政府支出や政府の赤字支出が財源又は財源は通貨発行と書いてきた。
国債「でいい」という言い回しに込めた意味をまず書いておく。
太陽は西から昇るという人に対して、いや、東から昇るのだ、と言うのは間違いではない。
その文脈で問われている事、つまりどちらから昇る「ように見える」のか、という問いへの回答としては、正しいのだ。
しかし、より正確に事実を述べるなら、そもそも太陽は昇らない。地球が自転しているから昇るかの様に見えるだけで、夜と昼がある理由は、太陽の動きでは無く地球の動きが原因だ。
財源の問いへの回答も、これに似た様相となる。
自転や公転の話までするのは面倒なので、取り敢えず西から昇るのでは無い、という感じで、税は財源では無い、と言い、取り敢えず東から昇ると説明して済ませる様に、国債を財源とみなせる段階がある、という意味で「財源は国債でいい」と言うのだ。

しかしながら、MMTが明確に示す通り、税も国債も財源ではない。
では、何が財源なのか?
政府支出が財源である。

いや、支出する政府預金はどこから来るのかと問うのに、支出が財源だと言われても、理解し難いとは思う。
ここも過去にかなり繰り返し書いて来ているが、改めて書いておく。
そもそも、国債を財源と想定する時に、おかしいと感じなければならない点がある。
国債を買うときに、買い手が支払うお金は、そもそもどうやって買い手の手元に存在するのか?

(トラ注 そう、ここでいつも躓くのである。)
という事である。これは税を財源と考える時に、その税金もお金なのだが、そのお金はどこから来たのか?を問わねばならないのと同じ(外貨建て国債なら、外貨で買えるので、海外から持ち込んだ可能性もあるが、自国通貨建ての場合、自国通貨はどうやって民間に存在し得るようになったのか)。
身も蓋もなく言えば、政府(と中央銀行)が、その通貨を発行した。それ以上でも以下でも無い。
財源は、政府(と中央銀行)による、通貨発行という行為である。


無から現れるという事実は腑に落ちないだろうが、無から資産と負債が同額発生すると理解すれば、0をプラスとマイナスに分割するのと同じなので、理解できるだろう。
(トラ注 0(無)=「+5」(資産)+「-5」(負債)な感じか?)
どのように発行されるのかは、いくつか経路がある。
国債で考えるか財務省証券で考えるか、統合政府か中央銀行を分離させたかの違いでもある。
尚、国債は市中向けに発行されるものだが、国庫短期証券は日銀に直接発行し、日銀が直接引き受けることができる。どちらも財務省証券なのだが、国庫短期証券は市中を介する必要がない。なので、市中に1円もなくても、通貨発行が可能となる。

(トラ注 つまり市中の預貯金の存在を前提にしない。国庫短期証券を使えばまさに無から有が生じる。)
通貨発行の仕組み、OMF(Overt Monetary Financing)とも言うが、これは端的には、財務省証券(国庫短期証券、米国なら財務省ワラント)を日銀に渡し、日銀はそれを資産に置き、同額の負債を政府に渡す(政府預金となる)。
これによって、、、
政府は、負債に財務省証券、資産に日銀通貨(政府預金)
日銀は、負債に日銀通貨、資産に財務省証券

となる。
これで、この世に金融的な財(政府保有の政府預金と、日銀保有の国庫短期証券)が発生した。
一方、金融負債(政府にとっての国庫短期証券と、日銀にとっての政府預金は、それぞれの負債である)も同額発生した。


財源とは、財務省と中央銀行が分かれている現代では(昔は別れてないので、幕府が太政官札などの通貨を直接発行した)政府が証券を発行する行為である(まあ、何を証券とするかだが。極端な話日銀に対する借入のメモでもいいのだ。)。

証券の発行は、支出の為であるので、支出する意志が、金融財の発生の端緒即ち財の発生の源、財源なのだ。
(トラ注 ここが一番の肝だ。何の理由もなく借金のために証券など発行しない。必ず何かに支出したいがために証券を発行するのだ。当たり前だけど重要なポイントだ。

そしてここを理解できない人々が米国債を支えているのは日本だと怒り狂うのだ。その人たちに通貨発行権のことから米国債を日本は買い支える必要なんてない、と説明しても絶対に納得しない。なぜなら、それでは日本が米国に困らされているという怒りの矛先を失うからだろう。倒錯的だ!)
もっとも、この段階ではまだ統合政府内部(財務省と中央銀行)の会計記録に過ぎない。

