昨日の常総市は市役所への爆破予告騒ぎへの対応で大変だったらしい。市役所の臨時閉庁だけでなく、鉄道まで止めたとか。ニュースで大々的に報じていた。予告時間が過ぎても異常がなかったので、ようやく元に戻ったとか。当たり前だろう。ニュースでも大きく扱ってくれて犯人が大喜びする姿が目に浮かぶ。
何だか最近は全国で立て続けに爆破予告の脅迫があったそうだ。自治体だけでなく、大学への爆破予告が頻繁に発生し、6、7月2か月で20校以上にも上っているとか。
学校に対するよくある爆破予告は、試験の妨害だ。自治体へは役人が気に入らないとか、生活保護をくれないとか税金が高すぎるとかそんなところだろう。
しかし、最近の全国爆破予告が同一犯人なら、目的は単なる愉快犯ということになろう。何しろメール1本、電話1本で何百、何千という人間を右往左往させられるのだから、楽しいことこの上ない。
しかし、こんな爆破予告、英米仏やイスラエル、アフガニスタン等々テロが頻繁に起きているところなら、確かに爆破予告通りに爆発する可能性が大いにあるが、日本では100%偽予告なので、真面目に対応する必要はない。というより、対応してはいけない。
何年か前にも爆破予告をして、犯人が捕まったが、その時の犯人の言葉が面白かった。
容疑者は言う。
「起こりもしない予告に、何度も何度も真面目に対応している役所を見ると、滑稽でしかないっていうんですかね。」
「アメリカ大使館も爆破予告をしたんですけど、無視されました。」
テロに一番敏感な国米国だからこそ日本での爆破予告を無視できるのだ。真面目に対応したらバカにされるだろう。もし対応するとしたら、それは爆破予告が本当にありうると判断した時だろう。
日本でなぜ嘘又はイタズラとわかっていても施設を閉鎖したり、職員を避難させたりするのか。それは万が一を考えてのことなのか。そんなことは絶対にない。
みんな嘘・イタズラの爆破予告だとわかっている。しかし、それをやらないと正論爺さんが許さないから。そして万が一のことで責任追及されるのがめんどくさいから、逆に市民に迷惑をかけてでもメンドクサイ対応を警察関係者はやらせるのである。
正論爺さんは必ずこう言う。「もし万が一爆弾が爆発したら、誰が責任を取るのか。」
そんな爺さんには関わりたくないから、皆に避難させるのである。善良な市民は、もし爆発しなかったら、(爆発したらでなく)誰が責任を取るんだ、なんてバカなことは言わないから、市民には迷惑をかけても平気なのである。
となると、国会にとか首相官邸にとか爆弾を仕掛けたといわれたら、国会開催中ならわざわざ議員が全員避難するんだろうか。ディズニーランドとかサッカー場に爆弾を仕掛けたといわれたら、試合は全部止めるんだろうか。
犯人ももっと大きく爆破予告をして、全国の主要施設に爆破予告メールをしてほしいものだ。もし日本全国の各施設管理者がアホなら、一気にロックダウンが可能となる。世界の笑いものになると思うけど。
昔(5年も前に)、爆破予告があった時に書いたブログ(別のブログ)を再録したい。
色んな事を書いているので、読んでほしい。
①2015年06月05日
テロには屈しない!じゃぁなかったの?
