ザイム真理教信者は、財務省のいう公的債務残高が膨大だから「財政破綻が起きる」とか「円の信認が失われる」とか「国債の利子払いが膨大となり国家予算が圧迫される」「ハイパーインフレになる」と信じ込んでいるようです。

その大元は「借金は返さないといけない」と心底信じているためです。あるブログには「いつからお金は返さなくてよくなったのか?」なんて書かれています。そういうふうに単純に考えるから騙されるんですね。

 

 

公的債務残高が膨大だから財政破綻が起きるという間違いはかなり払拭されているように思いますが、それでも膨大な債務残高は返せるわけないからいつか破綻するという恐怖心が残ります。

国債=債務=借金=借金は返さないといけない=国債は返さないといけない

という連鎖ですね。

しかし、今国債について認識を新たにする見方は

「国債の発行は通貨の発行(供給)である」 

「国債残高の規模は単なる国債が発行され、国民資産を増やしてきた記録に過ぎない」

「政府債務の累積は、過去の民間への貨幣注入(所得創出)の記録に過ぎない」

「財政赤字は単なる民間経済への貨幣注入にすぎない」

等々です。

でも「政府債務の累積は、過去の民間への貨幣注入(所得創出)の記録に過ぎない」と言われても国債は借金なんだから返さないと、となり、どうしても「国債は返さないといけない」という考え方から抜け出せなければ、「国債残高の規模は単なる国債が発行され、国民資産を増やしてきた記録に過ぎない」といっても納得しないでしょう。

私も何度も国債の説明を見たり読んだりしても他人に分かりやすく説明できる域まで至っていません。ですから、ちょっと斜めから質問を受けると立往生してしまいます。

これまでに何度もMMT関連記事を書いてきましたが、本当のところまだよくわかっていないのです。

それでも、なんとなく「政府債務の累積は、過去の民間への貨幣注入(所得創出)の記録に過ぎない」という説明が正しく、これが理解できればザイム真理教に太刀打ちできると思っています。

 

なので、私に今出来ることは、正しく国債の意味を解説してくれている(と思われる)ブログ記事(noteには素晴らしい解説記事が沢山載っています)を紹介することです。なんかいいことを言ってるなという直感で紹介するので全部分かっていません。でもそれを続けることで理解が少しずつ深まることを確信しています。

 

今日はNoirnoirさんという方のnote記事を紹介します。

ひとつは

「金本位制の時には「国債は借金」だったのに、金本位制でなくなったら「国債発行残高は、単なる通貨発行記録」になったのは何故?」

もう一つは、

「日銀当座預金の説明をせずに「国債発行で民間の預金が増える」のを説明してみる」

です。

 

「金本位制の時には「国債は借金」だったのに、金本位制でなくなったら「国債発行残高は、単なる通貨発行記録」になったのは何故?」

 金本位制の時には、確かに「国債は借金」でした。しかし、金本位制がなくなったら、「国債発行残高は、単なる通貨発行記録」になりました。この仕組みの変化が今一つスッキリと飲み込めなかったので、詳細に考えてみました。(本稿では「国債」に話を絞るので、「民間銀行の信用創造」は考慮しません)

中央銀行制の国では、通貨は「中央銀行」が発行していますが、中央銀行自身は「通貨と、国債や債券などを交換」しているだけで、支出はしません。「交換」している相手も、ほぼ閉じられた「日銀ネット」の中で通貨と債権をやり取りしているだけで、民間の中に流通する通貨にはなりません。

「通貨を支出」するのは「政府」であり、その際に政府は「国債」を使って行います。

つまり、政府は自らが発行する「国債」を通貨に換えて支出し、それが民間を流通していきます。すなわち、民間を流通する通貨は、「日銀による通貨の発行」ではなく「政府による国債の発行」で増えます。

このように、以前から「国債」は「政府による通貨発行記録・政府支出の記録」でした。ただし、金本位制の時には「国債は通貨に換えられるもの」であり、かつ「通貨は金(きん)に換えられるもの」でしたので、「国債の発行限度」は、少なくとも形式上は、「金(きん)の保有量」でした。