政府は、上記の行為を民間への支出の為に行う訳なので、政府の資産の政府預金は、民間に支出する。
民間のどこにといえば、銀行に対して支出する。もちろん、銀行にプレゼントする訳ではなく、銀行に口座を持つ、年金受給者や、企業への事業費振り込みとして。
ただ、国庫の政府預金は日銀にあり、企業も個人も日銀に口座は無いので、日銀から個人や企業には直接振り替えられない。
そこで、日銀は政府預金を、同じく日銀内に口座(日銀当座預金口座)を持つ銀行に振り替える。

銀行は、資産に政府預金が入り、これが銀行の準備預金(日銀に預けているので、日銀当座預金)となる。
銀行は、資産の準備預金と、同額の負債としての銀行預金を発行する。
この銀行預金は、個人(年金受給者や失業手当の受給者、特別定額給付金の受給者など)や企業(対政府取引のある事業者)の金融資産である。
こうして、政府が負債と引き換えに行う支出で、銀行には準備預金、企業や家計には銀行預金という資産が発生する。
間違っても、誰かの汗がお金を発生させる事は無い。誰かの汗は、既に誰かが保有しているお金を、移動させるだけである。

(トラ注 この説明なんかは目から鱗だ。我々は、汗をかいたから(労働したから)お金が発生したと考えている。確かに汗をかいた者にとってはお金がふところに入ったのだが、それは使用者のお金が(既にあったお金)移動しただけなんだ。ホント、目から鱗!)

 

まあ、銀行預金の信用創造、つまり政府と日銀で行われることのミニチュア版として、個人と銀行、企業と銀行で、銀行預金を発生させる事はできるが、、、これは民間部門内部で、資産と負債が同額発生する事なので、純金融資産としてはゼロである。
したがって、民間の純金融資産は、政府の支出(政府側に純金融負債を残す事)で初めて生じ得る(これは外貨でも同じ事。外貨とは、海外の政府が発行した負債である)。
以上が基本形である。

実のところ、国債とは、上記で発生した銀行の準備預金(日銀当座預金、日銀紙幣)を回収する行為である。
(トラ注 この言い方もびっくりだ。国債は財源だと思っていたのに、国債とは銀行の準備預金(日銀当座預金、日銀紙幣)を回収する行為だなんて!どういうこと?)

何故回収するのかと言えば、銀行は準備預金の数十倍の銀行預金を、借りたい人に向けて、新たに発行することが出来るからであり、実はこれは有意義ではあるが、あり過ぎると問題も孕むからである(信用創造と言って、銀行は民間への貸し出しの為に、銀行の負債を発行し、顧客の金融資産にしてあげることが出来る。よくある誰かの預金の又貸しは、不正確というより間違った説明である。又貸しで無いなら、どうやって貸すのかと言うと、実は貸すと言うより、新たに発行している。自行の顧客の口座に、貸し出し相当額の数字を新たに書き込む。書き込むだけなので、いくらでも書けるが、国によっては、その書き込める額に制限をかけている。預金準備率と言って、例えば日本なら信用創造(ここでは市中銀行預金の発行)した額の1.3%は事後的にで良いので、銀行側の資産に中央銀行通貨、つまり日銀当座預金や現金を保有しておかなければならない)。

これがどう問題なのかと言うと、政府支出で好景気になり、民間も投資しようとして、銀行から借り入れを増やそうとすると、政府支出額の数十倍まで投資できてしまう。
しかし、投資を回収出来るかどうかはまた別である。人を雇い、材料を買い、たくさん作っても、売れない事はある。
もちろん信用創造で借りた預金は誰かの所得にはなるが、借入れた当事者の売り上げになるとは限らず、負債だけ残る(誰かの資産になってはいる)こともある。
給与支払いや資材購入で使い果たして、売り上げは無く、よって返せないことは、投資が過剰なら必ずそうなる。というか、そう言う事になって、投資が過剰だったと、後からわかるのだが。
すると倒産し、失業が発生し、借金した企業から支払いを受けた誰かは資産を持つものの、借りた当の企業の従業員は所得を失い、消費が出来なくなる。
すると他の企業も売り上げが減り、既存の利益は再投資でなく、借入の返済に使うので、さらに他の企業の売り上げが減る。
こうして、好況の後に不況が起こり、失業と格差が発生する。
こうした景気変動の波を起こさない為の予防策として、銀行の持つ準備預金を、国債に置き換えるのだ。準備預金の残高が少なければ少ないほど、銀行の信用創造可能額、即ち銀行貸出し可能な額は小さくなる。

