ブチャ市の路上にゴミのように捨てられた死体(ぼかされているが)を見せられたり、410人もの遺体が発見されたという言明だけで、興奮してロシア軍の虐殺だ、戦争犯罪だと主流メディアが騒ぎ、欧米ばかりか世界中の政治家も騒ぎ立てる。

 

ゼレンスキーは国連安保理でオンライン演説し、ウクライナへの侵攻を続けるロシア軍が第2次世界大戦以降で最悪の犯罪を犯していると非難したが、実は第2次世界大戦以降米軍の犯した大規模虐殺(朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争等々)のほうが数多いことも忘れないでほしいものだ。もちろんマスコミはスルーするが。

 

もちろん、ロシアの国連大使は、ロシア軍が残虐行為を行ったという証拠はないと述べ、

「我々は、ロシアの兵士と軍隊に関する膨大な量のうそを再び耳にしている」と虐殺を否定した。

 

しかし、今回は不思議なことにロシアの言い分にも反論と言う形であるが、結果的に気にしている素振りが見え隠れする。それは日本のメディアではなく、世界のメディアが、だ。

ロシア側からのいくつかの矛盾や死体の不自然さのへの指摘に、大慌てで反論の言い訳を発表しているのだ。

 

これまでなら、全部ロシアの言い分は「嘘」と却下すればいいだけの話だ。あるいはかっぱえびせんのCMの如く、いつものように「認めない、伝えない、ロシアの言い分♪」とすればいいのに、やはり事の重大性とやや弱みを自ら感じていることを証明しているようなので、一生懸命反論しているのだ。

 

日本ではテレビの情報は、バカの一つ覚えのように虐殺があったと繰り返し伝えるだけで、分析してみようという態度を示さない。それは特にテレビだけでなく、政治学者、国際政治評論家も皆そうだ。

特に今回バカをさらけ出している政治学者岩田温は、何も調べもせず、テレビ報道とネットの少しの報道のみで、虐殺はあった、ロシアがやった、と簡単に断を下している。

 

しかし、欧米の主流メディアでない良質のメディアは、今回の虐殺事件についての不自然さについて冷静かつ的確に分析し、疑問を呈している。地政学的分析のオンラインジャーナル、スタンドポイントゼロなど。岩田や有本らはこういう情報をなぜ読もうとしないのだろうか。

 

私はもう何回もブログ記事に、この虐殺はウクライナとネオコンの自作自演だと書いている。

これまで、特に証拠はないが、産科病院や劇場爆破の自作自演やネオナチの虐殺という事実をかんがみて、直感的かつ総合的にウクライナの捏造だと判断した。

 

しかし、それでは特段の説得力を持たないのだが、日本及び欧米のジャーナリスト等もその虐殺ロシア犯人説に不自然さを覚えた人達が数多くいるようで、とても説得的な分析を試みているので、それを紹介したい。

 

この事件でのポイントは、死体が路上に転がっていたり、拷問されて殺された人が多数いる、ということではない。虐殺は確かにあったのだ。誰がやったのかだ。

大事なポイントは、3月30日(水)にはすべてのロシア軍部隊がブチャから完全に撤退したといわれているのに、世界にブチャ虐殺の衝撃的事実が発信されたのは、3日過ぎた4月3日(日)の朝のことである。つまり、その間3日間ブチャの街で何が起こっていたのか、いなかったのかというのがポイントなのだ。

 

いやいや、ロシア軍が撤退した後、3日後に虐殺死体が多数発見されただけのことじゃないのか、というかもしれない。しかし、実はそう簡単な問題ではないのである。

この数日を時系列に追っていくと色々なことが分かってくるというか、ウクライナ側の説明の不自然さが明らかになってくるのだ。

 

3月30日(水) 

すべてのロシア軍部隊がブチャから完全に撤退

 

3月31日(木) 

・ブチャ市のアナトリー・フェドルク市長はビデオメッセージで、市内にロシア兵はいないことを確認、ブチャの解放の日として輝かしい日と宣言。路上で撃たれた地元民の存在には触れず。(動画あり)

・ウクライナ政府スポーツ担当の副官ザーン・ベレニュクがブチャを訪問。写真の中の彼は笑顔で、彼からも死んだ町民の情報は出てこない。

・ウクライナ保安庁とウクライナのメディアの代表が町に到着

・ブチャ市議会代表のカテリーナ・ウクライナツィヴァが、軍服を着て「都市の浄化」(?)を発表

 