ところが、金本位制がなくなったあとには、「国債は通貨に換えられるもの」のままでしたが、「通貨は金(きん)ではなく、ただ、通貨に換えられるもの」でしかなくなりました。そのため、原理上は「発行限度」がなくなりました。ただし、際限なく通貨を発行すればインフレが起きますので、インフレ率が制約となります。

まとめますと、中央銀行制の国では、「金本位制」の時からずっと、「国債は政府による通貨発行記録・政府支出の記録」でした。しかし、「金本位制」の時には「国債は通貨と、通貨は金(きん)と換えられる」、いわば、「国債や通貨は、政府・中央銀行が振り出した『金(きん)の借用証書』と同じもの」だったわけです。

しかし、金本位制がなくなった時点で、「国債や通貨は、通貨とのみ換えることができる」というモノに成り下がったわけです。そのため、「金(きん)の借用証書」ではなくなり、単なる「政府による通貨発行記録・政府支出の記録」に過ぎなくなった、というわけです。

なお、中央銀行制を採らない国では、政府が「国債を発行」の代わりに「通貨を発行」しますが、原理的にはすべて同じです。「通貨発行が、政府による通貨発行記録(同義反復ですね)・政府支出の記録」であり、「通貨は、以前は『政府が振り出した金(きん)の借用証書』だったが、今は違う」というだけです。

「金本位制」が無くなった「ニクソン・ショック」時には、「大変なことになる」と考えた学者・官僚は多かったはずです。しかしながら、過ぎてしまえば、あたかも、それまでと類似の政策で乗り切れてきたように見えます。

しかし実は、中身で大きな変化があったのに、それに気づかず進んでしまったことで、日本は「マネー戦争」で敗北し続けています。今からでも、自分たちの失敗と、成功した国の対応を学ばなければ、未来永劫、国と国民の富を奪われ続けることになります。

私たちは学ばなければなりません。

 

「日銀当座預金の説明をせずに「国債発行で民間の預金が増える」のを説明してみる」

 国債発行で民間の預金が増える」というのは、「知ってる人は知ってる事実」ですが、それほど一般的な知識にはなっていません。「国債発行のメカニズム」を説明する時には「日銀当座預金」の説明が欠かせないのですが、この「日銀当座預金の仕組み」というのが結構複雑で、これを理解するまでに相当な時間と手間がかかってしまいます。でも「政府の国債発行で民間の資産が増える」という知識は、国債が借金ではない事や、財政破綻説がデマでしかない事を広めるうえで決定的に重要であり、多くの国民になるべく早く知ってもらう必要があります。

そこで今回は、日銀当座預金の説明をせずに「国債発行で民間の預金が増える」のを説明してみることにしました。

では、順を追って説明していきましょう。

① 政府はA社に土木工事を依頼、A社は実施、政府はA社に1億円の政府小切手を払う。
② A社はB銀行に政府小切手を持ち込み、預金(預け金=資産)に換えてもらう。A社は「仕事をして、預金が1億円増えた」、B銀行は1億円の政府小切手(資産)を持ち、A社の分の預金(預り金=負債)を持って、トントン。

ここまで、特に問題は無いですよね。では次へ進みます。

③ B銀行は政府小切手を何とかしたい。政府は「その政府小切手を、1億円の現金(利子無し)でも1億円の国債(利子あり)でも、どちらでも換えてあげるよ」と呼びかける。
④ B銀行は、資金繰りに酷く困っていない限り、「利子付きの方が良いに決まってるでしょ。国債よ!」と言って、国債に換えてもらう。B銀行は1億円の国債(資産)と1億円のA社の分の預り金(負債)を持って、やはりトントン。

ここで重要なのは、国債も現金も信用度合いは変わらないので、国債の方が利子が付くぶん得ですから、直近の資金繰りによほど困っていない限り、銀行は必ず国債を選ぶということです。なにせ、0.1%しかつかなくても1億円なら利子10万円ですが、100億円なら1000万円ですから、利子が付いた方が得に決まっています。それを称して「国債は定期預金と同じ」と言っている人もいます。

