ゴールデンウイークの最中なので訪日客マナー違反を扱ったニュースが多い。

面白いのは訪日客マナー違反対策として、河口湖畔の富士山撮影スポットに黒幕を建ててしまおうという試みだ。

 

 NHK

“SNS映え”「コンビニの上の富士山」

富士河口湖町の中心部です。町道沿いにあるコンビニエンストアの近くには、コンビニの建物の上に富士山が乗ったような写真が撮影できることから、多くの外国人観光客らが訪れています。

 

 

町によりますと、この場所で撮影された写真がSNSで話題になり混み合うようになったということで、訪れた観光客が撮影のために車が多く走っている道路を横断したり、私有地に無断で入ったりするなどの行為が相次ぎ、地元の住民から苦情が寄せられていました。

 

町道に沿って黒い幕

町は去年から(2023年)外国語で注意を呼びかける看板の設置や警備員を配置するなどの対策を行ってきましたが、状況が改善されなかったため、歩道に沿って長さ20メートル、高さ2.5メートルの、富士山を見えなくする黒い幕を設置するとともに、道路の横断を防ぐ柵を並べることになりました。町によりますと、幕を設置する工事は5月中旬ごろに終わる見込みだということです。

 

富士河口湖町

「危険行為や迷惑行為が相次いだため、苦渋の決断で工事を行うことにした。観光客の分散につながればと期待している」

(引用終わり)

 

頭のおかしい観光庁の訪日客目標人数は、2030年で6000万人という馬鹿げた数値だが、それを取り下げようとしない。昨年は2500万人だから去年の2.4倍を目標としている。

今でも観光客が多すぎて困っているのに、今よりも2.4倍の6000万人だぜ。観光庁は狂っているとしか言いようがない。景気対策としてしか考えていないからだ。

 

昔は(コロナ以前)マスコミも訪日客が多ければ多いほどいいとばかりに、今年は何千万人突破しましたなんて馬鹿げたニュースばかり流していたが、さすがにマイナス面が誰の目にも明らかになったオーバーツーリズム、世界中で問題になっているからやっと負の面を報じ始めた。

今回の富士山撮影を黒幕で妨害するという対策を報じるのもその流れからだろう。

 

しかし、マナー違反観光客が車道に溢れたりしている対策としては全く的を射ていない。対策になっていない。

「歩道に沿って長さ20メートル、高さ2.5メートルの、富士山を見えなくする黒い幕を設置」したら、マナー違反観光客は堂々と車道に溢れて車の走行を妨害するだろう。

むしろ危険性が増すのだ。マナー違反観光客が怪我をしても自業自得だが、怪我をさせた運転手が逮捕されていい迷惑だ。

 

 NHKの報道にまともな声が上がっている。

「結局歩道に着けても、車道に出て撮影するんじゃない?むしろ、屋根の上に景観を崩す(見えにくくする)のを取付た方がよいのでは」

全くこの意見の通りだ。「結局歩道に着けても、車道に出て撮影するんじゃない?」なんて誰でもが気付くが、富士河口湖町役場の担当者はそう思わないのだろうか。

「いやあ、気が付きませんでした!」とでも。

 

解決策は一つだ。

「むしろ、屋根の上に景観を崩す(見えにくくする)のを取付た方がよいのでは」

そうコンビニローソンの屋根に大きな看板「LAWSON」を取り付けて富士山を見えなくすればいいだけの話だ。

 

玉川徹も同じことを言っている。

「玉川氏は「黒い幕の前(の車道側)に出て撮影する人も出てくるんじゃないかなと思う」と、歩道側から見えないなら車道側に出て撮影するケースを懸念。

その上で「むしろ、コンビニの上とかを隠す手はなかったのか。ローソン側からすると、なぜそんなお金をこちらが出さないといけないのかということもあると思うが、知恵を絞れば(店舗の上を)広告にするとかも含めて、町はローソン側と話し合いはしたんですかね」と私見を述べた。「町の看板を置くとか、そこに関しては町が広告料を払うとか…。余地はあったのではないか」とも口にした。

(日刊スポーツ)

 

昔ブログ記事で紹介したオーバーツーリズム観光公害についてもう一度引用しておく。

 

 

オーバーツーリズムを「資本主義が市民の生活権を侵害していく現象」として捉えたほうがいいと指摘する「表現者クライテリオン」編集者川端祐一郎氏のコラムだ。

 

オーバーツーリズム(観光公害)論に不足している視点――資本主義と民主主義の対立

                   川端祐一郎

 最近、ここ数年で議論が増えてきた「観光公害」「オーバーツーリズム」の事例を調べていたのですが、これは「交通機関の混雑」や「外国人旅行客のマナーの悪さ」といったミクロな問題というよりも、「資本主義が市民の生活権を侵害していく現象」として捉えたほうがいい面があるからです。

