埼玉県ふじみ野市で母親の死を理由に渡辺宏(66歳)が、訪問診療医の鈴木医師やスタッフを呼び寄せ、人質にして散弾銃で医師を射殺した事件は衝撃的でいくつもの問題を提起した。

 

調べに対し犯人渡辺宏は「母が死んでしまい、この先いいことがないと思った。医師やクリニックの人を殺して自殺しようと思った」と供述しているというが、全くの嘘・デタラメだろう。最近のジョーカー事件の言い訳をなぞって考えた屁理屈だ。

 

犯人のクソ爺・渡辺宏はモンスター・クレーマーだったと思われる。

数年前から鈴木医師に訪問診療を依頼していたが、納得がいかないことがあると罵声を浴びせたり地元の医師会にたびたび苦情を寄せたりしていたとか別の介護事業者に対しても金を払わずトラブルを起こしている。散弾銃の支払いも踏み倒しているようだ。

 

事件が最悪の結果となった理由の一つに、訪問医療機関のモンスター・クレーマー対策が全く不備であったように思われる。鈴木医師が余りにも善人過ぎたのである。これは属する医療機関にも責任がある。

今日テレビで、犯人が他の介護事業者を自宅に呼びつけようと(そして射殺しようと)試みる電話のやり取りが公開されたが、それを聞く限り、その介護事業者のクレーマー対応は非常に的確で、その結果難を逃れることができた。

 

その模様は以下の報道のとおり。

「母が死んで今までのことを謝りたい、払ってないお金を払いたい、線香だけでもあげにきてほしい」

電話の主は渡辺宏容疑者。

この事業者は、かつて、母親の在宅介護のサービスを請け負っていましたが、渡辺容疑者から「寝たきりの母を歩けるようにしろ」など理不尽な要求をされたり、ものを投げつけられたりしたためサービス継続を断っていました。

その後は連絡も途絶えていましたが、事件当日の昼過ぎ、突然、電話をかけてきたという渡辺容疑者。当初は丁寧な口調で“介護サービス費用の未払い分を支払いたいので自宅まで取りに来て欲しい”と話したといいます。

ところが、電話を受けた職員が「請求書を送る」と伝え、訪問を断ると渡辺容疑者は態度を豹変。不審に思った職員は、電話の録音を始めました。

渡辺容疑者「どうなんだよ」

介護サービス事業者「ですから、御請求書をお送りさせていただきまして、そちらの方に振込等を行っていただければと思いますけれども」

渡辺容疑者「こっちはちゃんと来てくれないと払えないよ。ちゃんと筋通してもらわないと」

介護サービス事業者「筋ですか」

渡辺容疑者「あんなはした金さ、集金来ないあんたらが悪いんだから」

介護サービス事業者「すぐに集金に行かせていただいたんですけど、払わねえって言ってお支払いにならなかったのは多分・・・」

渡辺容疑者「払わねえじゃねんだよ、お前のところの対応が悪いからだろ」

エスカレートする言いがかりに対し、職員が電話の目的を尋ねると・・・

介護サービス事業者「どういう意図で今、お話をされているんでしょうか?」

渡辺容疑者「何が?」

介護サービス事業者「今、現在の話です」

渡辺容疑者「だからいいよ、お前みたいなバカと話したってしょうがねえんだよ」

介護サービス事業者「では、お切りしてよろしいですか?」

渡辺容疑者「だから線香をあげてこいっていうんだよ」

介護サービス事業者「個別の家に線香を、私はあげに行ったことはありませんので」

渡辺容疑者「だからそれはね、おかしな、だからそもそもな、お前のところの介護のそういう会社は、おかしいところなんだよ、バカやろう」

この電話から8時間半後、渡辺容疑者は、母親の訪問診療をしていた医師の鈴木純一さん(44)を人質に、自宅に立てこもりました。

(引用終り)

 