⑤ 政府は、1億円の負債は負ったけど、1億円の土木工事をしてもらったので、別に損していないし、何も困っていない。銀行に「国債あげるから現金返して」と言われたら現金を払っても良いけど、有利子の国債をわざわざ無利子の現金に換えるアホな銀行はいない。政府側からすると、国債は永遠に借換えで困らないし、事実、世界中の国でそうやってきている。
⑥ 結局、A社は1億円資産増加、B銀行はトントン、政府は1億円負債増加したが何も困っていない。

この説明は「最初に国債売買から始まっていない」「最初は、民間に仕事してもらうところから始まっている」のがミソです。その方が普通の人には理解しやすいのではないでしょうか?

良く見る説明の文章では「国債を政府から民間銀行が買う」ところから始まるものが多く、そうすると「その買うお金はどこから来たの? 民間の預金じゃないの?」というところで、最初の誤解・誤りに嵌まってしまいます。

本当は「日銀当座預金」という日銀が供給する資金で買っていて「民間の預金」は全く関係が無いのですが、そこの仕組みの理解が容易ではないのです)。

そこから、よく聞く「民間預金を使い切るまでは国債は発行できるけど、それを超えたらもうダメなんだ」という誤解・勘違いが生まれます。

今回の説明の中で「民間の預金」は「A社の預金が増える」ところにしか出てきませんし、増えるだけで減ったりしません。

今の説明で「民間預金で国債を買う」ところがありましたか? 無いですよね。そうです、「民間預金を使って国債を買う」ことは、全くしていないのです。

ここで、「いや、私は、自分が積んでた銀行預金を引き出して国債を買ったよ」という人がいるかもしれません。そうです。「個人向け国債」と言うのは、同じ「国債」でも非常に特殊で、そういう仕組みになっています。ただし、額は非常に少なく、令和2年度で3兆円あまりしかありません。このNoteの他の記事で示したように、毎年100兆円以上を発行している国債と比べると大変少ない額と言えます。

政府が金融機関(主として銀行や保険会社など)に通常売っている国債は、実際には「日銀当座預金・日銀ネット」という、もともとは日銀が供給しているお金で回っている「ほぼ閉じた系」で売買されています。そのため、民間預金の入り込む隙間はほとんどなく、当然その売買に民間預金は全く関与していないのです。

しかし、日銀当座預金を含めての説明や理解は正直容易ではないので、今回の私の説明では日銀当座預金の説明をスルーできるようにしたのです。それでも理解の肝心な部分はほぼ抑えていると思います。

⑦ 多くの人が勘違いしているのは、「A:国債の発行」と「B:政府が民間に仕事してもらう、民間に金を渡す」とが分離しているように思っていること。政府支出なしの国債発行だけなら、もちろん民間の預金は増えない。
⑧ しかし、Aは必ずBと紐づいている。というより、最初に政府支出があって、それを埋めるために国債発行が行われる、という理解の方が真実に近い。だから、国債発行時には、必ず政府支出が行われており、結果として民間(企業+家計)の預金は必ず増えるのだ。

ここが重要です。

多くの人が「まず国債を発行するんだろ。でも、国債発行しても民間の預金なんか増えるはずがないじゃないか!」と考えています。しかし、「国債発行」というのは「同額の政府支出」とセットになっているのです。むしろ、上述したように「最初に政府支出があって、それを埋めるために国債発行が行われる」と理解すべきなのです。ですから、「政府支出があるのだから、その分、民間(企業+家計)の預金が増えるのは、当たり前すぎるくらい当たり前の話」なのです。「国債発行して政府支出する」あるいは「政府支出して、その分の国債を発行する」ことが、民間の預金を増やすのです。

(引用終わり)

 