欧米でも日本でも、オーバーツーリズムの議論が高まったのは「違法民泊」問題がきっかけで、時期はだいたい2015年から2017年頃です。そもそも違法営業であること自体が問題ですが、…そしてやっかいなのは、各国の不動産業界が「普通の賃貸住宅を民泊に変えたほうが儲かる」と気づいたことでした。これは当然の話ではあります。例えば1泊数千円程度の宿泊料であったとしても、月に10泊も取れれば家賃収入を上回ったりします。そこで、旺盛な観光需要を背景に、「賃貸住宅から住民を追い出して、観光客向けの宿泊ビジネスで稼いでやろう」という発想になるわけですね。

分かりやすい例としては、まず観光地の賃貸住宅を外資が買い占め、契約更新のタイミングで家賃を大幅に引き上げて住民を追い出します。

(中略)

そしてこれと並行して生じるのが、地域の「観光モノカルチャー化」です。モノカルチャーは「単一産業」「単一産品」という意味ですが、要するに、不動産業のみならず、地域の飲食店や小売店も観光客を意識した品揃えとサービスに特化していくので、住民にとっては買い物が不便になると当時に、街が「自分たちのものではなくなっていく」「観光客に奪われていく」という不満が蓄積されていきます。

佐瀧剛弘氏の『観光公害』という本が紹介しているバルセロナの例では、

「週末はバルセロナ郊外の老舗のカフェでお茶を飲むのが楽しみだったが、最近は席に座るとスペイン語ではなく英語のメニューを渡されることが増え、疎外感を覚える」

という市民の声がありました。

これは日本、とりわけ京都などで最近生じている問題とほとんど同じですね。ヨーロッパの反観光デモの報道をみていると、プラカードには「This isn‛t tourism. It‛s an invasion!」(これはもう観光じゃない、侵略だ!)というものもあり、言葉は過激ですが、気持ちは分かります。
 

「観光公害」というのは従来、観光需要が過密化することから生じる混雑や環境破壊など、いわゆる「外部不経済」の問題として論じられてきました。また、最近は観光客のマナー違反や迷惑行為が目立つと言われますが、これも、広い意味での混雑に付随した現象と言えるでしょう。そして、観光や交通の研究者の多くが、旅行需要の分散化やインフラの増強・最適化方法を議論してきましたし、マナー啓発の取り組みが進められてもいます。

もちろん、それはそれで必要なことです。しかし、民泊問題に象徴されるように、(とりわけ地域外から流入する)資本が地域の生活環境を顧みずに「観光ビジネス」に特化した投資を行って、住民の生活上の権利が侵害されてしまうという構造に、もっと焦点を当てるべきではないでしょうか。これは今後、IRの開発をめぐっても繰り返されるであろう問題です。

もちろん観光依存度の高い地域では、観光ビジネスと地域住民の利害が一致する部分は比較的大きいと思います。しかし、先ほどの村山氏も指摘していますが、京都のような大都市というのは、製造業や(観光以外の)サービス業が地域経済の中心です。にもかかわらず「文化・観光都市として成長する」という自己規定を強く持ち過ぎ、観光産業を優遇する政策を採ったり必要な規制を行わなかったりすると、住民が置き去りにされてしまう面があるのです。

ヨーロッパではさすがに観光投資に対する規制強化が進み始めました。

ところが日本政府は、

「我が国において…(オーバーツーリズムが)広く発生するには至っていない」(観光庁『持続可能な観光先進国に向けて』2019年)

との認識のようで、心許ないですね。

まぁたしかに、まだマシな方だとは言えるのでしょう。国連・世界観光機関のアンケートでも、日本人の不満はスペインや韓国などに比べると随分低い結果にはなっていますし、欧州のような住民デモに至っているわけでもありません。

しかし今後、地域住民の不満を軽くみて根本的な対策を打たなかった場合、深刻な問題が生じると思います。例えば、外国人観光客への嫌悪感が蓄積されていく中で大規模な自然災害が起きたりすると、取り返しのつかない悲劇が起きるかも知れません。

2019年になって「観光公害」に関する本が日本でいくつも出版されており、海外でもオーバーツーリズムをめぐる学術論文などが増えてきました。せっかく議論が高まっているのですから、今後は、観光問題の半面が「資本主義vs民主主義」の対立であることを強く意識しておくべきだと思います。(資本主義も民主主義も、どちらも有用な仕組みではありますが、過剰であっては困るのです。)

オーバーツーリズムや観光公害は、半分は都市工学的なマネジメントの問題でしょうが、もう半分はグローバル資本主義の横暴と、生活の場を奪われた庶民の怒りという文脈で語られるべき問題なのです。

(引用終り)