場所前の稀勢の里の顔は明るかった。体調も良かったらしく、インタビューでは優勝を目指す、と答えていた。それは白鵬、鶴竜休場が決まってからのことだった。
私は初日が全てを決めると思っていた。相手は貴景勝。負けると思った。貴景勝は強い。押しておいて、思いっきり引く。そして左右への引きの速さ。ほぼみんなこれに引っかかって貴景勝に負ける。
案の定、稀勢の里も貴景勝に上手(じょうず)にやられた。
これが今場所の全てだった。
「優勝を目指す」という軽口はどこから出たのか。それは先場所思ったより勝ち星が取れた、つまり先場所が正念場だった、崖っぷちだったのが何とかやり過ごしたからだ、これがいけなかった。
心にスキができ、気が緩んでしまった。ほっと一安心してしまった。しかも2横綱の休場。だから、稽古もそこそこ調子がよかったので、思わず調子に乗って「優勝を目指す」なんぞと、言わなくていいことを軽く言ってしまったのだ。これは自信が出てきたというより、慢心の表れ。緊張感が全くないまま初日を迎えたのだった。
むしろ今場所のほうが正念場という心構えが必要だった。
たった一場所まずまず乗り切ったことから、1年間の苦しい期間を全て忘れてしまった。
心の緩みをもたらしたのは、誰のせいでもない。稀勢の里本人の自覚の問題だった。つまりは「自己責任」。
こんな弱い横綱を作ったのは、稀勢の里の責任ではない。相撲協会の責任だ。まだ横綱には早い、という結論さえ出してくれていればこんな不幸な事態にはならなかった。琴奨菊のように楽しく相撲を続けられていたはずだ。
稀勢の里にとって、とても不幸な出来事だった。
しかし、資格もないのに横綱になってしまったことを、運命として稀勢の里は甘受するしかなかった。つまり自分の弱さを自覚して、横綱を続けるにはどうしたらいいかを考えねばならなかった。
しかし、稽古はしない、横綱の自覚はない、1年間の休場期間を無為に過ごした。それで横綱の地位に居続けようとしてもそれは無理というものだ。
二日目の妙義龍に負けた後、取組後に直行した風呂場から叫び声が上がったそうだ。
この叫びには万感の思いがこもっていたことだろう。もう遅い。稀勢の里には厳しさが足りな過ぎる。想像力が足りなすぎる。
今日三日目、北勝富士に負けた。風呂場できょうも叫び声が上がっただろうか。
いや、私が想像するに、全く声も出なかったことと思われる。もう全てが終わった。今場所が終わっただけではない、相撲人生が終わった という思いが沸き起こったことだろう。
私個人的には前にもこのブログに書いたが、横綱はもうこれ以上下がらないんだから、恥を忍んでも今場所15日間取り組みを全うしてもらいたい気持ちがある。
今後12連勝して、12勝3敗ということだって考えられないことではない。
蓋然性は全く低いが、可能性はある。
あるいは、10連敗しても毎日土俵に上がるということでもいい。
観客から罵声を浴びせられ、相撲協会から引退を勧告されても、頑として受け付けない。九州場所を最後までやりぬく。貴乃花の頑固さとは違った意味での頑固さを発揮してもいい。それが稀勢の里の美学ならそうしてもいいのでは。
とは言ってみたものの、そもそも精神力が弱いと前から言われていた稀勢の里、そんなことを夢想するだけアホなことというべきか。
ああ、琴奨菊が羨ましい!!