「埼玉県朝霞市役所によると3日未明、「明日の午後3時に市役所を爆破する」という内容のメールが届いたという。警察などが市役所内を調べた結果、不審物は見つからなかったが、朝霞市では4日午後2時半から午後3時半にかけて、市役所や公民館・学校など96の全ての公共施設を一時閉鎖し、約1万7000人が避難した。」(ニュース)
朝のニュースでやってました。先日は足立区役所でも同様なことがあったとか。朝霞市役所ではぞろぞろと近所の公園に避難し、市役所前バス停にはバスも素通りしたそうだけど、見ていてアホじゃなかろうか、と思ってしまいました。イラクじゃあるまいし、日本での爆破予告なんて99.999…%イタズラだろう。それでも0.0000…001%の可能性があるなら、大騒ぎしないといけないようです。
そこで私は想像した。そうか東京いや日本全部の行政機能をマヒさせることが簡単にできるのだと。たった一本のメール、見つかりたくなければ82×N円使っての脅迫手紙だけでいい。全国の行政をマヒさせられる。こんなにも簡単に!すごいぜ!(大量の脅迫手紙の発送は簡単に足が着きそうでだめかも)
そのとき、全ての役所が朝霞市役所の行動を取るのか、それとも一笑に付して無視するのか、日本の役所は恐らく頭を抱えるに違いない。
では、どう考えたらいいのか。
以前別ブログで「可能性と蓋然性のちがい」について書いたことがある。もう一度引用してみよう。
(注) 蓋然性 ある事柄が起こる確実性やある事柄が真実として認められる確実性の度合い。これを数量化したものが確率
「ここで可能性と蓋然性を区別しておかなければならない。可能性はpossibility、蓋然性はprobabilityである。この区別が重要なのは、「可能性がある」とか「可能性は否定できない」とかいう言い方が、詭弁によく用いられるからだ。 たとえ0.1%でも可能性があれば、「可能性がある」と言えるからで、「UFOなどというものは存在しない」ということは、さすがに宇宙の隅々まで調べ尽くしたわけではないから、可能性がない、と言い切るのは難しい。
…しかしあるテーゼの有効性は、蓋然性の高さをもって計るべきもので、「可能性は否定できない」けれど「蓋然性が極めて低い」なら、それはまず「ない」とするのが学問の約束事であって、だから「可能性は否定できない」などという者がいたら、注意が必要である。」
(小谷野敦「評論家入門」(平凡社新書)より)
「可能性は否定できない」とかいう言い方が、詭弁によく用いられるからだ、という言葉にハタと閃いたのは、先の特定秘密保護法案反対派のほとんど妄想(「原発や米軍基地の写真をインターネットで公開して逮捕される!」)というべき反対理由でした。なんだって「可能性は否定できない」んだから、何とでもいえる。でも、「蓋然性が極めて低い」なんて絶対いわない。
子どもの口げんかならまだしも、大人の世界では可能性と蓋然性の区別ぐらいはちゃんとしなくちゃ、ということと、そういう言い方をする人には注意せよ、と小谷野さんは分かり易く教えてくれました。」(引用終わり)
どうだろう。爆破される可能性は確かにある。しかし、爆破予告の状況を種々想定して、蓋然性が圧倒的に低いなら、「テロに屈せず」、業務は平常通りするべきなのである。
ネットその他で大いに批判がなされるだろう。しかし、それを気にして職員を避難させるとするなら、それは職員や市民のことを思ってではなく、単に責任を逃れたいという役人根性にすぎない。
②2016年02月25日
爆破予告されたからといって…現代の2.26事件の起こし方!