4月1日(金)

・市民が街に出てくる。

4月2日(土) 

アゾフ連隊がブチャに入る。ニューヨーク・タイムズ記者がブチャに入る。

・ウクライナ国家警察が町に入り、8分間のビデオレポートを投稿。主要な道路から小さな通りまで、すべて撮影している。遺影の映像はない。

・アゾフ連隊とSAFARI連隊の特殊部隊が市内で破壊工作員と共犯者のための特別な掃討作戦開始

・オンラインLeftBankが次のように発表。

ウクライナ軍によって解放されたキエフ地域のブチャ市で、特殊部隊が清算活動を開始した。街はロシア軍の妨害工作員や共犯者から解放されつつあります。

・夜遅く、公道や地下室、浅い墓地に散らばった、殺害されたウクライナ民間人の300体もの写真が流布し始めた。

 

4月3日(日)

・朝、ウクライナテレビが、キエフ北西部のブチャ、イルピン、ホストメルの町での民間人の恐ろしい虐殺があったことをウクライナ国民に知らせた。

・ブチャのアナトリー・フェドルク市長はAFP通信に対して、「280人を集団埋葬した」と話した。

 

このタイムラインでのポイントは、ロシア軍撤退後の3月31日と4月2日の対比である。

ロシア軍撤退後の3月31日には、虐殺は起こっていなかった。しかし、4月3日朝には虐殺が世界に発信された。

 

3月31日、ブチャ市のフェドルク市長はビデオメッセージで、市内にロシア兵はいないことを確認したが、路上で撃たれた地元民の存在には触れていない。このビデオメッセージの中で、晴れやかなフェドルクは、ブチャの歴史の中で「輝かしい日」であるといっているのだ。

もし市長がこの時点で市民の虐殺を知っていたなら、「輝かしい日」などと表現するだろうか。つまり、この日には虐殺など起きていなかった。だから当然市長は晴れやかな思いで、「ウクライナ軍によるロシアの占領者からの解放の日」と語っているのである。

 

4月2日の朝まで死体はあったが、虐殺が起きたことを示唆するほどではなかった。しかし、2日の早くにブチャに入ったニューヨーク・タイムズ記者は、民間人の虐殺については何も言及しておらず、またウクライナ国家警察が町に入り、8分間撮影したが、死体は無かった。

となると、虐殺事件は4月1~2日に起こったのである。

 

スタンドポイントゼロのジェイソン・マイケル氏は次のように書いている。

「…(4月1日)市長は町にいて、町の人々は通りに戻ってきており、誰も、誰も虐殺について話していません。町をドライブする人々が撮影したビデオが1つか2つあり、道路に遺体が見えます。しかし、おそらく3つか4つしかなく、これは活発な戦争地帯です。これらのビデオを屠殺の後の写真と結びつけることは困難です。…4月2日の朝まで死体はあったが、虐殺が起きたことを示唆するほどではなかった。ニューヨーク・タイムズは、民間人の虐殺については何も言及しておらず、街や住民にアクセスできる。明らかな困難があり、人々特に高齢者や弱者は非常に苦しんでいます。しかし、ここには虐殺の兆候はまったくありません。」

 

つまり虐殺はその後に起きた。つまり4月2日の午後に発生したと限定できるのである。

 

では4月2日とはどういう日なのか。

アゾフ連隊がブチャに入り、アゾフ連隊とSAFARI連隊の特殊部隊が市内で破壊工作員と共犯者のための特別な掃討作戦を開始した日なのである。

この「破壊工作員と共犯者のための特別な掃討作戦」とは何か。

それは、ブチャ市議会代表のエカテリーナ・ウクライナツィヴァ都市の浄化を発表したその中身が全てを物語っている。

では「都市の浄化」とはどういう意味か。

 

エカテリーナ・ウクライナツィヴァは、ビデオの中で言う。

(彼女は住民に)アゾフ大隊の到着は、解放が完了したことを意味するものではなく、(しかし、ロシア人は完全に撤退しているのだが)「完全な掃討」を行わなければならない。」と。

そして、ウクライナツィヴァは、住民に避難所にとどまり、通りを回らないように指示をした。

 

つまり、街の中でアゾフ連隊とSAFARI連隊の特殊部隊が市内で、破壊工作員と共犯者のための特別な掃討作戦を開始するから、外に出るなという指示だ

 