国債を発行するのに民間資金を使ってはいないのです。国債の原資は借金ではなく、国による信用創造つまり通貨発行、通貨発行権を持った国家が国債の原資を作り出しているのです。なので、借金ではないから返す必要がないのです。

このことについて、TKMAさんのnote「財政赤字は借金ではないという事実」(2021.10.18)が参考になりますが、引用しながら私もよく分かっていません。すいません。直感だけで引用しました。

 

「財政赤字は借金ではないという事実」

さて、何やらツィッターを観ていたら、放送作家のテリー伊藤さんが「日本は1000兆円の借金がある」「それを返すのは孫子の世代だ」という典型的な財政破綻論を思いっきり信じている様子が放送されていたので、とほほほ~と思いながらも、もういちど、わかりやすく書いてみますね。

赤字国債は、「赤字」という名前がついているし「国債」と呼ばれるので一見、借金のようですが、借金ではないのです。それは断言いたします。
ここで言う借金の概念とは、借りた金だから、返さなければいけない、ということです。

通常、このような説明をする場合、国債発行は日本国民の借金ではなく、日本政府の借金なのだ、という説明もあります。確かに借金ではあるのだが、借りている人がちがう、という論旨ですね。

もちろん、これもある意味正しいのですが、本当のところを言うと、自国通貨建ての国債はそもそも借金ではないのです。

その説明をしますね。どうか伝わりますように。偏見のメガネを外して、落ち着いた気持ちで読んでください。

皆さんは「円」というお馴染みの通貨がどのようにして生まれたか、ご存知でしょうか?歴史の話です。まさか、「円」という通貨が地中に埋まっていて、それが発掘された、とか、そんなふうに思っている人はいませんね?お金はすべて、人間が作り出したもので、自然物ではありません。

では、まだ「円」という通貨がなく、江戸時代の「両」などが使われていた時代を想像してみてくださいね。そして江戸幕府を倒し誕生した明治新政府は、その状態から「通貨そのもの」を変更したのです。ものすごいことですよね。今で言えば、政権交代したら、通貨の単位が変わるようなものです。
でも、それまでの時代のシステムを刷新するために、実際に明治時代に行われたのです。すごいですよね。そう、「円」は明治時代になってから生まれた通貨であって、それ以前にはこの世に存在していなかったのです。1871年(明治4年)に作られました。
その頃はまだ日本銀行は存在しなかったので、明治政府自身や、政府が作った国立銀行が、直接お金を発行していました。今に例えれば、日本政府が直接お金を発行していたのです。当たり前ですよね。世の中に生まれたばかりの通貨です。
他に誰も作ったことのないものですから、日本政府がつくるしかありません。このお金を「政府紙幣」と呼びます。

 

明治5年発行の明治通宝

 

  明治6年発行の明治政府紙幣

で、作ったお金はどのように民衆の手に渡ったか。
ここがポイントです。

国が、国民の作った生産物や、国民の労働力を買う、という形で国民の手に渡っていったんですね。
例えば、お米とか、あるいは何かを建設するために働いてもらうとか、そういうことをやって、代金や賃金を支払うときに、新しくゼロから自分でつくった「円」で支払った、ということです。

国民が国のために働いたり、国に何かを売るという、なんらかの仕事と引き換えられたのですね。

こうやって「円」がだんだんと世の中に広まっていったわけです。

繰り返しますが、そのとき支払った「円」は、政府がゼロから印刷して作った政府紙幣です。
そして、これがお金が発行され、世の中に供給される仕組みの基本なのです。

ここまでの流れの中で、誰も借金なんてしていませんね?ここまで、いいでしょうかね?