この介護サービス事業者のモンスタークレーマーに対する毅然とした対応は称賛に値する。それは相手の誘導に乗らず、相手の要求をきっぱりと断っていることだ。

後で話がややこしくなるとか、怒っているからここはなだめて要求通りにしたほうがいいかも、なんて日本の外務省のような軟弱なことは全くしていない。

おそらく、過去にクレーマー対応の経験があるのではないか。

 

話は飛ぶが、人質(鈴木医師)が射撃されて生死が不明で、時間が経てば人質が死亡する恐れがあったにもかかわらず、警察の突入が11時間後というのは何がなんでも遅すぎる。警察に専門の交渉人が見犯人との交渉に当たったと言うが、またいつものように犯人を刺激しないようにと相手の言い分をのんびり聞いていたのではないかと想像される。

 

介護サービス事業者の対応のように毅然たる対応が出来ていないし、犯人は嘘をついていたのだが(鈴木医師は即死)あたかも生きているかの如く警察が騙され、突入が遅れたようなのだが、突入が遅れれば出血多量で死ぬ可能性があった。それでも突入に11時間かかったのは交渉の失敗というか警察のいつものやり方が如何に問題があるのかも示している。

 

この犯人の目的は「母が死んでしまい、この先いいことがないと思った。医師やクリニックの人を殺して自殺しようと思った」では全くなく、母親が死んで金づる(母親のわずかな年金)がなくなったために、刑務所に入って楽をしよう、そして長く刑務所に居続けるためには殺人がちょうどいい、と考えたことだろう。

報道によると。

「医師の筒井冨美さんは「自らは働かず、寝たきりの親の年金収入を生活の糧とする家族の中には親に対して際限なく延命治療をリクエストするケースが少なくない。それは、愛する親を死なせたくないという気持ちゆえの“懇願”であることもあるが、“金目当て”と感じる医療者も多い」という

 

つまり、この犯罪はこのクソ爺の自分勝手な自分のことしか考えない社会的破綻者の犯罪であるということだ。

モンスタークレーマーが生活の糧を得る手段だったのが、母親を失いその手段が亡くなったたために、究極の許されざる殺人という犯行に及んだのであろう。もしかすると数人の殺人。死刑にならない程度の複数殺人を。

 

さて次は、誰もが疑問に思うのにマスコミがどういう訳か余り追及しようとしない2丁もの散弾銃入手の疑問である。

 

ふつうは、ナイフ1本でもわずかなガソリンでも入手経路等が厳密に調べられ、報道されるのである。

しかし、日本で銃撃・射殺事件となれば当然その犯行手段たる銃の入手について焦点が充てられるはずだ。しかし、マスコミはあまり詳しく伝えない。警察もあまり詳しい発表をしないのだろうか。

それでもふつうはマスコミは独自取材や解説をするはずなんだが。

 

情報によると、

「渡辺容疑者は散弾銃2丁を所持し、それぞれ2000年と08年に所持の許可を受け、20年に更新手続きを行っていた。銃と弾は2階で保管していたが、鈴木さんらを1階の和室に招き入れる前に持ち出したとされる。」

「散弾銃はいつ、どこで手に入れたのでしょうか。

散弾銃を販売した店の店主「すごくまじめそうな人だった」

こう語るのは、2000年、渡辺容疑者に散弾銃を販売した店主です。

散弾銃を販売した店の店主「レミントンM870。中古を買っていただいたので6万か6万5000円の銃ですよ」

店主によりますと、渡辺容疑者は「失業し、お金が払えなくなった」として、代金およそ6万円のうち頭金の2万円しか支払いませんでした。また、捜査関係者によりますと、押収された散弾銃2丁のうち1丁はレミントン製で、2000年に届け出が出されていたということで、警察は事件のいきさつをさらに詳しく調べています。」(TBSnews)

 

まあ誰もが思うことは、「そんなに簡単に散弾銃って手に入るのか」である。「じゃあ、護身用か何かに役立つように俺も」って考える者も出てくるかもしれない。

 

