128日からかなり日が経ってしまったので、旬の感じがしないが、一応12月中ならまだ遅くはないかなと思って、真珠湾攻撃ルーズベルト陰謀説とそれを否定する人達のことを少し書いてみる。

 

といっても余りキチンと勉強しているわけではない。毎年真珠湾攻撃の128日は巡ってくるので、その少し前から勉強し始めるが、その日が過ぎるともう疎かになってしまう。毎年それの繰り返しだ。

 

しかし、真珠湾攻撃ルーズベルト陰謀説は、真珠湾攻撃のみに限定されずルーズベルトが如何にナチスドイツと戦争をしたがり、その関連で日本を戦争に巻き込んでいったかという問題にもつながるので、問題のすそ野はかなり広いといえるのである。その中にはコミンテルンの謀略も当然含まれる。

 

特に最近は渡辺惣樹氏の精力的な著作、翻訳によりルーズベルト大統領の実態が明らかになってきているし、そもそも西尾幹二氏にいわせれば、米国のアジア侵略途上の日本との衝突は必然的であるとのことだし、最近は林千勝氏の著作もいくつも出版されている。

 

WiLL1月特大号には有馬哲夫氏が「真珠湾陰謀説を検証する」という論文を書いている。しかし、いつもしっかりしたことを書く有馬氏も「陰謀説には溺れるな」と真珠湾攻撃を成功させた日本軍を評価せよ、と何だか論点がずれていくのが気になる。

「陰謀があったからではなく、日本海軍の作戦とその遂行能力が素晴らしかったので成功したのだ」と。

 

そもそも真珠湾攻撃ルーズベルト陰謀説は、日本発祥でもなんでもなく、太平洋戦争終了直後から、本家のアメリカでハミルトン・フィシュ議員やビーアド博士、モーゲンスターン教授その他多くの学者等から強い疑問が出されていたのである。

 

しかし、真珠湾攻撃ルーズベルト陰謀説を否定する日本の学者たち、例えば秦郁彦、須藤眞志、森山優(「日米開戦と情報戦」)等の学者たちは、ほとんど説得的な陰謀説否定論を展開できていない。

 

もう昔読んだのでうろ覚えだが、須藤眞志などは、ルーズベルトは女にだらしなく陰謀をめぐらす能力は無いなどといい加減なことでお茶を濁すし、最近の森山優は、

「日本に一発目を撃たせることと大損害を出すことは別の話だ。…日本の機動部隊の位置がわかっていたなら、返り討ちにすればいいだけである。太平洋の戦争を早期に終結させるチャンスをみすみす逸したうえ、2000人を超える将兵を死に追いやるスキャンダルの当事者になりたい指導者はどこにもいないだろう

と、全く想像力に欠け、世界の指導者の非情さに思いをいたすことができない浅薄なものの味方で戦争の歴史を語る資格は森山には無いと言える。

 

そもそもルーズベルトは、参戦して若者を戦地に絶対送らないと公約して大統領選に勝ったのは誰でもが知っている。だからドイツと戦争するためには、まず日本と戦争状態に入ることが必須だったし、アメリカの損害は戦争を継続するのが当然なほど国民の怒りが燃え立つことが必要だった。

 

だから、森山が言うような「太平洋の戦争を早期に終結させるように返り討ちに」して簡単に戦争が終了しては困るし、「2000人を超える将兵を死に追いやる」ことが戦争開始のために必要だったのである。100人程度の犠牲では米国民に、日本とそしてドイツと戦争すると宣言したら、止めろというのが国民の声になったに違いないのである。森山は学者としてそういう想像力は働かないのだろうか。ことほど左様に彼らの陰謀説否定論は説得的でないのである。

 

もう一つ森山らの彼らがバカになってしまう理由としては、真珠湾攻撃ルーズベルト陰謀説は、日米ともに歴史学会では歴史修正主義史観といわれているものを絶対に認めることができないのである。真実よりも仲間の言説のほうが大事なのだ。

では彼らの史観はというと、渡辺惣樹氏は釈明主義史観と呼んでいる。

 

