猛暑日6日連続とか。40℃にもなるのは地球温暖化の結果だろう。私は地球温暖化にケチを付けているような記事を書いているが、そうではない。地球温暖化防止に脱炭素は間違いだ、と言っているだけだ。地球は今温暖化している。ただし、波のように変動しているから、もう少しすると地球寒冷化する。

その兆候は雷や雹(ひょう)、豪雨が最近頻繁に起きているが、これは地球温暖化が原因ではなく、寒冷化の兆しの表れと言える。

 

今日はその話ではなく、暑くてこの数日散歩もできない、ただエアコンつけて家にいるだけという生活。それだけでも疲れるから、ブログ書きも面倒となる次第。

それで手抜き策を考えた。

 

他人のブログを読むとき、余程のことがなければ過去記事は読まない。皆さんもそうだろう。
しかし私も何年もブログを書いているが、今より昔の方がいい記事を書いていたような気がする。自分で言うのも何だけど。つまり昔の方が真面目だったのだ。

 

Amebaブログはどんな記事に、どれくらいアクセスしたか分かるようになっている(累積でないのは残念)が、それを見るとたまに古い記事が読まれていることがある。自分でも何を書いたか忘れてしまっているようなものが。
何を書いたっけ、とそれらを読み返してみると、へぇーこんなこと書いていたんだ、昔は真面目だったなあと。

そこで読者からもう読んだぜ、といわれるのを恐れずたまには再録しようと思う。新しい記亊を書くのが面どくさいだけなんだけど。

今日はこれ。4年前の記事。

乞食のような破れたジーパンは履くくせに、男が日傘をさすと恥ずかしくないのかという目で見るのは何故 2018年07月23日(月)

 

4年前も猛暑だったらしい。今年の猛暑は急すぎて、まだ本格的な夏になっていないからか、暑さ対策については余り話題に挙がっていない。ただ熱中症対策に水分補給を十分に、とかエアコン掃除をして効き目をよくしようくらいだ。

暑い中マスクをしていても、外せたらと少しはいうものの、強くは言おうとしない。マスクについては、日本人、コロナ感染者ほぼゼロにならない限り外すことはないのではないか。これについては別途書いてみたい。

 

もうひとつ、暑さ対策に帽子や日傘があるが、この猛暑でもやはり男子は日傘をさしていない。昔ほどの男の日傘に違和感がなくなったようだが、男も日傘は必需品とはなっていない。テレビも40℃を超えても男の日傘については関心がないらしい。

 

今回の過去記事は、そんな男の日傘についての私の意見、というか20年超前から日傘を差してきた私の経験も含めた男の日傘についての文章だ。よろしくね。

 

「乞食のような破れたジーパンは履くくせに、男が日傘をさすと恥ずかしくないのかという目で見るのは何故? 2018年07月23日(月)」

 

 今日も猛暑の話。

 昔のドラマでは暑い日差しの中で、男はカンカン帽を被っていた。今は、爺さんは山登りのときに被る帽子などをつけていることが多い。しかしサラリーマンはほとんど帽子をかぶらない。麻生大臣のようにマフィアのような中折れを被る男はまずいない。

 だから、男は暑い日射を防ぐ手立てをせず、ただ耐えるばかりだ。

ホントに不思議なことだ。多くの女性は日傘を差しているというのに。

 

このどうしようもない暑さから、やっとネットでも男の日傘の話題が出てきた。しかし、未だにワイドショーで男の日傘を真面目に扱うことがないのは不思議だ。

水を飲めばかりだ。

 

なぜ男は日傘を差さないのか。

あるブログが会話形式でそんな事情を書いている。(モヤピカブログより)

 

 仕事中にスーツ着て外回りするのがマジ辛いんですけど、何かいい方法ないですかね?

女性 うーん、あ、日傘差すとかなり涼しいよ!日傘男子なんて呼び方もあるくらいだから男の人でも日傘使ってもいいと思うけど?

 日傘ですか~・・・この間同期のヤツとも男の日傘ってどうよ~なんて話したんですけど・・・

やっぱりちょっと恥ずかしいし、気持ち悪いとか思われたら嫌だよねって話になったんですよね。

女性 あぁ、まあね、確かに「日傘は女性の物」っていうイメージは強いよね。

 ですよね~?同期の女の子にも聞いてみたんですけど「男が日傘~?キモイ~」って笑われちゃって。

女性 あー。確かにまだ男性の日傘って一般的か?って言ったらそうでもないかもしれないよね。

でも、内勤の子には外の暑さは分からないんじゃない? 日傘男子キモイ~、とか言ってる場合じゃない位暑いよね!