ロシア軍がもう撤退を完了したというのに、特殊部隊は誰を対象に掃討作戦を開始しようとしているのか。

それはブチャ市内でロシア軍に協力したと思われるブチャ住民を掃討(捕まえて処刑か)するということを意味するのだ。それが、「都市の浄化」という意味に違いない。

 

スタンドポイントゼロのジェイソン・マイケルは更に次のように書く。

「…掃討の開始からメディアに流れ込む虐殺のニュースの間の時間枠からの唯一の情報源であるもう1つの情報源:ブチャのナチス領土防衛の責任者であるセルギー・コロトキフは、アゾフ大隊の軍人が人通りの絶えた通りを歩いている会話の断片の短い30秒の「テレグラム」上のビデオを知った。

 

あの連中は、青い腕章なしで、撃てるのか?
もちろんだ、クソ!

Those guys, without blue armbands, can we shoot them?
Fucking of course!

 

それです。次に私たちが知っていることは、虐殺があったということです。」

 

そして、米国とEUが資金提供するオンラインサイトLeftBankが 、次のように発表したのである。

 

ウクライナ軍によって解放されたキエフ地域のブチャ市で、特殊部隊が清算活動を開始した。街はロシア軍の妨害工作員や共犯者から解放されつつあります。

 

「ロシア軍の妨害工作員や共犯者から解放」とは、ブチャの住民を(恐らく何の証拠もなく)ロシア軍の妨害工作員や共犯者として引きずりだし、処刑したのではないか。アゾフ連隊又はウクライナ軍にとっては、この掃討つまり虐殺が「解放」であったというのではないだろうか。

 

衛星画像がもっと前に虐殺した映像を記録しているとして、ロシア軍の虐殺は明らかだと言うが、ロシアの国連大使が言うように、衛星画像の修正・捏造など簡単なことだろう。

それよりも記事に書いたような「都市の浄化」「ロシア軍の妨害工作員や共犯者から解放」がどんな意味を持っているのかを解明する方が大事であろう。

 

アゾフ連隊が、ロシア軍の妨害工作員や共犯者と決めつけて、住民を見境もなく、殺戮したとするなら、こちらの方こそブチャ住民は恐ろしい場面を目撃しているはずであり、ブチャ市長も真実を知る者のひとりであろう。しかし、真実を言うことは不可能だ。下手なことをいえば、ロシア軍に協力した破壊工作員又は共犯者として処刑されるに違いないからである。

 

第二次大戦中、ドイツ軍からパリが解放された時、ナチス占領下で協力したフランス人に対して激しい粛清が行われた。対独協力者として多数の人間が群衆の面前でリンチされたり、絞首・銃殺により処刑された。また、「ナチの兵士と寝た女」たちの頭を公衆の面前で丸刈りにするという事件がフランス全土で起きた。

軍法会議や緊急軍法会議なるものの判決により、およそ1万人が処刑されたという。処刑された人々には無実の人々や対独協力者としては小物であった人々も少なくなかったといわれている。

 

ウクライナのブチャではこのフランスで行われたことが、プロパガンダ目的もあって早急に行われたのではないか。一番の犠牲者は、何の罪もなく同胞に殺されたブチャ住民ではないだろうか。

 

先ずは虐殺遺体の徹底的な調査、アメリカやウクライナ等が関わらない調査がまずなされるべきだ。

それが遅々として進んでいないのはどうしてか。困るのは誰なのか、である。

日本の識者もプーチンを悪魔呼ばわりする前に、基本的な調査を要求しろよ。

 

先に引用したジェイソン・マイケルのブチャ虐殺への深刻な疑問を書いた文章を掲げる。

ジャーナリストとしての重要な役割を訴えている。日本のマスコミには真似ができないだろうが。

(機械翻訳なので文章がスムーズでないところがあります)

 

ブチャについての深刻な質問 ジェイソン・マイケル

投稿日2022年4月5日(火)

キエフ州北部の町ブチャでの何百人もの民間人の虐殺(2022年4月2日)は、ロシアのウクライナ侵攻における決定的な瞬間を示している。

土曜日の夜遅く、ロシア軍が地区を占領中に民間人を大量殺戮した一連の事件について、欧米の企業メディアのウェブサイトに、多くの憂慮すべき報道が現れ始めた。

日曜日の朝までに、これはその日の最も重要な国際ニュース項目になり、事実は確立されていました。ロシア人はこれらの残虐行為を犯した。メディアによって公開された画像の恐ろしい性質と、何百人もの人々が殺害された方法の悪夢のような詳細-強姦や拷問を含む詳細-は、西側世論の裁判所が迅速な有罪判決を下すのを助けました。

