先日「突然消えたおっさん!怖い横断歩道!」という記事を書いたが、へんなコメントがきて不愉快になった。

上から目線のコメントは、相手を如何に不快にさせるかということだが、自戒もしないといけない。私もやっているかも。

 

しかし、頭から「もし、この考え方で今も運転しているのなら、免許返納した方がいいと思う」といういい方にはユーモアの一片もないし、失礼この上ないし、カチンとくるだけだ。

その理由は、偉そうに書くものの全く論理的でないからだ。

 

先日の記事で言いたかったことは、交通法規が現実を無視して逆に事故の危険も増加しているのではないのか、というものだったが、コメント主は

「法律に主観は必要ないですから。決められたことは守る。それだけです。」
という。

 

「決められたことは守る」という点はまさにその通りだ。だがそれだけでいいのか。

  

ソクラテス「悪法もまた法なり」と言ったシーン

 

滅茶苦茶な法適用の米国でさえ、トランプは不満と怒りを露わにしながらも、司法当局の指示には従っている。それは法治国家だからやむを得ないが、それをいいことに民主党政権は法律を盾に取ってやりたい放題だ。むしろ、司法を人質にした民主党司法当局がまさに法を無視して法治国家を蹂躙している。

しかし、「法律に主観は必要ないですから」とは意味不明だ。私が交通法規にいちゃもんを付けていることへの批判らしいが、それは法律に主観で文句を言うなということか。

 

 

それは全くナンセンスじゃないのか。法律なんか時代や現実に合わなくなればしょっちゅう改正している。

そもそも新自由主義下の行政は、現行法規でまずやってみる、やらせてみる、そして問題が生ずれば法規を変え、規制をするという考え方だ。つまり法律を変えることを前提としている。

ただ、私はこういう考え方には反対だ。問題が生ずる前にそれを想定できたなら、それを盛り込んだ規制つまり法規にすべきなんだ。

もちろん、現行法規下では守るのが当たり前だが、法規が現実に合っていないという意見・文句は大いに言っていいはずだ。「法律に主観は必要ない」から法律に文句などいうなという意味なら大間違いということだ。生活や安全が主であって、法律は従であるはずだ。

 

一番偉そうに言いながら、馬鹿げた物言いは次のところだ。
「ツッコミどころ満載で全部訂正してあげれない。
特に、信号のない横断歩道の話は、みんなが道交法を守れば事故は起こらない。」

 

この「特に」と書いて挙げられた例が一番バカバカしいから、「ツッコミどころ満載」と書いてもそのツッコミそのものは大したことがないことが分かるというものだ。

その事例がいかにナンセンスなものか。

「信号のない横断歩道の話は、みんなが道交法を守れば事故は起こらない。」

という言い方が如何に間違っていて現実的でないかは、小学生でも分かるだろう。

 

「みんなが道交法を守れば事故は起こらない」という。確かにそうかもしれない。

しかし、最大のダメな理屈は、「みんなが道交法を守れば…」というところにある。

これは可能性はある(可能性は嘘でも何でもあることはあるんだ)だが、蓋然性が全くないのである。

 

可能性と蓋然性の区別については過去にブログに書いたので参考にしてください。

 

要するに「みんな」が道交法を守る、なんてことは現実ではありえないのだ。

 

そんなことは常識で反論する気も起きないが…一応馬鹿げたことの証明をしたい。

そんな例はいくつも挙げられる。

 

・私は簡単に1億2,000万円を集めることが出来る。日本人のみんなから1円貰えばいいだけの話だ。1円ぐらい誰でもくれるだろう。さあ1億2,000万円集めてごらんよ。できるよね?

 

・お盆の帰省時の高速道路渋滞40キロとか。こんなものは簡単に解消できるよ。みんな一斉に時速100キロで走ればいいだけさ。一斉に同時に同一速度で走れば、渋滞なんて出来るわけがないじゃないか。さあやってごらんよ。日体大の学生による集団行進のように出来たらおもしろいね。

 

 

・東大入試でみんなが東大に入るなんて簡単だ。みんなが100点を取れば東大に入れるさ。みんな正解を書けばいいのだから。やれるならやってみな。

 

・脱炭素なんて簡単だ。みんなで息を止めればいいのだから。オランダでは牛が吐くげっぷに温暖化効果ガスのメタンが大量に含まれているから、オランダでは牛をみんな(は大げさだが)殺すらしい。それが地球温暖化防止に大事なことだとオランダの政治家は本気で思っているそうな。

牛を殺して地球温暖化防止できるなら、最大の数を誇る人間も「息を止める日」とかなんとかを作って、世界一斉に5分間息を止めることをやったらいい、相当な脱炭素が一瞬でもできそうだな。やれるならやってみな。

 

等々、馬鹿げたことを書いてきてもうめんどくさくなった。

つまり、「みんなが道交法を守れば事故は起こらない」というのも上に挙げたバカバカしい事例と同じだということだ。この文が現実感覚のないバカバカしくも不可であることは、だから小学生でもわかるという意味だ。こんな奴に免許返納せよ、なんて言われたくないよ。

 

「みんなが赤信号で道路を渡れば怖くない」というのは、確かに「事故は起こらない」な。タケシの言うこの「みんな」は当たっているね。