昨日のミヤネ屋は珍しくまともに小池都知事の学歴詐称問題を取り上げていた。いいことである。こういう問題を取り上げなくちゃ情報番組の価値がない。

 

 

小池の顔は病的に膨れていたが…

 

小池支持者は情弱者ばかりでテレビの言いなりなんだから、地上波テレビが取り上げることが最も影響力を発揮するのだ。毎日でもいいから取り上げてほしい。

 

途中でニュース速報が入り学歴詐称追及の場面が中断した。さては、日本テレビの上層部が「小池を扱うな!」と横やりを入れてきたかと邪推した。

金正恩のミサイルを発射したというのがニュース速報の中身だが、タイミングが良すぎる。臭いぞ!

 

小池はほとんど黒なんだが、当然否定する。そのぐちゃぐちゃでこの問題が長引くのは良いことだ。

黒・白付けたいのは人情だ。はっきりさせたい。どっちつかずは衛生上よくない。

人は二項対立でモノを考える癖がある。良くないような良いような。

 

ネットの解説。

「「善と悪」、「光と闇」からはじまり「熱いと寒い」「右と左」「上と下」「賛成派と反対派」「赤組と白組」……。

突き詰めはじめると森羅万象にまで広がっていきます。

こうして物事を二分化することによって物事を単純化する機能を果たします。 

人間界・自然界のカオスな事象を単純化することにより、人間にとって分析しやすく理解しやすい構造で物事を捉えることができます。

二項対立は、実にシンプルで理解しやすい構造です。

例えば貿易政策であれば、自国第一主義つまり『保護主義vs自由貿易主義』といった具合です。

アメリカファーストの考え方からは、貿易政策上の対比関係だけでなく、『自国vs諸外国』という対立軸も生み出されます。 

このような対比関係・二項対立をロジック的な観点で見ると、論点を意図的に絞ることができるという大きな利点があります。

…多種多様な意見から『AとB』の対比関係にあえて絞り、A=他者の見解の欠点を指摘して、B=筆者の主張の方が正しいと誘導するロジックです。

言い換えると、ある論点について「反対説の弱みvs自説の強み」の二項対立に落とし込んで筆者の主張をより有利に通すロジックです。

これはまさしくワンパターンの構図です。」

 

別の解説。

「人は単純さを好み、複雑なものは避けたがるため、そうした性質が反映されているものと考えられますが、一方で単純な二項対立に落とし込んでしまうことで重要な視点を見落としてしまう罠に陥ります。

 具体的な例は挙げきれないほど豊富にありますが、最近の話題としてはテロとテロとの闘いという対立です。一般にはテロは悪、それに対する闘いが善とされており、政治屋やメディアが声高に自分達に利があると闘いを叫んでいます。もちろんテロは暴力であり、暴力で自分達の主張を誇示し他を従わせようという愚挙は決して許されるものではありません。

 しかしここで、「何故こうした対立が起きているのか?」という重要な疑問が置き去りにされていないでしょうか。テロとの闘いを叫んで更なる暴力で抑えても新たなテロを生むだけです。この構造に目を向けない限り解決の道は拓けません。

 上記の例のように、二項対立に単純化された目先の扇情的な情報に踊らされ、本質に目を向けることを避ける傾向は本当に多く見られます。世の出来事は複層からなり様々な事象が絡み合って現象するため、とかく目先に囚われがちな自身を省みて、複雑なものごとも丹念に解きほぐして考える姿勢が欠かせません。

そして二項対立が利用されている

 こうした二項対立に目を向けがちな人の性質は、特に権力層が国などの大きな集団をコントロールする際に利用されています。分断統治という言葉がそれにあたります。民衆を統治するにあたって、そのままでは様々な考えの人が様々に主張し、中には権力層に反抗的な考えを持つ人が現れ力を持つ可能性があります。そこで敢えて2つないしそれ以上の対立を作り出します。それに民衆の目を向けさせることで考える力を削ぎ、溜まった不満を吐き出させ、反発の芽を未然に摘むのです。」

 

これらの解説から二項対立の思考方法の利点と問題点が指摘されたが、一般的には二項対立的思考が顕著だろう。

しかし、黒か白かでなく「灰色」ってのはどう?という人がいる。「灰色」って大事なんだ!と。

以前にも紹介した精神医学者春日武彦先生が書いた「奇想版 精神医学事典」からの引用だ。

 

 

(記事の区分は新「なるほどメモ」その18とします)

「奇想版 精神医学事典」(春日武彦)より

「灰色」

 灰色には、どっちつかずとか曖昧といったマイナス・イメージがしばしば付与される。疑わしいがいまだに証拠が挙がっていない事案に対しては、灰色であると形容されたりするわけである。
しかし精神科や臨床心理の領域においては、灰色はむしろ歓迎されるべき発想につながる。
心を病んだ人々には認知に歪みが生じていることが多く、そのような歪な認知パターンのひとつとして二分割思考と称されるものがある。何でも物事を白黒に分けたがる。 

中間領域がなく、つまり灰色を認めようとしない精神である。これは墓穴を掘りやすい。 

たとえば同僚を常にライバルと見定め、日常の細部に至るまで勝ち負けの二分法でしか相手を眺めようとしない人物がいたとしよう。

仕事上の優劣にこだわるのならともかく、相手が素敵なネクタイをしていたからとそのことに敗北感や悔しさを覚えたり、相手が学生時代に陸上競技で優勝したことがあるという事実に嫉妬したり、相手の軽口を自分に対する挑発ではないかと深読みして苛立ったり――と、そんな調子で常に勝った・負けたという文脈でしか相手を認識出来なかったなら、日々はまことに緊張の連続となり、心は決して休まるまい。

些細なことにも過敏に反応し、どうでも良さそうなことに一喜一憂する。これでは健康な精神状態とは言い難い。勝ち負け(白か黒か?)を離れた灰色領域での付き合いが出来なければ、ストレスを溜め込んで自滅してしまう。人生そのものも楽しくあるまい。下手をすると、妄想方向に精神がドライブされる危険すらある。

灰色とは、二項対立からの脱却を意味する色なのである。

二項対立をメリハリが利いていると好む向きもあろうが、それは悪しき徹底主義に過ぎない。ニュアンスや機微を許さないその雑駁さや非情さは、市民の日常生活には馴染まない。灰色は、我々の弱さや迷い、書画を肯定する色であることを忘れてはならない。

(引用終わり)

 

精神医学者春日武彦先生の言葉はさすがだね。

灰色なんて色に意義を認めないのが普通なんだけど、それに積極的意味を見出すなんて。

灰色とは、二項対立からの脱却を意味する色なのである。」

「灰色は、我々の弱さや迷い、書画を肯定する色であることを忘れてはならない。」

目からうろこだね。

たまには「曖昧」ってのもいいもんだと。

 

と書きながら、でもやっぱり小池百合子の学歴詐称は黒だと思うよ。白でも灰色でもなくね。

 

灰色の男たち やっぱ灰色のイメージは良くないのか?