 

しかし、誰もがこの急いで評決を宣告することに満足していたわけではありませんでした。ウクライナのメディアと、サンデー・タイムズやニューヨーク・タイムズを含むヨーロッパとアメリカの多くのマスコミ公表した情報は、答えたよりも多くの疑問を提起した。

キエフ政府との最近の合意によると、ロシア軍は、3月30日水曜日の午後にブチャ、イルピン、ホストメルから撤退し、ウクライナ軍の前線部隊がその夜と翌日(3月31日木曜日)までこれらの町の奪還を開始することを許可した。

ブチャ市長のアナトリー・フェドルクは4月1日に町内にいて、市役所で午後4時半にフェイスブックで解放メッセージを放送し、4月2日の朝、ニューヨーク・タイムズのフォトジャーナリスト、ダニエル・ベレフラックは超国家主義的なアゾフ大隊と共に街頭を巡回していた。

3月30日の夕方から4月2日の夕方までの間、約72時間の期間に、虐殺の報告は一つもない。殺害された人々の数の推定値は、メディアでは約200人から400人までさまざまであり、これは町の住民の多くが目撃したであろう出来事となっています。

しかし、犯罪の写真、ビデオ、テキストメッセージ、ソーシャルメディアの更新は一件も現れておらず、この紛争に巻き込まれた他の町や都市から市民が撮影した膨大な量の素材を考えると、これは奇妙です。

虐殺のニュースは、多くのウクライナ政治家が'ジェノサイド'と表現しているが、国際メディアの注目を浴びたのは、アゾフ大隊とSAFARI連隊の特殊部隊が'ロシア軍の破壊工作者と共犯者'を掃討する狙いの掃討作戦で'都市浄化'を完了した後だった。

報復のように不審に聞こえるこの作戦に先立ち、ブチャ評議会当局の代表であるエカテリーナ・ウクライナチヴァは、住民に避難所にとどまり、作戦中は路上から離れるよう通知していた。

虐殺のニュースがウクライナと国際メディアに届くのは、この特殊作戦の後になってからだ。

 

ほぼ即座に、ロシア国防省は虐殺の責任を否定した。

ロシア軍は3月30日にブチャ、イルピン、ホストメルを退去したと述べ、ロシアは月曜日にこれらの犯罪を議論する臨時会議を招集するよう国連安全保障理事会に何度も要請した。

国連安保理議長国である英国は、安保理が火曜日(4月5日)に予定通り会合を開き、ウクライナ情勢に関する一般討論を行うとして、この要請を拒否した。

ウクライナ南部のロシア軍がザポリージャ原子力発電所を砲撃したと報じられた3月4日(2022年)に安保理が緊急会合を開いたことを考えると、国際社会が虐殺をこれほど緊急に扱わないのは特異なことです。

 

さて、これのどれも、ロシア兵がブチャの一般市民に対して虐殺を犯さなかったと主張することを意図していない。これは、そのような残虐行為が起こったことを否定するものでもありません。明らかに、何百人もの非武装の民間人が、最も法外な状況で軍隊によって殺害された。

しかし、徹底的な法医学的調査なしには、どの軍隊がこれらの恐ろしい犯罪を犯したのかは不明です。ロシアは責任を否定しており、ウクライナ当局は虐殺がメディアによって報道される前の3日間、町を支配していた。

ロシアは国際的な調査を求めてきたが、その要求は(繰り返してきたが)拒否された。これは虐殺について非常に深刻な疑問を提起し、これらの重要な質問をし、満足のいく答えを求めることはメディアとジャーナリズムコミュニティの義務です。

このウェブサイト、Standpoint ZeroConsortium Newsは昨日(2022年4月4日)、ジョー・ローリアが「欧米は即座に判断を下した」と顕著な指摘をした。

圧倒的に、ソーシャルメディア上の一般大衆からの反応は素晴らしかった -人々は少なくともこれらの考え、質問をするために一時停止を取った。

ロシア政府の特別軍事作戦の理由の正当性について、誰もがどう思うかにかかわらず、過去数週間にわたり、マリウポリや戦闘の影響を受けた他の多くの場所で、ウクライナの防衛軍兵士からの攻撃の危険を冒すロシアのトラックの車列のビデオを見てきました。おそらく、これは大規模なPR活動にすぎないかもしれないが、たとえそうであっても、これは国際世論に対するロシアの敏感さを示している。

それなのに、なぜ、明らかに発見されようとしていた虐殺で無防備な民間人を虐殺することによって、これらの努力のすべてを否定できるのでしょうか?