(トラ注 現在は銀行保有の国債を日銀が大量に買い取ったから、銀行には日銀当座預金が山のように残っているのだが)
これは、金利としても現れる。
国債を買う為に準備預金を使うと、準備預金は減る。
しかし、預金の引き出し時には準備預金(日銀当座預金と日銀紙幣)を取り崩すので、準備預金が不足するケースが出てくる。また、他行への送金でも、自行の準備預金が減る。
したがって、(銀行が)国債を買って準備預金が減ると、銀行の資産の額としては変化ないが、預金送金や引き出しの為に(実は、納税の時期にこそ多量の預金と準備預金が減る)、準備預金を、余っている他行や日銀から借りる必要が出てくる。
借りる時に、金利を払う。借りる銀行が多ければ、金利を多く提示する銀行を優先して貸すので、銀行間の金利が上がる。

こうした金利は銀行による銀行預金の企業融資に転嫁されるので、貸出金利が高くなる。
すると、民間の借入需要を抑制させる(ただ、MMTでは、その抑制がどこまで確かかは疑問視する。なので、金利操作の為の金融政策には重きを置かない。それよりも、財政政策、政府から実体経済への支出と、徴収、分配や再分配のあり方を重視する。税制や公定価格の設定や雇用政策である)。

この様に、金利であれ、準備率であれ、政府の支出と国債による回収で操作している。
要するに、国債とは、支出の為の政府のお金の調達手段ではなく、政府が支出した"後で"、過剰なお金が投機的に使われて混乱を生じさせない為に、回収する仕組みなのだ。
なので、どう考えても、財「源」ではあり得ない。

まあ、国債→コクサイ→コクサイコクサイコクサイコクサイコクサイコク、、、→サイコク→催告?
見たいな、どこで区切って考えるかで、見え方が変わると言うに過ぎない。

尚、追記すると、政府と日銀で通貨発行→政府支出→準備預金増→国債発行→準備預金減
という経路以外に、日銀が先ず市中金融機関に日銀当座預金を貸す事もあり得る。
この場合、日銀の負債に準備預金、資産に貸付金(銀行発行の借用書)となる。
銀行は資産に準備預金、負債に借入金(銀行が振り出した借用書の控え)となる。
で、銀行は準備預金で政府から国債を買い、その国債を日銀に売る。売って日銀当座預金を受け取り、それで先の借入金を返す。
尚、この間に銀行は政府から国債の金利と、日銀がそれを買う時に付けてくれる利鞘を得る。この分は、統合政府の純負債として残る。
眺めてみれば、実に意味の無いルーティンと分かる。
なので、MMTでは、国債廃止論も含まれるのだ。まあ、それを言い出すと抵抗があるので、取り敢えず現行のルーティンでも機能はするので、あまり言わないだけ。
しかし、財源は国債であるとか、国債発行して財政出動するのがMMTだと言われると、それは切り出し方が部分的すぎると言わざるを得ない。
MMTからは、税も国債も財源では無い。

長くなった。

さて、最近、財務省次官(トラ注 矢野次官のこと)がまたおかしな事を言っていた。
あれは、単式簿記(財務省単体ののバランスシート)で考えるから、さも破綻するかの様に見えるが、複式で見れば、そんな事はない。
と言う事を、他のところで書いたやつを、ここに貼っとく。まあ、散々繰り返した事であるが。

> 複式簿記についてですが。
財務省発行の負債は、日銀が買えば日銀の資産。
買うときに支払う日銀通貨(国庫に行くので政府預金)は、日銀の発行する負債。
どちらも発行しているので、無から発生。ただし、無から資産と負債が発生している。
ゼロをプラスとマイナスに分割した感じ。

さて、日銀の負債の政府預金は、政府支出で、民間に向かう。手渡しではなく、銀行に支払われる。
政府の資産の政府預金が、民間銀行の資産の準備預金(日銀当座預金)になる。
銀行は受け取って資産増えてオシマイ、ではない。
そもそも政府支出は、年金とか、公共事業とか、民間の企業や家計の個人への支払い。なので、銀行は政府から振り込まれた資産と同額の負債を発行する。
銀行の負債とは、銀行預金の事。銀行預金は、我々の資産。
トータルで見ると、財務省の発行した負債と同額の日銀当座預金と、銀行預金が発生する。
この内、日銀当座預金は銀行の資産で日銀の負債なので、ここを省略すると、、、財務省の負債は、同額の銀行預金(民間の家計や企業の純金融資産)を発生させる。
となる。
単式簿記とは、財務省の負債が増えた、問題だ。という部分だけの話。
複式簿記で、財務省、中央銀行、市中銀行、民間非金融部門(企業と家計)の4つを見ると、財務省(政府)の負債は民間の資産(やや雑な言い方だが)、という事になる。
つまり、負債と資産はバランスしてるので、特に問題ない、というか、財務省の負債を減らすと、民間の資産が減る、という理解になる。
、、、上に長々書いたやつの繰り返しみたいだな。
(トラ注 この辺の説明はもうひとつよく分からんねえ)
 