そもそもどんな理由を言えば銃が手に入るのか?また犯人は2丁も所有していたが、何丁でも銃の所持は許されるのか。

危険で動物や人を殺傷する武器となる銃をなぜ簡単に許可するのかが不思議だ。

猟友会かクレー射撃のスポーツしか理由は考えられない。日本刀なら芸術作品として鑑賞用という所持はありうるが、散弾銃を芸術作品として持ちたいといっても許されないだろう。

しかし、ネットに「銃砲等所持許可証は簡単な講習を受ければ直ぐに取れる」と書かれていた。

となると、銃所持許可の制度が大甘過ぎることが問題となる。武器としての銃を持たせても、事件は起こす人は余りいないと安易に警察は考えているのだろうか。

 

特にこの犯人への銃の許可は大きな問題にすべきだ。金を払わないのに売ってそのままにしていた銃砲店にも問題がある。

 

まあ、普通の庶民は武器を振り回すことはしない、というか銃を持とうなんて思わない。しかし、スポーツという名で武器を良からぬことに使おうと思う輩らはいくらでもいる。

 

しかし、国家として猟銃に対してそんなに甘い発想しかしないのだろうか。

そんな危険な武器が、簡単に所持が許されるなら、機関銃を持ちたいとか手りゅう弾を所持したいといって許されてもいいはずだ。

んな訳ねえだろう、というのが普通の感覚。その中に散弾銃も入って当然だ。

なぜマスコミはこれを詳しく報道しないのか?

 

また、モンスタークレーマーリストを作ってこれらの人物に散弾銃など許可しない措置をすべきだし、今からでもやるべきだろう。まだ市中にはこうした銃器は大量にある物と思われ、警察は至急に調査し、取り締まりをすべきであろう。

クレーマーに自宅に来いと要求されたら「このクレーマーは銃を所持しているか確認したいのですか」との警察への問い合わせに応ずるべきだ。

 

しかし、銃の所持許可や保管の問題をマスコミはなぜか追及しない。それは何故か。

ここでちょっとまた妄想を逞(たくま)しくしてみる。

マスコミや左翼が持つ革命幻想のことである。

 

まず米国のこと。

米国では銃犯罪が多発し、多数の犠牲者が出ている。そのたびに銃規制の問題が起きる。そして悪者にされるのが全米ライフル協会だ。アメリカの銃製造業や銃愛好家の団体である。「全米最強のロビイスト」と呼ばれ、銃規制に反対しているからなかなか規制が実現されないと。(最近この全米ライフル協会が破綻したと報じられている)

 

しかし、アメリカでの銃の所有は必ずしも利益団体があるからではなく、歴史的な経緯がある。銃の所有が憲法で認められているのである。

 

鵜浦裕文京学院大教授

「…イギリスからの報復に備え市民が自ら銃で武装する必要がありました。こうした事情から建国者たちは、銃の保有・携行を言論の自由などとともに、合衆国憲法が保障する人権の一つとして憲法に練りこみました。

この権利は修正第2条として位置づけられ、銃器製造・販売の権利までカバーします。

以下、原文と日本語訳です。

A well regulated militia, being neces[1]sary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed.

 

規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。

 

これを受けて全米ライフル協会(NRA)銃規制への反対や修正第2条の擁護を唱えて「銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのだ」というスローガンを掲げ銃による自衛の権利を主張しているようである。

 

そのアメリカは民主党による警察弱体化政策により、アンティファやBLMの過激活動により治安が乱れ、民主党知事州の市民の銃保持が必須となり、内戦化の様相を呈しているところもあるようだ。

銃規制は左翼が唱え、警察弱体化も左翼が実施する。つまり左翼はある種の勢力から武器を奪おうとしている。

 

さて、日本はどうだろうか。

今の日本で銃などの武器を持っているのは、警察や自衛隊、猟友会のほか暴力団、中国マフィアぐらいだろう。

豊臣秀吉の刀狩りや明治維新後の士族廃刀令などによって市民の武器保有はほぼ完全に禁止された。

それが日本の治安の良さに繋がっているのだ。

 

