「アタオカ」は「頭がおかしい」を略した言葉で、ある漫才師のツッコミのフレーズとして知れ渡った用語らしい。私はこういう言葉を使いたくないんだけど、「頭がおかしい」と言うしかない現象がいくつもあるので、しようがなしに「アタオカ」を使ってしまう(「頭がおかしい」というとストレート過ぎるかもしれないので)。

 

その一つ。

ネットをいろいろ漁っていたら、次のⅩにぶつかった。

野中しんすけさんは、YouTubeでコロナやワクチンについて精力的に批判していた素晴らしい人だ。最近見ないけど。

野中しんすけ@ただの看護師
@nonaka_shin
2023年4月25日
【狂気の沙汰】徳島大学、子供用のコオロギ食品の開発を目指す

「ヒトの味覚の嗜好は6〜8歳までに決定。コオロギ食も幼児期から食べていただくことが重要」
 

徳島大学の「アタオカ」、まさに「狂気の沙汰」だ。

なぜなら、子供ときに無理やりコオロギを食わせることで抵抗感をなくそうとしているというのだ。

まさに悪魔の所業!

そしてそういうことに何の疑念も抱かずに嬉々として研究している徳島大学とベンチャー「グリラス」の渡邉という社長も「アタオカ」だ。徳島大の学長がもともとコオロギの研究家らしい。コオロギの研究はいくらしてもかまわないが、なんでわざわざコオロギを食料にしなくちゃいけないのか。

本人は「コオロギのゲノム編集を始めた時に「これは食や農業のベースになる研究だから、社会的に役立つだろうな」と思い、自然とどうすれば社会実装できるか考えていましたね。」なんて言っているが、社会に役立つなんて勝手に決めるなよ、正にマッド・サイエンティストというしかない。

 

こいつのいうコオロギの「社会実装」とは、世間が知らないうちにコオロギを一般の食品に混ぜてしまおうというものだ。アレルギーになる食品が問題になっているというのに、小学生になる前の子供に食べさせようとは…。

 

 

因みに、子供用のコオロギ食品の開発を「狂気の沙汰」と切って捨てる野中さんは、2022の参院選福岡選挙区(改選3)に参政党から立候補したようだが、8位で落選。でも7万2千票余り得票しているので新人としては素晴らしい成績だ。

 

次の「アタオカ」。

訳の分からん「マルハラ」

何でも「ハラ」を付ければいいってもんじゃない。

カスハラ防止都条例を作ろうとする小池百合子都知事。「カスハラ」ってなじめない言葉だ。

カスハラ?カステラの一種? 腹にカスでも溜まったの?

昔はクレーマー被害とか言ってたんじゃないのか! 

まあ、モンスター・クレーマー対策なら賛成だが、そのことについては別記事を書くつもりでいるけど、「マルハラ」って何だ?

「LINEかなんかで、「、」打ったり「。」付けたりすると、おかしいって言うんだよ。マルハラとか言うの?」と小倉智昭が疑問を呈したというのをネットで見たことがある。

今回はその「マルハラ」を調査したアホ学者がいるという新聞記事だ。

 

朝日新聞

「。」で終わる文章は威圧的」 若い女性の4割「マルハラある」と回答

 文末が句点「。」で終わるメッセージを受け取ると威圧されたように感じるという「マルハラスメント(マルハラ)」を、実際に気にしている人がどれだけいるのか、研究者が市民のアンケートで調べた。威圧と感じることが「ある」と答えた人は、若い女性では4割を超えていたものの、全体的には少数派だったという。

 マルハラは、LINEなどのやりとりで、文末の句点を威圧によるハラスメントと感じるというもの。

 「○○しておいて!」は期待されているように思えるが、「○○しておいて。」だと突き放されているように感じる――。若い世代にそんな意識が広がっているということが、朝日新聞デジタルの記事などで紹介された。

 

 

 大阪大の三浦麻子教授(社会心理学)と東京大の鳥海不二夫教授(計算社会科学)は今年3月上旬、18~29歳の男女各150人と30~60歳の男女各250人にオンラインでアンケートをした。

 メッセージアプリで上司とやりとりしている場面を想定し、文末が句点だった場合と感嘆符だった場合で、受ける印象に違いがあるかを聞いた。

 18~29歳の若い女性では、句点は感嘆符より「威圧的」「冷淡」「怖い」といったネガティブな印象を感じる人が6~7割いた。逆に、感嘆符のほうがネガティブだと思う人は1割にとどまった。若い男性でも、半分ほどが句点をネガティブに感じていた。

(引用終わり)

 

余りのくだらなさに卒倒しそうだ。まさに「アタオカ」ではないか。

誰が「アタオカ」かって?

決まってるじゃないか、若い女じゃなく、こんな記事を書く記者と大阪大の三浦麻子教授だよ、アタオカなバカ野郎は! 

若い女が「、」や「。」に威圧的に感じようが感じまいが、そんなことは勝手に感じていればいいことなんだ。単なる「感想ですよね」だ。

十人十色なんだから下らない感覚でも自由だが、そんなものを取り上げるなよ。取り上げればあたかも重大事の如く間違える奴がきっと出てくるのだ。

 

例えば、この記事を読んだ親父というか上司が、若者を理解していると思われたくて、LINEや文章から「、」や「。」を一生懸命消しこんでいる姿が目に浮かぶ。

絶対にアホ親父はこういう記事を気にするのだ。

 

社会心理学というのはこういう下らないことを「研究」なんて称するのか。「アタオカ」だよ。

なんで無視しないのか。何で若者の感覚をたしなめようとしないのか。何で若者に媚びるのか。何で若者に迎合するのか。日本語の破壊とは思わないのか。いや若者の「。」が威圧的だと思って「。」を打たないことが、日本語の破壊なんて言っているんじゃない。言葉にはラングとパロールという区分があって、パロールに当たる個々の言葉使いは日々変化するに決まっている。

しかし、こういう大学の調査と称して「。」は威圧的だという感じ方に権威を与えてしまうことが日本語の破壊だと言いたいんだ。「アタオカ」調査が日本の文化をダメにするのだ。

 

ちょっと脱線して、若者が(特に若い女が)、例えば顔の髭とかを評価したとしよう。

最近は髭を生やすとかっこいいと思っている男が多いが、女が「髭の無い男って感じ悪いよね」とか「威圧的だよね」といっていることに社会学者が気が付いたとしよう。

それを調べて、若者の多くは「髭のない男は封建的で威圧的だ」と感じていると結果を出したら、アホな親父連中はみんな若者に迎合して「髭を生やさないといけない」と思うようになるかもしれない。

(個人的には、髭は「無精ひげ」と言われるくらいだから剃らないといけない。でも明治時代の偉い人はみんな立派な髭を蓄えていた。しかし、今の男のかっこつけた髭は無精つまり不潔というしかない。)

これは極端な例かもしれないが、単なる若者の感覚を大げさに捉えてそれを肯定的に発信すると必ずバカが追随するのである。

そういう意味で、「。」は「威圧的」「冷淡」「怖い」なんて調査は「アタオカ」なのである。

 

最近はそういうどうでもいいことに焦点を当てて話題を取るということが多くなったような気がする。昔はこういう現象を「平和だなあ」といったものだが、余りの低レベルに頭がクラクラするのである。