その後、戦費の調達などで各国立銀行や政府が紙幣を乱発したおかげでインフレが起きてしまい政府はそれを反省して、お金の量をコントロールするために中央銀行を作って、お金は勝手に作らず中央銀行が作ることに一本化したのです。それが日本銀行であり、日本銀行が作った券、日本銀行券が、いまの紙幣ということです。

つまり、それまで政府自身でお金を製造していた(政府紙幣)のをやめて、一応、別の部門である中央銀行(日銀)がお金を作る、ということにしたのです。

なぜそうしたか?と言えば、みんなが好きなだけお金を刷ったら、過度なインフレが起きてしまうからなんですね。

え?お金を刷りすぎるとインフレが起こるの?
・・・はい。そのときはそうだったのです。その理由はあとで説明しますね。

とにかく、そのような経緯から、日銀は、政府の要請で紙幣を製造して直接、政府に納品するのではなく、政府にいちど国債を発行させて、それを民間銀行が買い取り、さらにそれを日銀が買い取る、というまどろっこしい発行プロセスを踏むことによって、お金の乱発を防げるようにしたんですね。

では、気になるインフレ、とくにハイパーインフレが起こる理由を説明しますね。

当時のお札は、「兌換紙幣」といって、それを銀行に持っていけば金(きん)や銀と交換してもらえました。紙幣は金貨や銀貨の代わりのものだったので、その紙切れが確かにお金と同じ価値があるという信用を裏付けるために、金・銀と交換できたのです。そのことが紙幣の信用を裏付けていたのです。

しかし、兌換制には問題があって、通貨の発行量が金や銀という自然物と紐づけられているので、経済規模の拡大に合わせて紙幣を自由に発行できなかったんですね。

それでもお金が必要な状況はあります。戦費調達とかね。そうなると、実際には金銀と交換できないほどの大量の紙幣を発行してしまいます。
すると人々は不安になりますよね。このお札は、ちゃんと金銀に変えてもらえるんだろうか?と。
すると不安になった人々がお札を金銀に変えようと我先にと銀行に殺到します。
こうして取り付け騒ぎという現象が起こって、お金の価値が大暴落してしまったんですね。

それに対して、今のお金は「不兌換紙幣」といって、銀行へ持っていってもそもそも金や銀に交換してもらうことはできません。今のお金は管理通貨紙幣といって、国がその信用の後ろ盾に存在していることで、お金そのものが「その価格分の価値がある」と皆が信用しているのです。

それによって紙切れである紙幣がお金として流通しているし、皆が無条件にお金の存在を信じるからからこそ、デジタルデータにすぎない銀行預金のやりとりで、経済活動をしているという状況が今なのです。

明治時代や戦後など、日本で過去に起きた極度なインフレは、需要に対して供給力が追いつかなかったことと、兌換制だったことに原因があるんですね。

そういう経緯でお金は中央銀行が発行するようになったものの、このまわりくどい貨幣の発行の仕方は、実質的に政府紙幣時代の貨幣供給と同じことだとお気づきでしょうか?

国債発行によって生まれたお金は、何に使われるか?と言えば、国が国民から何かを買い上げたり、橋とか堤防とか、何かを作るときに国民の労働力に対する賃金にするためですね?

そうです。最初に儀式として国債という借用証書を発行する手続きをとっているので、一見「借金」に見えるのですが、その実態は、政府によるたんなる通貨発行に過ぎない。つまり、返す必要がまったくないものなんですね。
ここまで、わかるでしょうか?

ところで、この世に、お金を生み出せる組織は、ふたつあります。
ひとつが民間銀行で、もうひとつが政府(日銀を含んだ統合政府)です。

両者に共通しているのは、お金が生まれる時は、「借金」というカタチをとる、ということです。

普通、お金を借りる人というのは、借りたお金を大事にしまっておく、などということはしませんね。
借りたお金を貯金することほど馬鹿げたことはありません。利息がついてしまいますからね。何かに対して支払う必要があるから、お金を借りるわけです。

家を買うため、車を買うため、会社を起こすため。いろんな理由がありますが、そのお金は「使うため」に借ります。例えば銀行に行って、「家を買うので3000万円貸してください」と頼む。そうすると銀行が3000万円という金額をあなたの通帳に書き入れてくれます。そして、この3000万円を住宅購入のために支払った時、世の中に3000万円というお金が新しく生まれたことになるのです。ゼロから生まれたのです!
驚きますが、これが真実です。これが銀行がお金を生み出す仕組みで、これを「信用創造」と言います。そして、この支払いに使われた3000万円は、様々な人の手に渡りながら、世の中を泳ぎ回っていきます。
いま、あなたの手の中にあるお金も、そんなふうに世の中を泳いでいるお金が一瞬あなたの手の中に止まっている状態なのですね。

