精神科医春日武彦の「奇想版精神医学事典」(河出文庫)を読んでいる。精神病関連のコラムというかエッセイというか、分かりやすく面白く書かれているが、ずっと精神病の症例その他を読まされているとこちらまで頭がおかしくなりそうだ。

 

しかし、世の中の事件というのは総じて精神病的だから、社会風刺、社会分析になっていてとっても面白い。

その中のひとつ「偏狭な経験主義」という項だ。

「偏狭な経験主義」とは、それを経験したことがない者には、そのことに関わったり論評する資格はないといった言い方を「偏狭な経験主義」という。

これは結構世の中にはびこっているし、そう言われたら議論はそこで終わりとなる代物だ。

 

「偏狭な経験主義]
自殺未退で担ぎ込まれてきた若い女性がいた。救命救急センターへ運び込まれ、手厚い処置を受けて意識を取り戻した。すると彼女はベッドの上で怒り出したのである。死のうとしていたのに、助けやがって!余計なことをしやがって、責任を取れ!と。夜中なのに大騒ぎをするので、精神科の当直をしていたわたし(まだ若かった頃である)が呼ばれて出向いた。
 彼女の理屈によれば、自分には死にたい理由がある。だからこそ自殺を図ったのに、でしゃばった真似をされて迷惑どころか不愉快千万だというのである。

ところで彼女は薬物を大量に摂取しての自殺未遂であった。しかも以前にも同じ方法で助かっている。こちらとしても勝手な言いぐさに腹が立ったので、どうせ死ぬなら高層ビルの屋上から飛び下りるとか、もっと確実性の高い方法を選べばよかろうに、及び腰の方法を選ぶからこちらも無駄な手間隙をかけることになってしまったではないかと指摘した(今になって省みると、感心しかねる対応である)。
 痛いところを衝かれたために、彼女はいきり立った。鼻の穴を膨らませながら怒鳴った。
「てめえなんかに、あたしの気持が分かってたまるかよ!だいたい、医者には自殺したい人間の心なんか理解出来ないだろ、どうせベンツかなんか乗って楽な暮らしをしてるんだろうしよ。死にたいほど苦しんだことがないような奴が、あたいみたいなのを相手にしようってのが間違っているんだよ!」
 こうした論法の患者とはときおり出会う。癌になったこともないのに癌患者の気持が分かってたまるか! とか、俺のように悲惨な人生を送ったことのない奴に俺の気持が分かってたまるか! といった類の言い方である。そこには相手が絶対反駁出来ないであろうといった読みがある。

確かに当方としては、相手とまったく同じ体験はしていない。痛にもなっていない。だが、悲惨であるとか辛いとか苦しいといった判断は主観的なものであり、当方がそんなことには無縁な「気楽な存在」であるとなぜ言い切れるのか。傲慢きわまりない。 

それを経験したことがない者には、そのことに関わったり論評する資格はないといった言い方を、「偏狭な経験主義」という。この論法は、最終的には「あなたは私ではないのだから分かりっこない」という逃げ口上が保証されているゆえに卑怯である。

このような言い方をする人たちには、「ああ、他人事だからこうして医者をやっていられるんだよ。でなかったら、冷静な判断なんか出来っこないだろ」と応えることにしている。」

(引用終わり)

 

なかなか面白いでしょ。こんな話がこの本にはどっさりあります。600ページ!まだ2割程度しか読んでませんが。

 

さて、「経験」というのは重たいものというのは確かにそうだ。経験しなければ分からないものは世の中に沢山ある。特に特別なこと、悲惨なことなど。それを頭の中だけで考えて「経験」から出てくるものを軽々と否定するのは軽率に過ぎる。

しかし、「経験」がないことをいいことに否定してくるのは、相手をねじ伏せるための狡いレトリックともなり得るし、負け惜しみで言うのだから、もうそういう底が見えればそれはまさに「偏狭な経験主義」であり、議論は終わりだ。

 

10年ほど昔、兵庫県議の野々村竜太郎が、約300万円の政務活動費を支出していた問題で記者会見を行った。そのとき急に泣き出して一躍時の人?になったのだが、私は野々村竜太郎の発したいくつかの言葉を迷句として心にとめている。

野々村竜太郎の絶叫お笑い会見

その中のひとつが政務活動費の使い道を記者に攻められた挙句、やっと苦労して県議会議員になった野々村氏「あんたには分からんでしょうねえ」と発した。まさに「偏狭な経験主義」だ。ちょっと違うかな?

 

偏狭な経験主義」というものを多く使うのは、エセ弱者や左翼のように思うが、なかなか春日先生のような啖呵は切れないから、「なら、勝手にして」ぐらいしか返せないな。

 

 絶対に笑ってしまう野々村竜太郎の会見!

 

因みに野々村竜太郎のわけわからん発言

(ネットにわざわざ文字起こししてくれてたものがありました)

「…こんな大人で、県民の皆さま、私も死ぬ思いで、もう死ぬ思いでもう、あれですわ。一生懸命、落選に落選を重ねて、見知らぬ西宮市に移り住んで、やっと県民の皆様に認められて選出された代表者たる議員であるからこそ、こうやって報道機関の皆さまにご指摘を受けるのが、本当にツラくって、情けなくって、子ども達に本当に申し訳ないんですわ。

ですから、……皆さんのご指摘を真摯に受け止めて、議員という大きな、カテゴリーに比べたらア、政務調査費、セィッイッム活動費の、報告ノォォー、ウェエ、折り合いをつけるっていうー、ことで、もう一生懸命ほんとに、少子化問題、高齢ェェエエ者ッハアアアァアーー!! 高齢者問題はー! 我が県のみウワッハッハーーン!! 我が県のッハアーーーー! 我が県ノミナラズ! 西宮みんなの、日本中の問題じゃないですか!!

そういう問題ッヒョオッホーーー!! 解決ジダイガダメニ! 俺ハネェ! ブフッフンハアァア!! 誰がね゛え! 誰が誰に投票ジデモ゛オンナジヤ、オンナジヤ思っでえ!

ウーハッフッハーン!! ッウーン! ずっと投票してきたんですわ! せやけど! 変わらへんからーそれやったらワダヂが! 立候補して! 文字通り! アハハーンッ! 命がけでイェーヒッフア゛ーー!!! ……ッウ、ック。サトウ記者!あなたには分からないでしょうけどね! 平々凡々とした、川西(市役所)を退職して、本当に、「誰が投票しても一緒や、誰が投票しても」。じゃあ俺がああ!! 立候補して!!

この世の中を! ウグッブーン!! ゴノ、ゴノ世のブッヒィフエエエーーーーンン!! ヒィェーーッフウンン!! ウゥ……ウゥ……。ア゛ーーーーーア゛ッア゛ーー!!!! ゴノ! 世の! 中ガッハッハアン!! ア゛ーー世の中を! ゥ変エダイ! その一心でええ!! ィヒーフーッハゥ。一生懸命訴えて、西宮市に、縁もゆかりもない西宮ッヘエ市民の皆さまに、選出されて! やっと! 議員に!! なったんですううー!!!」

 

「もちろん政務調査費ものすごく大事ですけれども、議員という大きなくくりの中ではごくごく小さいものなんです。いち大人として何とか、折り合いをつけさせていただきたい。」

 

この「大きなくくりの中ではごくごく小さいものなんです」というフレーズは好きだね。実務的にも使えるね!

 

なんだか脱線してしまいました!