全国自治体への爆破予告関与をテレビに告白して、20歳の容疑者が逮捕された。少し足りないというか神経がショートしているようなばか者。全国の自治体に爆破予告が相次ぎ、そのたびに避難したり、爆発物を探し回っている姿が報道されていたが、ネットを使った犯罪は大体逆探知ができて、逮捕されるのが普通なのに今回は遅いなと感じていた。
その矢先に犯人が名乗り出たのだが、テレビに出て犯行告白というのもいかにも現代的でいかれている。逮捕されたがっている素振りは、もう普通の生活に飽きてしまったのだろう。
容疑者は言う。
「起こりもしない予告に、何度も何度も真面目に対応している役所を見ると、滑稽でしかないっていうんですかね。」
お前が言うな!ということだが、私も実は同感なのだ。役所の対応が真面目すぎやしないかと。
今日の犯人インタビューの続きでは面白いことを言っていた。
「アメリカ大使館も爆破予告をしたんですけど、無視されました。」
天下のアメリカ大使館がイタズラなんぞに慌てふためいたら、滑稽で世界の笑いものになってしまうだろう。もし、アメリカ大使館員が真面目に避難したとしたら、それはそれなりに信憑性のあるテロ行為の可能性があるときだ。
それに比べて日本では、まさに犯人に「滑稽でしかない」と言われてしまうほど生真面目だ。なぜだろう。もし、本当の爆破予告だったらどうするの。大問題になるじゃないか。市民の安全を考えて避難させるのは当然だ、と自治体責任者は説明するだろう。もし、無視したらマスコミが大はしゃぎして大問題だと騒ぎまくるに違いない。そんなこんなで、イタズラとわかっていても避難するしかないのだ。
まあ、それはそれでしようがないというものだろう。
しかし、ちょっと待てよ。犯罪者の立場、つまり愉快犯やテロがしたくてしょうがない過激派の立場に立って考えてみよう。
先のように全国の自治体や団体が「起こりもしない予告に、何度も何度も真面目に対応している役所を見ると、滑稽でしかないっていうんですかね。」ということをやってくれたとする。そうすると日本中の機能をマヒさせるには爆弾も銃も何も要らない。メール一つあればいいことになる。
まずは日本の中枢の国会、首相官邸及び霞が関の官庁全てに同時爆破予告をする。そして、警察、消防、自衛隊に同じく爆破予告をする。マスコミの新聞社、NHKや民放テレビ局に同じく爆破予告をする。電力会社、通信会社、鉄道会社に同じく爆破予告をする。銀行や民間企業にも主要駅にも等々。全国も同様に。原発も。きりがないか。
これらのメールアドレスを探して、登録して爆破予告の同報メールを送るだけだ。これで、首都圏の機能は完全にマヒする。みんなもしもの事を考えて、避難するしかない。イタズラの可能性を考えるが、万が一を考えると避難するしかない。その結果首都圏はマヒ状態!
当然それが成功するためには、「起こりもしない予告に、何度も何度も真面目に対応する」ということが前提だ。
しかし、今回の爆破予告イタズラ事件では多くの自治体が犯人の思ったように対応したのだ。それなら、首相官邸及び霞が関の官庁等全てが馬鹿げているけれど、避難行動を取る可能性も大いにあるということだ。
明日は2.26事件の起きた日だ。近衛歩兵2個連隊が主要な官庁等を襲撃してクーデターを起こそうとしたが、それでも失敗した。しかし今日、ひょっとするとメール1本で同様のことが起こせるかもしれないのだ。
この想定は現代日本の戯画なのだが、そうさせない例がアメリカ大使館の対応だ。あるいは数多くの爆破予告をされた自治体でも、完全無視してマスコミにも警察にも伝えなかったところがあるかもしれない。調べていって爆破予告を無視しましたなんて後から言わない方がいい。叩かれるから。
こういう状況の時に判断する判断基準というか考え方がある。それは、可能性と蓋然性ということだ。
可能性とは論理的にあり得る場合、万が一でも、1億分の1でもあり得る場合は、可能性があると言わざるを得ない。蓋然性とは、確率のことだ。可能性はあっても、その起こり得る確率が高いのか低いのか、低ければ「起こらない」あるいは「起こりそうにない」と判断してよい。
普通日常ではこの二つの基準を上手く使い分けている。朝、傘を持って会社に行くか否かは、二つの基準を上手く使って判断している。
しかし、ことが公になるとあるいはそこにマスコミが介入してくると突然普通の判断能力を失ってしまい、「可能性」基準一辺倒になってしまう。丸川環境大臣が1ミリシーベルトを巡って叩かれているのも、爆破予告で右往左往してしまうのも「可能性」基準一辺倒になってしまった結果だ。
メールによる現代の2.26事件を防ぐには、「蓋然性」という考えをうまく使えば簡単に防げるということになるのだが、さて。