で、その3000万円の借金を、例えば20年ローンで返済するとします。20年経った時、借金することでこの世に生まれた3000万円は、その借金の完済とともにこの世から消滅し、利息として支払ったお金が銀行の利益となって、この世の残留します。

これが銀行から生まれたお金(銀行預金)の一生です。宇宙の星にも一生があるように、我々の手元にあるお金、通帳に書かれた数字としてのお金にも、一生があるのです。

お金は誰かが支払いのために借金することによって誕生し、借金が返済されることで死んでいくのです。

国債も基本的にはこれと同じ流れになります。
橋を作るからと、政府が1億円の国債を出します。それと引き換えに日銀がゼロから1億円を作り出し、政府に渡します。(本当は民間銀行を一度経由しますがね)政府はその1億円を民間業者に払って、橋を作ってもらいます。民間業者がうけとった1億円は、労働者たちの所得となって、この社会の中をぐるぐるまわるわけですね。

ここまで、もう理解できましたよね?

でも、民間銀行からの借金と、政府の借金である国債には、ここから大きなちがいがあります。

民間銀行の借金は返済の必要がありますね。だから、その借金が返済されれば、その金額分のお金が死んで世の中から消えることになりました。

しかし、国債発行によって世の中に流れたお金は返済の必要がないため、この社会の中に止まり続けて、死んで消えることなく、我々の経済を支えるベースのお金となるわけです。

なぜ返さなくていいのか?
それは、国はお金そのもの(現金)を作り出す能力があるからです。そのお金は「借りたもの」ではなく、「発行されたもの」だからです。

国は、借金のような手続きによって現金を発行し、財政出動をつうじてそれを市中へと供給するのです。つまり、今の国債発行とは、借金ではなかった明治時代の政府紙幣と本質的には同じことなんです。
政府が発行した紙幣を、再び政府に返さなければならない理由があるでしょうか?

その紙幣を使って市民たちが経済活動を行うことによって、市民の経済は栄えるわけですし、もしそのお金を「借金の返済」と称して国が集め、国債の償還にあててしまえば、この世からお金が死んで、忽然と姿を消してしまうのです。

財政の黒字化とか、プライマリーバランスの黒字化、などとよばれることを本当に実現したら、我々の社会の中に存在する1000兆円のお金が死んで魔法のように消えてしまい、日本はスッカラカンの貧乏国家になるのです。ご理解いただけましたか?

それでは、ここでひとつ、面白いお話をしましょう。
皆さん、日本の「円」の現金は2種類あると知っていますよね。紙幣と硬貨です。

これ、出している組織がちがうんですね。紙幣は日本銀行がだしていますね。日本銀行券ですから。

では硬貨は?これは政府が出しています。つまり、政府紙幣はもう存在しませんが、政府はごく少量ですが、今でもお金を自分で発行しているんですね。それが500円玉などの硬貨です。

では、ここで面白い思考実験をしてみましょう。
いま、世にいう政府の借金が1000兆円あるとします。

これは本当は借金ではないので返済する必要はないのですが、それを国民からの税収で返済したら、国が滅んでしまいます。
そこで、どうしても返済したいなら、こんな方法があります。

日本政府が、政府が発行するお金、つまり硬貨をつくります。例えば、1000兆円硬貨を1枚だけ製造します。(今の法律ではそれはできないそうですが、法改正をして。)
もちろん元手なしで、無からつくります。大きさも、100円玉くらいで何の差し支えもありません。そして、その1000兆円硬貨を国債の償還として、日銀の金庫に入れて、永遠に閉じておけばいい。
どうでしょう? これで、政府の借金の返済は終了です。