つまり、主流の釈明史観でなければ、学界で生きていけないのである。地球温暖化CO2説を唱える気象学者のようなものだ。CO2説がおかしいと思っても、研究発表すれば、気象学会から放逐されるのである。学者も生活がかかっているから、主流の考えに異を唱えることは死活問題となるのである。

歴史学者も同じことだ。だから、森山もいい加減な解説でお茶を濁すのである。

 

真珠湾攻撃ルーズベルト陰謀説をここで大々的に展開しようとは思わない。まだそんな大それた準備は出来ていない。まだ読むべき本をキチンと読んでいない。しかし、少し読んだだけでも、真珠湾攻撃ルーズベルト陰謀説が正しいことはよく分かる。ぜひ渡辺惣樹氏の著作やハミルトン・フィッシュ、ビーアド、スティネットらの著作に当たってほしい。

 

ここでは、ジョージ・モーゲンスターン教授の「真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任」から、ルーズベルトが日本軍に対して、早くから真珠湾を攻撃させようと仕組んできた細かい謀略を取り上げてみる。

 

1919年までにハワイに戦闘艦隊を集合していた。

1921年日本に対抗するための海軍基地はカルフォルニアに設定することにした。

1932年、パールハーバーの基地の安全性が模擬攻撃によって、深刻な不安にさらされる結果となった。

・日本の海軍大学では、常にハワイ基地を攻めるにはどうすべきかがテストの問題になっていた。

1936年アメリカ艦隊はパールハーバーに集合された。

1940年アメリカ艦隊はパールハーバーに無期限とどまる政策が決まった。

1940.5月合衆国艦隊司令長官リチャードソンは、今は艦隊は西海岸にいるべきと要求したが、ルーズベルトにパールハーバーにとどまるように命令された。

ハワイに艦隊を置く理由として、ルーズベルトは日本への抑止力だとしたが、リチャードソンは、文民政府(日本)には効果があるが、日本海軍は、米艦隊が準備不足と知っているから、効果はないとした。

1941.2月リチャードソンは解任された。在任わずか110カ月。

・ハワイ基地に十分な偵察機が与えられなかった。1900機の偵察機が英国に貸与されたが、ハワイにはわずか180機であった。要求するも英・ソ連にのみ送られた。

・ワシントンではハワイ防空・防御方策(防魚雷網の設置等)いくつも案があがったが、ハワイには連絡しなかった。

・ルーズベルトは太平洋艦隊をハワイ湾内から動けないように、タンカー数を減少させた。また偵察に必要な駆逐艦50隻が太平洋から大西洋に送られてしまった。

・対空兵器は必要な数に著しく不足し、ショート将軍はマーシャルに要求したが、すぐに送ることはしなかった。多くは英国に送られていた。

・1941.11月27日キンメル提督はワシントンから戦争警告を受け取ったが、同時に空母2隻に25機ずつの飛行機を載せ、ウェーキとミッドウェー島に送ること、ショート将軍にはそれぞれに陸軍部隊を増派し海兵隊と交代すべき命令を受けた。これは防衛が中断されるので、ワシントンがハワイ攻撃を予想していないことを確信させた。

 (暗号傍受の扱いについては省略)

 

面倒になってきたのでこの辺で止めるが、上記の抜粋は、ハワイが攻撃されるように仕向け、防御力をわざと削減し、日本軍の攻撃はすぐには無いと思わせ、被害と犠牲を最大化させようとしたのはルーズベルトとその配下の者たちだった、ということを示している。

そのためにキンメル提督とショート将軍が生贄にされたのだった。

 

有馬哲夫のいう「陰謀があったからではなく、日本海軍の作戦とその遂行能力が素晴らしかったので成功したのだ」というのは、まさに米国が作り上げたプロパガンダなのである。

有馬はこのモーゲンスターン教授の本を読んでもこんな馬鹿げたことをいうのだろうか。不思議である。

 

ここでは、中途半端な書き方しかできなかったが、今後もこの関連の書物を読んでルーズベルトの陰謀を解明していきたいと思っている。