しかし、日本ではこの市民の武器保有禁止に異を唱える言説が過去に堂々となされていたのだ。

それを私が知ったのは、左翼社会学者小熊英二の「市民と武装 アメリカ合衆国における戦争と銃規制」という本を数年前に読んだからだ。

 

そのとき、読書メーターに私は以下のような書評を書いた。

「デモ好きな左翼学者が市民武装権について書いた本。20数年前アメリカで起きた日本人留学生射殺事件直後にこれは書かれた。今は更に銃規制が問題になっているアメリカ。小熊はライフル協会と同様の理屈、つまり憲法に保障された人民の武装権から市民の銃所有を賞賛する。

武装市民の理念とは、反軍、反政府、反権力。小熊は人民の武装による革命(これを突き詰めればテロも容認か)を夢見ているから、アメリカの銃暴力社会を批判できない。

丸山眞男の各世帯にせめてピストル一丁の配給をという馬鹿げた提案に共感する。呆れたを通り越して恐ろしい学者なり。」

 

戦後を代表する左翼政治学者丸山眞男の「各世帯にせめてピストル一丁の配給を」(市民の「自己武装権」)という提言だ。丸山の文章が発表されたのは1960年3月、いわゆる「六十年安保」の直前の時期だ。

丸山の言葉をもう少し拾ってみる。

とにかく、豊臣秀吉の有名な刀狩り以来、連綿として日本の人民ほど自己武装権を文字通り徹底的に剥奪されて来た国民も珍しい。私達は権力にたいしても、また街頭の暴力にたいしてもいわば年中ホールドアップを続けているようなものである

「どうだろう、ここで一つ思いきって、全国の各世帯にせめてピストルを一挺ずつ配給して、世帯主の責任において管理することにしたら……。日本の良識を代表する人々につつしんでこの案の検討をお願いする。」

 

小熊英二の言。

「歴史上一度として市民の蜂起で君主を倒した経験がない国の人間が、それを一片の冷笑をもってかたづけてよいのかは、別問題のはずである」(人民の武装権)

 

ここで丸山眞男そして小熊英二は、アメリカの市民武装にあこがれを表明しているのである。

もし日本市民が武装していれば、各世帯にせめてピストル一丁あれば、日本の革命ができるんだ、とバカげた夢想をしているのである。

 

丸山は60年安保のときだが、小熊は2004年の本だ。この期に及んでも革命が、それも暴力革命を起こしたくて仕方がないのだ。

この本に賛意を示す書評には「しかしさらに恐ろしいことには、もし市民が武器を捨てた社会が実現するなら、今度はその反動として、国家権力の武装力が増すだろうという、より悲痛な見通しなのだ。」
と書かれたものがあった。ここにも1丁のピストルが欲しいというたわけ者がいる。

 

しかし、丸山の提言に笑ってしまうのは、武装するのは国家権力に対抗するためなのに、その武装「各世帯にせめてピストル一丁」の配給を当の国家権力に要求しているのである。バカも休み休み言えよ、だ。

 

さて、長々と「銃がほしい」という勢力が日本にいるということを書いたのだが、その結果を利用したのが今回の犯人渡辺宏だ。市民が銃を所有すると革命ならぬ単なる凶悪犯罪が起きることの証明だ。

といっても、左翼は犯罪(者)は革命的だ(「平岡正明著「あらゆる犯罪は革命的である』)と考えてもいるようだが。

 

ここで言いたかったのは、現在の日本の銃規制が弱いのは何故か、の背後の意識の中に「自己武装権」的発想が隠されているのではないかということだ。

もちろん警察や公安にとっては日本人の大人しさに依存しているのだが、それにしても危険なものはシステムとして排除しなければいないはずなのに、何故か甘い。左翼の暗黙の「自己武装権」要求に警察は配慮しているのではないだろうか。

 

マスコミが銃の保持について余り言及しないのも、丸山眞男の「市民の自己武装権」を思い出して、これは革命のための条件であり、権利なのだと暗黙に思っているから静かにしているのではないだろうか。

これらは全くの私の妄想なのだが、マスコミその他の左翼にまだ革命幻想が残っているのは間違いないのである。