政府は自分でお金を作ることができ、自分で作った借金の返済を、自分の作ったお金で行うことができるからです。

そんなバカな?と思いますか?
実は日本政府はこれとほぼ同じ意味のことを、すでにずっとやっています。

政府には1000兆円を超える国債残高があるのですから、毎年毎年、満期がきて利息と共に支払いが発生しているはずですね。それはどうやって支払っているか?といえば、ただ単に、その分の新規国債を発行しているだけなのです。つまり「借り換え」をつづけているんですね。今年支払う金額と同額の新しい国債を発行して、支払いに当てている。それを永遠につづけていけばいいだけの話なのです。

でも、そんなことをしていたら、いつかとんでもないことになるんじゃないか?そんな気がしてしまうのも、なんとなくわかります。人間に例えたら、借り換えに借り換えを重ねて、借金を一切返済しない人間はろくでもない奴に決まっています。

しかし、国家の財政や通貨発行の仕組みは、個人や家計とはまるでちがうものです。それは日本がだらしないからやることではなく、日本の人口と経済状況、生産性などから、自ずと必要な普通のことなのです。

いくらでも借金をしていいはずがない、と人間なら思いますよね。でも、それは借金ではなく、通貨発行なのだ、ということなら、問題ないとわかるはずなのです。

もちろん、通貨発行も無限にOKではなく上限はあります。通貨の信用が損なわれない範囲で、ということになりますよね。
では、どんなときに信用が損なわれるか?
ハイパーインフレや財政破綻が起こりそうな通貨は信用がなくなるはずです。

では、ハイパーインフレはどんなときに起こるのか。
それは、人がそのお金に託された約束を守れなくなったときです。つまり、その金額で買えるものをちゃんと作れなくなったとき、ということ。そのお金の分だけものが供給できなくなれば、物価がどんどん上がってしまいますね。お金の量の問題ではなく、需要が供給量を大きく上回ったときに起こることです。そこさえコントロールできていれば、金額そのものはいくらでもいいのです。
あなたが人と約束するとき、約束の回数では決めませんね?その約束を守り切れるか?だけが重要です。

財政破綻はいつ起こりますか?
日本は、すでに1000兆円の借金(?)があるのに、財政破綻していないし、金利も地を這うように低いままですよね?なぜだと思いますか?
日本はむしろ、自国通貨建ての国債による財政赤字では、通貨発行権を持ち、変動相場制の国であれば、財政破綻は起こり得ないということを世界に向けて証明している国なのです。

「円」という通貨の信用は、我々自身がこうして証明していることで担保されている。

そういうことなのです。

さて、お金を刷ること、つまり国債を発行することは借金ではない、ということは、ここまででもうご理解いただけたでしょう。

どんどんお金を増やしたら、ハイパーインフレが起こる!という不安も、ハイパーインフレが起こるメカニズムが、単純なお金の量ではなく、需要が供給を大幅に上回った時に起こるとわかれば、注意すべきポイントをしっかり見極められますね!

我々日本人に、一人当たり900万円の借金はないのです。なんなら、国債発行で、誰も借金はしていません。1000兆円という数字は、政府がこれまでに発行し、民間に供給したお金の金額の累計です。税金でお金を回収し、火をつけて燃やしてしまえば、その累計金額を下げることは可能です。

しかし、それは今必要なことでしょうか?それが必要な時というのは、我々も実体経済があまりにも絶好調に回り過ぎているときだけです。少なくともこの国で、そのような現象は、30年起きていません。
もういいですよね?

以上です。

(引用終わり)

 

長いけど結構説得的ではありませんか。国債はそもそも借金ではない、通貨発行なんだ、だから返す必要なんてさらさらない、つまり膨大な債務残高というもののそれは困ったことだではなく、それまでに発行された通貨の記録なんだ、と思えばザイム真理教教祖財務省の言い分は大嘘であることがわかるし、そのために増税しなくちゃ、も大嘘だということが分かるんじゃないでしょうか。

 

今後もnoteから為になる記事を紹介していきます。