MMTは、自国通貨を発行する国には、支出能力に限界は無いとは言う。
ただ、これは日本語の問題なのだが、支出「出来る」と言うことと、支出「すべき」とは違う。
支出能力に制限はなくとも、支出先は制限されるべきである。

(トラ注 私はこれを、バイキング料理を食べる客という比喩で捉えたらどうかと思っている。

バイキングではいくら食べてもいい。無制限だ。しかし、無制限だからといって人は無制限に腹に詰め込むことが出来るのか。当然人間の胃袋という限界があるのだ。)

(引用終わり)

 

結構難しいことを言っているので、私も十分に理解したとは言えない。しかしこれをじっくり読めばいろいろなことが理解できるようになる。

 

最近目につくのは、アメリカ憎し、従米の日本を批判したいために、米国債を日本は無理やり買わされていると怒っている人が多いが、こういう論者はMMTに批判的である。

アメリカのMMTは左翼が論じている(頭のおかしいオカシオ・コルテスなど)からかもしれないが、原因はMMTのいう通貨発行権とか信用創造を悪の元凶(米国政府の勝手な振る舞い)と決めつけているので、貨幣の意味や国債の仕組み、通貨発行権などを学ぼうとしないのだ。

MMTはイデオロギーではなく、かなり技術的・論理的な解説に終始しているというのに。

食わず嫌いだから、MMTからの栄養を取り込もうとしない。MMTへの先入観、偏見を取っ払って謙虚にMMTの説明を読めばいいのになあと思うのだが。

 

参考に[cargoブログ]というブログからの国債と政府支出関連の説明です。

 

 

cargoブログより

「国債買い入れの見合いで大量の通貨が発行された。デフレ脱却を目指し量的緩和をしており、これが奏功して将来デフレから脱却すれば、大量の通貨はインフレ要因となる。それでも金利を抑えようと日銀が国債を買い入れれば、インフレを助長する。そのインフレによって、矢野氏の言うように大きな負担が国民にのしかかる。」

(土居丈朗慶大教授)

ひょっとしたらこの人はいまだに日銀当座預金の存在を知らないのではないでしょうか…。
まず、量的金融緩和によって国債を買うマネーは「通貨」ではなく「準備預金」ですよ。
その準備預金は銀行間取引でしか流通させることができないので、各民間銀行の持つ日銀当座預金に積まれることになります。
つまり通貨として実体経済市場(預金・貸出市場)に表出することはないので、モノの取引によって生じる物価の変動とは殆ど関係ありません。

量的金融緩和のスタート時には、好景気になるという期待を誘因することによって消費を促し、物価に働きかけるというクルーグマン風の論理があり、当初は多少は効いたところはあったでしょうが、消費増税や緊縮財政によりいわゆる「出オチ」状態となり、2014年以降は殆ど大きな効果を及ぼしませんでした。
よって、土居氏が言っている「金利を抑えようと日銀が国債を買い入れれば、インフレを助長する。そのインフレによって、矢野氏の言うように大きな負担が国民にのしかかる」ということは、ほぼほぼ起こり得ません。
それにそもそもアコモデーション(金融調整)には、異次元の量的金融緩和で金利を低廉に抑えるために使用したような沢山の準備預金は必要のないものです。

嘘だと思うのなら国債金利とマネタリーベース発行量の推移を比較してください。殆ど相関性もないですから。
慶應大学の経済学部教授で、財務省・財政制度審議会の委員を務める権威ある人物がこのような情報弱者っぷりを恥ずかしげもなく披露するというのは愕然としますよね。

もう一度「図」をご覧いただきたいのですが、「政府支出だけは”超えられない壁”を超えられる」というような記述があります。
実際にはもっとややこしい経路を歩むのでこの図の通りではありませんが、簡略化すると、政府支出だけが直接皆さん(民間非金融部門)に通貨を届けることができるということです。
しかもこの政府が作ったお金は、皆さんが民間金融部門(銀行など)からお金を借りて信用創造させた場合の「負債としてのお金」とは違い、政府が国債を発行して借金を肩代わりして創造してくれるものなので、受け取った側にとっては借金でもなんでもなく、純粋な資産となります。
コロナ禍で10万円の給付金が振り込まれた時、ただ純粋に皆さんの口座の預金額が10万円分増えましたが、そういうイメージになります。
では、政府はそのお金をどこから借りているのかというと、自分の子会社である日本銀行です。

政府が国債を発行して、日銀の発行する準備預金と交換して、通貨としてお金をこの世に表出させています。
「自分でお金を作って自分に貸している」もしくは「右のポケットから左のポケットにお金を移しているだけ」の状態なのですから、一生破綻することはありません。どうやったって財政破綻することはできないのです。」