日馬富士暴行事件から始まり、貴乃花部屋解散そして貴ノ岩暴行事件で引退とこの1年間は目まぐるしかったが、全ては貴ノ岩が蒔いた種であり、それがたわわに実ることなく、むしろ他の樹々を腐らせ倒し、自らの木も朽ちて倒れたということか。

 

 といっても貴ノ岩一人か悪いのではない。タネを培養する器としての貴乃花がいたからこそ腐臭を放つ種が育ってしまった。つまり、貴ノ岩にとっても貴乃花がいなければ日馬富士暴行事件もモンゴル式の解決策が取られることで取りあえず収まったのである。

 

(それは決していいことではないが、モンゴル力士の内輪の問題として考え、そのなかでモンゴル式に解決が図られるなら、なんでもかんでも表に出すことがいいとはいえないのではないか。

米国大統領ウッドロー・ウィルソンの理想主義が必ずしも国際政治にいいことばかりにはならなかったことを考えてみるべきだ。)

 それをまさに理想主義者貴乃花にいいように利用された貴ノ岩は、今考えれば犠牲者ともいえようか。

(第2次大戦に至るポーランドへのヒトラーの要求とイギリスとの関係として類比しうるかもしれない。)

 

貴ノ岩の暴行について、ろくでもない解説しかしない元相撲記者の大隅とか大見とかいう奴らは、いつまでも暴力事件が収まらないのは、相撲協会の八角理事長の責任だと言わんばかりである。

なるほど企業でも社員の不祥事はトップの責任であるが、直接的責任が誰にあるかを指摘しない限り、責任問題はあいまいになるか、八角憎しを表しているにすぎない偏った見方だろう。

 

そもそも貴ノ岩は貴乃花部屋つまり貴乃花の弟子であった。貴乃花は偉そうに言っているが、貴乃花部屋での暴力事件はいくつも起こっていたことを忘れてはならない。

 

昔から貴ノ岩の暴力は有名だった。

14年4月、引退した貴斗志に、貴ノ岩が「お前、あいさつもしないのか」と絡んできたため、「すみません」と謝ると、「お前何様のつもりだ」と平手で3発殴られたとか、逃げ回る力士を笑いながらエアガンで撃つことが何度もあったとのこと。他にも

「貴ノ岩は私(元貴翔馬)には暴力を振るうことはなかったが、他の力士には先輩、後輩関係なしに暴力を振るったり、新弟子時代から先輩力士に対して聞く耳を持たなかったり、いじめていたのはよく知っています」

 さらに「4、5年前、九州場所の宿舎で嵐望は貴神龍(引退)の頭をビールケースで殴り、貴神龍は頭から血を流し、顔の半分を真っ赤に染めた」、「古関の頭をまな板で何度も殴り、まな板が衝撃で6分割ぐらいになった」とスポーツ紙は報じている。どこまでホントかわからないが。

 

これを見る限り、貴ノ岩は札付きの暴力力士だったことがよくわかる。そしてそれは貴乃花部屋での出来事だ。八角理事長の責任より貴乃花の責任をまずは問うべきだろう。

 

だから、こういう問題児貴ノ岩に白鵬や日馬富士が怒って説教したのである。日馬富士のやり過ぎは問題ではあるが、まさに暴行される種は貴ノ岩が蒔いていたのである。

 

今回も気の緩みか昔の癖が出てしまったのだろう。癖というものは研修会で暴力は止めましょうなんていくら言っても治らないものだ。

 

個人的にはこの程度で引退するのは少し大げさすぎると思う。

暴力反対は公のところでは否定なんぞできない代物だが、仕事の性質上肉体がぶつかることで銭をもらっている彼らだから、肉体のぶつかり合いの一種である「殴る」ことが全て否定されることには違和感を覚える。

 

ものには限度というものがある。限度以内ならそれ相応の対応があってしかるべきだ。

法律違反だからといって全て死刑になるわけではない。軽犯罪法違反なら逮捕もされず、説諭で帰されることもあろう。殴ると言う行為も限度を超えれば当然許されない。しかし、その限度は具体的な事例に即して決められるべきだ。

 本番の取り組みで、力士が張り手を打つ、突っ張りをする、それを暴行と捉える奴はいない。

 

だから貴ノ岩の今回の暴行は処分はされるべきだが、引退するまでもない。もっと頑張ってほしかった。

しかし、貴ノ岩本人が引退を決断した。私は当然多くの関係者からの圧力があったと思う。八角理事長からの圧力はないと思うが。

 

結果的に貴ノ岩の蒔いた腐った種は、自ら切り倒すことで終結させた。それはそれで潔かったことと思う。これで、モンゴル社会にも受け入れてもらえるだろう。

 

なんともややこしいことを貴乃花関連の人たちはしてくれることよ。貴ノ岩問題で一番に聞きに行くべきは、やはり貴乃花本人のはずなんだが。