和歌山市の計画断水について、計画通りに断水しなかったことにマスコミは市民に迷惑を掛けたと非難気味に報道しているようだ。バカげていると思わないか。

私はJRの計画運休には批判的だが、和歌山市の計画断水判断は称賛されてよいと思うのである。

 

「和歌山市は20日、破損した水道管工事のため市内全域の約5分の1に当たる約35千世帯(約8万人)を対象に最長3日間実施すると16日に予告していた断水を取りやめることを決めた。飲料水を買い込む市民や営業を見合わせる飲食店などが多数出たことから、影響は広範囲にわたるとみられる。
 市は、8日に同市鳴神の国道24号の交差点地下にある農業用水路内への水道水の流入を確認。1962年に使用を始めた水道管が破損したとみて19日夜から掘削作業をしていた。漏水が基幹配水管からの場合に最長3日間の断水を想定していたが、枝管からの漏水と判明し、修繕を終えた。

和歌山市は、水道管の修繕のため3日間にわたって広い範囲で断水するとしていましたが、工事の結果、断水は行わずに済みました。断水の計画で市民生活に影響が出たことについて、尾花正啓市長は「混乱を与えて申し訳なかった」と陳謝しました。」

 

NHKニュースから。

「…しかし、実際に工事をしたところ漏水は、当初想定していた太い幹線部分ではなく、直径15センチの細い部分だったことが分かり、すぐに修繕した結果、断水する必要がなくなったということです。
尾花正啓市長は20日、午前9時から対策会議を開いたあと記者会見を開き「住民に混乱を与え、店舗が休業するなど経済活動にも大きな影響を与えてしまった。迷惑をかけて申し訳なかった」と陳謝しました。そのうえで断水計画や広報の方法に反省する点があったとして今後、検証する考えを示しました。

 

70代の女性は「お風呂やバケツに水を3日分ためるなどして断水に備えていました。断水中止を知らなかったので、けさも蓄えた水で顔を洗いました。徐々に、断水がなくなったと聞いて安心しています」と話していました。
近くに住む76歳の女性は「念のために給水所の様子を見に来ました。まだ水が濁っているかもしれないので、午前中は水道は使いません。3日間も断水する計画ならば、市には、もっと早く広報してほしかった」と話していました。」

(引用終り)

 

断水に備えて水の確保に奔走して大変だったのだが、計画断水が中止になって良かったというべきではないのか。そのまま断水した方がよかったとでもいうのか。

市はいい加減な作業をして計画を決定した訳ではない。もしかすると幹線部分の水道管の漏水かもしれない、つまり修繕工事に3日ほどかかる可能性があると考えて、数日前から計画断水を市民に知らせた。

それは市としてはとてもよい判断だったと称賛されるべきだ。

 

 もし市役所がろくな調査もせずに枝管からの漏水と判断して工事を始めたら、幹線の本管だったらどうするのか。突然市民に対し、今日から3日間断水しますと知らせることになる。

そのほうが余程市民がパニックになったのではないか。「なぜ早く知らせてくれないのか」という苦情が殺到したことだろう。

 

リスク判断により計画断水を決断したのは、懸命だった。断水がないことによるリスクはそもそもリスクとはいえない。

しかし、断水したら文句を言われ、断水するといったのに断水しなかったら文句を言われるのなら、市役所としてどうしたらいいのか。

アホな市役所なら、文句を言われるくらいなら黙っておこうとなりはしないか。

 

突然の断水は絶対避ける、これが一番の判断の基準だろう。

今回のマスコミの、断水と言ったのに水が出たことに批判したい口ぶりはホントにどうかしている。

断水するといったんだから、断水しろというのか、落語の与太郎のような言い分だ。

 

和歌山市役所は「断水計画や広報の方法に反省する点があったとして今後検証する」としているが、どうしたらよいだろうか。

私の考えを示す。以下のように市民周知を行ったらどうか。

水道管漏水、破損状況の情報をキチンと知らせ、市役所としての作業方法とプロセスを開示し、本管からの漏水なら大工事になるため、数日の工事期間が必要となるため、その間断水もありうると説明し、枝管漏水なら、断水はしないだろうとし、どうなるかは今鋭意作業中である。断水の可能性もありうるので、その間の対応は市として最大限行うが、市民の皆さんも自力対応をお願いします、と。そして断水しなければならなくなった場合は早急にお知らせします、と。計画断水というか予告断水だね。

 

何度も言うが、計画断水を決めたのは賢明な判断であり、断水しなくて済んだのはいい結果に落ち着いたのである。市民もマスコミも和歌山市役所にご苦労さんというべきであり、文句などゆめゆめ言うべきではない。

 

JRの計画運休はやり過ぎるのは企業の役割の放棄につながるので安易にやるべきではない。交通機関はできるかぎり輸送のため努力することが使命なのだから。