天皇陛下、皇后さま、30年ご苦労様でした。大変な30年でした。あとは上皇としてゆっくりとお過ごし下さい。

 

テレビでは平成最後の日ということで、特番を組んで、大晦日から新年を迎える如く改元の時をカウントダウンのように盛り上げて大騒ぎをしています。日本人はどういう訳か、区切りの日が好きなようです。商売にもなりますしね。

 

まあ仕方がないといえば仕方がないんですが、平成の時代を大災害はあったものの良き時代だった讃える風潮で溢れています。過去は何でも美化する悪い癖のような気もします。

 

私は子供の頃から「北向き」と言われていましたので、あえてこんな風潮にもへそを曲げて嫌味の一つも言いたいと思います。

 

本当に平成の時代って良き時代だったんですか、と。

私的には大いに良き時代だったといえる人が沢山いることでしょう。私も30年を振り返ればまずまずだったかなと思っています。

しかし、日本という社会を捉えたときはどうでしょうか。

経済も政治も悪くなるばかリで、日本が良き習慣や文化を次々と破壊してきた30年ではなかったでしょうか?

 

経済評論家三橋貴明氏は今日のブログで次のように書いています。

「さて、いよいよ平成最後の日となりました。
 昭和64年(平成元年)1月7日。昭和天皇が崩御され、昭和が終ります。翌1月8日、平成が始まりました。同年4月、低所得者層の税負担が相対的に思い逆累進課税の消費税が導入されました。さらには、同年、日米構造協議開始。アメリカ主導による本格的な日本の「構造改革」が口火を切ります。
 その後の日本は、バブル崩壊、デフレ化で国民経済が停滞する中、グローバリズムのトリニティ(緊縮財政、規制緩和、自由貿易)が容赦なく進み、国民は貧困化。ナショナリズムは瓦解し、誰もがルサンチマンにまみれ、すさみ、誰かをねたみ、嫉み、足を引っ張ることばかりを考える浅ましき国家、国民へと落ちぶれていきます。」

 

平成の時代にグローバリゼーションと新自由主義政策が徹底的に進み、日本の古き良き経済慣習が破壊されていきました。格差社会は拡大し、財政破綻という脅しによりいつまでたっても緊縮政策を推し進め、その上消費税増税まで進めようとしています。

そして安倍政権下での移民拡大政策。今後の日本が更に悪くなる種は全て平成の時代に蒔かれたわけですから、令和の時代はそのタネから毒のある花が次々と咲くことでしょう。

そんな平成の時代ではなかったでしょうか。そういう世の中に絶望して西部邁は自死したのではなかったでしょうか。

 

そんな平成の最後を象徴するものとして素晴らしい商品が発売されました。
平成の空気が入った缶詰。岐阜県関市の平成(へなり)地区で詰められた「平成の空気」と「ご縁」を意味する5円玉が入っているとのことです。中味が空っぽで五円玉が入っているだけで1080円とのこと。ぼったくり商品!

これって全くの詐欺商品ですよ。でもこれを考えた商売人は平成の時代というものを正しく捉えたのですね。だからまさに平成の空気といって、空っぽの缶詰を作ったわけです。

製品開発の際は、大いに議論が出たことでしょう。「こんなもの売れないよ」とか「平成と名を付ければきっと買うバカがいるから売れるよ」とか。

道の駅などでは大いに売れているようです。まさに空っぽの平成を象徴している商品だからでしょう。

 

小室圭も空っぽの詐欺師という意味で平成の時代を象徴していただけあって、こんな下らないスキャンダルが延々と続いて、ついに平成時代に結着がつかなかったのでした。平成は軽薄の時代でもあったのです。

 

世界を見ればアメリカもEUの欧州も国家や社会が多くの問題を抱え苦しんでいますが、トランブやブレグジット、欧州では、極右と蔑まれてはいるが現状を正しく「ノン」と叫ぶ勢力が出てきていることが、一つの救いです。といっても人々が立ち上がらなくてはならないほど矛盾が深化していることの証明です。

 

それらに比べれば日本は問題があるとはいえ、まだ微々たるものです。問題が今芽ぶく状態なので、それを解決する勢力が育っていない。それはいいことなのか、よくないことなのか。
だから令和に私は希望が持てないでいるのです。
何とか欧米の状況をキチンとみて、日本人が覚醒してくれることをただ待つしかないのかもしれません。
こんな状況では、平成が終って令和だと巷で騒いでいるようなお祭り気分には全くなれないじゃないですか。

 

小さな希望としては、中野剛志氏や三橋貴明氏その他が先頭に立って進めようとしているMMT(現代貨幣理論)ぐらいなものでしょうか。

今まだMMTがよく分かっていないので、勉強中ですが、経済・財政の見方を画期的に変えてくれるような予感がします。