ロシアはこれをやったかもしれないが、ロシアはこの戦争で民間人を標的にすることから得るものは何もない。そのような犯罪は、NATOが戦争に参戦するのに十分なほど挑発されるのを見たいウクライナ政府に利益をもたらすだけだ。

 

ところが、大企業の主流メディアは、欧米一般大衆に対して、全く異なる行動をとってきた。ブチャ虐殺の瞬間的な物語の問題を考えるのを止めていない。アントニオ・グテーレス国連事務総長がこれらの犯罪に対する独立した調査を要求しているにもかかわらず、英国、米国、その他のNATO加盟国はプロセスを遅らせている。

これらの国々のメディアは、事実を客観的に見るのではなく、今のところ非常に少ないが、単に倍増した。ニューヨーク・タイムズ紙は、4月2日下旬までは虐殺がなかったことを知っていたが、実に驚くべきことに、地上の事実を衛星画像で書き換えようと努力している。

衛星画像の解析 ニューヨーク・タイムズは、キエフ郊外のブチャでの民間人殺害は、兵士が町を去った後に起こったというロシアの主張に反論している。

確かに、Maxar Technologiesは、通りに沿って散らばった遺体を明確に示すブチャの画像を新聞に提供しました。

これだけのことが、4月2日の朝、フォトジャーナリストのダニエル・ベレフラックに見えた。通りの長さに広げられた7人の遺体は虐殺ではありません。これが格子として私たちを襲うかもしれないとしても、ブチャは世界で最も近代的で技術的に進歩した2つの軍隊の間の戦いの最前線にいました - もちろん死体があるでしょう。これは、悲しいことに、戦争地帯で予想されることです。簡単に言えば、これらの衛星画像は、戦争中の軍隊の接触の場 - 最前線 - であった都市環境で見られると予想されるものを正確に示しています。ニューヨーク・タイムズがやらないこと、評判の良い新聞がすべきことは、提起された質問を見ることだ。

 

昨日のソーシャルメディアの誰もが、発掘と白い腕章のビデオを見ただろう。おそらく、これらはロシア兵によって犠牲者に植え付けられたのだろう おそらく、しかしそうではないかもしれない。アゾフ大隊(2014年以来、ドンバスでウクライナ民間人を殺害している準軍事組織)が、破壊工作員と共犯者を探す浄化作戦に関与していたことは記録に残っている。

なぜニューヨーク・タイムズや他の欧米主流マスコミは、4月2日にアゾフ大隊とSAFARI連隊の特殊部隊が求めている人々を探していないのだろう?

彼らは何かを見つけましたか?そして、もしそうなら、それらの人々は今どこにいますか?これらは非常に重要な質問であり、ブチャがロシアの犯罪だったという結論に飛びつくのが早かったのと同じメディアは、今や最も基本的なジャーナリズムの質問をするのが極端に遅い。

これらの質問をするのに、'親ロシア'や'プーチン擁護者'である必要はない。ブチャは、普通の人間がひどい状況に巻き込まれた話です。ジャーナリズムは、真実を求め、健全で情報に通じた民主主義の中で人々に奉仕することであるべきです。

私たちが確実に知っているのは、何百人もの人々が国家主体によって故意に標的にされ、無慈悲かつ無慈悲に殺害されたということです。我々が知らないのは、どの国家主体がこの卑劣な犯罪を犯したのかということであり、ペンタゴンでさえ、誰が責任を負ったのか確認できないと言っている。

誰が責任を負っても、それがロシアであろうとウクライナであろうと、責任を問われるべきです。責任あるジャーナリズムの義務は、ブチャで起こったことの真実を探り、被害者に彼らの権利である正義を与えることです。しかし、それはここで起こっていることではありません。

(引用終り)

 

あるネットのコメント欄に

カチンの森の虐殺を思い出しますね、あの時もドイツに罪を被せようとして失敗、更に長々と罪を認めなかった。

と書かれていた。これはソ連を責めているのであるが、カチンの森の虐殺を思い出すなら、虐殺が捏造されたことを思い出すべきである。

つまり、今回のブチャ虐殺もカチンの森の虐殺と同様、捏造であったということを。