 

 そうなんである。男は恥ずかしいのだ。日本人だから「周りの目が気になって」恥ずかしいのだ。

でもそれは不思議な言い草なんだなあ。

サラリーマンのくせに、背広姿でリュックサックを背負ったり、最近では前にリュックを掛けたりしているが、恥ずかしくないのか。リュックサックはピクニックや山登りの時使うものだろうが。

穴の開いた汚いジーパンをはいている男たちよ、恥ずかしくないのか。

茶髪、金髪に髪を染めて女のような格好にして恥ずかしくないのか。

 

男が日傘をして、何で恥ずかしいのか。

全く理解できない。

皆がやっている、流行っているなら恥ずかしくなくやるのか。

それでも男なのか。独立心はないのか。俺だけでもやってみるという心意気はないのか。

男の日傘を差してみる勇気はないのか。

 

お前はどうなのか、だって?

私は20年も前から、つまり40代後半から暑いときには日傘をさしている。

もう20年超の年季が入っているのだ。

 

紀貫之の土佐日記の「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」を文字って「女もすなる日傘といふものを、男もしてみむとてするなり」である。

恥ずかしいなんて感じたことはない。

 

私は暑いとか日射が嫌いだった。

女がする日傘をなぜ男は差さないのか。

夏のゴルフ場では、男はみんなあの派手な日傘を差してコースを回っている。その時誰が恥ずかしいという者がいるか。

 

ルース・ベネディクトが「菊と刀」のなかで、日本人の文化を恥の文化と規定した。

恥とは他人の目のことだ。しかし、この他人の目は、本当の他人の目のことではなく、「私」が想像した他人の目を内面化したものだ。つまりは他人の目の忖度!

他人が文句を言ったわけではない。私が恥と思っただけである。まあこれが文化というものだろうけど。

なら、私の見方を変えればいいだけの話だ。

普通の理由をつければいいだけの話だ。

 

雨が降ったら傘を差す。当たり前だ。恥ずかしことではない。

日差しの強いゴルフ場で日傘を差す。当たり前だ。恥ずかしことではない。

路上で日差しが暑ければ、日傘を差す。当たり前だ。恥ずかしことではない。

 

ということで、40代の後半から名古屋で暑い夏に街で日傘をさした。通勤のときも駅まで差していった。確かに周りの歩行者は私をジロジロ見ているような気がした。

その時の私の感情は恥ずかしさでは全くなかった。

それは、勝ち誇ったような優越感だった。

 

なぜって?

貴方もやはり照り付ける日差しは暑いんでしょ。なにを我慢しているの。日傘を差せばいいのに。

私は日傘でマイ日陰を作っている。日陰はずっと付いてくる。涼しいよ。

貴方は恥ずかしいとい気持ちだけで暑さを我慢する。

下らない恥は捨てなさいよ。涼しいよ。

 

この話を会社でしたら、部下が「部長!恥ずかしいことは止めて下さい」と言いやがった。

「バカ野郎。お前もやってみろ」と言ったが、今ほど切実感がなかったのかもしれない。誰も真似する者は出てこなかった。

 

いまやっと男の日傘か当たり前になりつつある?

いや、まだ駄目だろうね。

それほどに人間を呪縛する「心持ち」というものは強いんだ。

日傘を差して笑われるより、熱中症で死んだほうがまし、というのが人間の性(さが)なんだろうね。

 

因みに、私の日傘はいわゆる日傘ではない。折り畳みの雨傘だ。この雨傘で十分いける。むしろ男用の日傘にしないほうがいいだろう。それこそ、男のくせに、といわれそうだから。

 

かっこ悪いという人がいるが、バカではないかと。私は日傘でマイ日陰を作って優越感に浸っています。

確かに真夏でも男が日傘を差している姿ってあまり見かけない。だから自分が急に日傘を差すと周りからジロジロ見られるのが気になるという理由があると思う。

この辺は日本人にありがちな思考だよね?『周りの目が気になる』『周りと同じように過ごしたい』という心理。でもそんなことで死んでしまったらバカバカしいんじゃないの?