昨日の自民党派閥に関する記事は、賛同する方は少ないだろうなぁと思って書いていました。

政党以外で派閥といえば大体悪いに決まっている。

軍隊の派閥、会社組織の派閥。

 

 

人間が集団を作れば、自分の利益をより高めようとして右往左往し、誰の元に付けば自分の出世につながるか、結構若い時からそういう動きをするようだ。

企業小説やドラマなどはその派閥の確執が面白く描かれる(ドラマ「半沢直樹」など)が、私の会社務めの時でもそういうことは大いにあった。

運営方針の違いの結果派閥ができるのはまだいいほうだが、人事権を握る者にすり寄って派閥が作られると、その長は何をしたいかではなく、単に権力を振るいたいだけで人を従わせようとする。

小池百合子みたいに総理大臣になって何をしたいか、ではなく、単に総理大臣になりたい、では害ばかりなのだ。

 

私はそういうのが嫌いで派閥になるべく属さないようにしていたので、派閥嫌いの上司と仲良くしたら、傍からみればそれも一種の「派閥」と捉えられたようだ。

最近の若手社員は競争が激しいようで、誰に付くのが一番有利かと常に考えているらしく、節操のないこともやるらしい。派閥好き=年寄りではないようだ。

 

こういう派閥の悪い面ばかり見ていれば、政治家の派閥なんてどうしようもない悪習だと思うだろうから、私の昨日の派閥擁護意見は不快だろう。

 

しかし、今日の三橋貴明氏のブログ「意味不明で意味明確な自民党の「派閥解消」」(2024.1.20)は、まさに自民党派閥解消に関するコラムとなっているのだが、読んでみると昨日の私の意見と概ね同様なので喜んだ。

 

私は昨日次のように書いた。

「派閥解消して政治家個人としてどんな考えを持っているのかもう分からなくなり、そして例えば財政に関して、緊縮していくのか積極財政していくのか、量として把握できなくなったら誰に投票したらいいのか全く分からなくなる。

喜ぶのは役人たちだ。政治的な主張の塊、集団が曖昧になるということは、政治的な圧力が弱まるということ、つまり役人のやりたい放題だ。役人が優秀で正しい仕事をしてくれるのならまだ許せるが、財務省しかり、厚労省しかり、外務省しかり、みんな売国的な仕事をし、アメリカや中国、果てはディープ・ステートの言いなりになる官僚どもに好き放題にさせていいのか。

パーティー券でパーティー(党の中の党/派閥)を潰すなんて、シャレにならんぞ。」

 

以下は三橋貴明氏の派閥の見方。

 

 

「日本の政治が、ますます意味不明な状況になってきました。

 岸田総理が「岸田派解消」を宣言し、二階派、安倍派も派閥解消すると伝えられています。

 ちょっと待て! 問題はそこではないでしょ。

 以前から何度も書いていますが、民主制は最終的には多数決です。多数派にならなければ、望む政策は実現できないのです。
【権力のピラミッド】

 

 我々日本国民(有権者)の権力は、精々が1億分の1に過ぎません。1億分の1が声を上げたところで、何も変わらない。
 だからこそ、我々は「中間組織」に属し、議論し、主権を束ね、「自分たちが望む政治」を実現するための国会議員を選出しなければならない。

 さらに、国会議員にしても、700人以上もいます。国会において、700分の1の声など、誤差のようなものです。

 だからこそ、国会における「主権」が小さい議員たちが集い、政党をつくる。さらには、自民党の場合は400人近い国会議員がいる。400分の1の自民党の国会議員の声もまた、誤差です。

 だからこそ、自民党内で「政策を実現するための集団」である派閥を構成し、党内で多数派を造ることで政策を実現しようとする。

 本来、派閥とは「政策集団」であり、「カネ」とも「人事」とも無関係なのです。もちろん、派閥のトップを「自分たちが求める政策」を実現するために「人事」を動かそうとするのは当然です。とはいえ、現実の自民党の派閥は、「大臣や副大臣を推薦する圧力集団」と化していた。

 さらには、派閥のパーティに代表されるように、政治家が「カネ」を入手するためのツールにまで落ちぶれていた。

 そこが問題なのです(パーティキックバックの裏金化は論外)。

例えば、
「内閣は派閥からの人事的な推薦を受けない」
「派閥でカネを集め、カネを配る構造を改革する」
「政治資金の動きを全て透明化する(現金を禁止し、全て銀行振込にして、通帳を公開すれば済む話です)」
 というならば、分かるのですが、単純に派閥を解消する、となると、これは「自民党内における政策集団と議論の場」を捨て去ることを意味します。

 もちろん、現在の自民党の各派閥が「政策集団と議論の場」であったかといえば、もちろんそんなことはない。とはいえ、問題は「派閥の政策集団としての意義」が失われたことであり、派閥そのものではない。

 岸田派、二階派、安倍派につづき、自民党の全ての派閥が解消された場合、各国会議員は「個別化」されることになる。つまりは、バラバラにされた「個議員」になるわけです。となれば、「集団的な政治パワー」を発揮できなくなる。

 派閥が無くなったところで、自民党総裁(総理大臣)の権力(公認権、政党助成金の配布権)は変わらない。となれば、これまで以上に総理大臣の権力が肥大化することになります。

 自民党の国会議員たちが、総理大臣(=相殺)の間違った政策に抵抗しようとしたところで、何しろ「バラバラ」にされてしまっているため、どうにもならない。

 わたくしは、政治を志す人たちに「連携せよ」と主張しています。連携しない限り、我々の声は一切通らない。

 同じ状況に、自民党の国会議員たちが追い込まれることになり、彼らは益々「総理のイエスマン」と化すことになるでしょう。
 そこまで岸田総理が考えていたとしたら、それは「意味明確」な派閥解消になります。

 今回の「自民党の派閥解消」は、現在の我々が想像している以上に恐ろしい結果をもたらす可能性があるのです。」

(引用終わり)

 

三橋貴明氏はなんとか日本をいい方向に変えたい、そのためには賛同する政治家が政策を実現するための集団とならなければ、現在の政治構造の中では力が発揮できない。

だから、真に正しく必要な政策集団としての「派閥」に期待している。

これを否定したら議員はバラバラ「個・議員」となって、何の力も持たなくなる。

そしてこれを鵜飼のように操るのが総理大臣となる。

三橋貴明氏はもしそこまで岸田が考えて「派閥解消」を進めたとしたら、それは「意味明確」な派閥解消になると、書いている。

 

私はそうは思いません。

岸田は台本しか読めない政治家で、今回の動きは誰かの深謀遠慮により書かれた台本とは全く思えないのです。

何も分からず、将来も見通さず、というか見通せずに、目先のマスコミや総選挙対策のための目玉を思いついただけなんだと。

 

しかし、三橋貴明氏が危惧するように総理大臣が鵜飼の鵜匠になるかもしれませんが、その時の鵜匠は絶対に岸田文雄ではない。それだけは確かです。

 

 

まあ時が経てばみんなこんな騒ぎは忘れて、いつの間にか古いタイプの派閥が復活していると思いますがね。

と言うより、そもそも派閥解消は偽装なんだろうね。