トイレットペーパーが無くなるというデマは、24日頃九州のある男がツイッターで発信したことが発端らしい。それが瞬く間に広がり、薬局等で売り切れが続出したとのこと。
不足する理由に挙げられたのは、「中国から原材料を輸入できなくなる」とか「中国のトイレットペーパー工場が止まったらしい。トイレットペーパーが入手困難になる」「マスクと同じ原料を使っているからトイレットペーパーが品薄になっている」というもの。
そしてそれが今やおむつまで品薄になっているという。
その理由は嘘ばかりで、日本家庭紙工業会は「中国の影響で品薄というのは全くのデマ」と断言する。国内で流通するトイレットペーパーの98%は国内で生産されており、原材料も国産だから、各メーカーや卸元に在庫はふんだんにあるという。
だから、今後商品は入荷するので、落ち着いて対応してほしいとか冷静な対応が求められるとテレビ局のアナは締めくくるのだ。
でもちょっと待ってほしい。品薄とか売り切れの店や商品棚を喜々として映しているのもテレビ局なのである。
「(あるテレビニュース)…トイレットペーパーの棚がガラガラだ。これは28日朝、都内で撮影されたドラッグストアの様子。店の前にできた行列をよく見ると多くの人がトイレットペーパーを手にしている。こうした現象は全国で起きており、熊本市でもすごい数の人の列ができていた。開店した途端、レジにはトイレットペーパーを買い求める客が殺到。中には自転車のカゴに入りきらずハンドルにぶら下げて帰る人の姿も。
買い物客:3軒目でこれだけ取れたからラッキーでした。」
こんな状態を放映しておいて、しかも「こうした現象は全国で起きており」と解説しながら、冷静な対応が求められるも何もないもんだろう。
つまり、テレビ局がデマを結果として煽っているのである。
こんな光景を見れば、デマとわかっていても、商品が十分あるとわかっていても、皆が買いに走ればやはり店頭から無くなるのである。それは困るということで買いに走るのである。
最初のデマ発信が感染源とすれば、テレビニュースは二次感染源なのである。そんなこと、店で商品が無くなっていることを知らなければ誰も争って買いに行きはしなかったのだから。
だからデマは怖いのである。ネット社会の怖さなんである。
新型コロナと同じようにデマについても「正しく怖れ」ないといけない。それはまずマスコミが「正しく怖れる」べきなのである。報道機関ならなにやってもいいということではない。デマはテレビ局が大きくしたともいえるのである。
デマと知っていて買いに走るのはバカであるかもしれない。しかし、人はそういうものなのである。自分だけが得すればいいのか、と批判してもダメなのである。だからデマ対策は難しいのである。
デマが社会を大きく混乱させたのだから、デマを最初に発信した者を罰しなくてはいけないと今ネットで犯人捜しまで始まっているそうだ。これもまたやり過ぎである。革命の為に社会をびん乱させる目的でデマを飛ばしたのならいざ知らず、安易に犯人捜しをすべきではない。冤罪も発生するかもしれない。
今回言いたいのはテレビ局の態度だ。デマを煽った一端の責任はテレビ局にあることに気付くべきなんだ。
よくドッキリとかバカげた実験とかを見せるバラエティー番組で、とても危険なことを芸人にさせて笑いを取る。そして、テロップ。
「これは危険ですので、絶対に真似しないで下さい」とか「いい子は真似をしないでね」
これが免罪符だと思っているのである。
危険ならそもそも放映するなよ、といいたい。「いい子は真似をしないでね」とは、テレビ局は悪い子だということを自覚しているのである。
真似するなといいながら、真似をするように煽っているのである。
トイレットペーパー不足デマ報道も危険な実験のたぐいなのではないか。
さんざん映像で買占めシーンを映して、早く来ないと無くなるぞーと煽っておいて、「冷静な対応が求められる」ってか。お前のほうが「冷静な対応」をしろよ。
ではテレビ局はどういう伝え方をしたらよいのか。
デマの事実と品薄になった事実は言葉でなら伝えてもよい。しかもデマの間違い理由を分かりやすく伝えることが大事だ。
不必要な映像は、ガラガラの商品棚とかお客の行列シーン、山のように品物を抱えて帰る客の映像などだ。これが不安を増大させる。煽りの元だ。
こんなシーンは全く不要だし、百害あって一利なしである。こどものマンガに残虐な殺人シーンが不要なのと同じだ。
テレビ局も社会心理学者と一緒にデマを拡散しないための方策を前もって考えておくべきなのである。