台風24号の接近を受けてJR東日本が先月30日夜に首都圏の在来線全線で実施した「計画運休」について、マスコミその他に称賛の声は多いものの批判の声は見当たらない。

JR東日本深沢社長の記者会見でも「計画運休により混乱は避けられた」と自画自賛し、陳謝の声もない。単に今後どのように周知していくか検討したいと言うのみだ。

 

 

 公共輸送機関としての責務を果たせなかった責任について謝罪はないのか。おかしいんじゃないのか社長さん。

別に私が直接この計画運休によって多大なる迷惑を被ったわけではない。何しろ年金生活者だから通勤しているわけではない。

 

私が違和感を覚えるのは、この巨大な公共輸送機関の総責任者に、最大限業務を果たすという緊張感が感じられないことだ。

 

大型かつ猛烈台風が接近しているのだから「輸送任務の遂行と安全」のどちらを優先すべきかと言えば、当然「安全」だ。当たり前のことだ。しかし、「安全」といったら何でも許されるのか。安全を隠れ蓑にして、為すべき責務を疎かにしていないか、これが厳しく問われなければならない。

 

JRは公共輸送機関である。業務は人員・貨物を安全に大量且つ安定的に輸送を行うことだ。

安全性と大量性と安定性は鉄道業務遂行に当たって、時として相反する可能性が出てくる。その時は先に述べたように、安全性確保が優先されるが、その際にも大量性と安定性はギリギリまで追求するすることが責務として公共輸送機関に求められなければならない。

 

 このギリギリ性が大事なポイントだ。JRの幹部以下みなサラリーマンだ。サラリーマンの習性は楽をして儲けたい、楽して評価されたい、責任は回避し、他人に押し付けたい。

別にサラリーマンはみなこんなだらしない行動しか取らない、なんて言っているのではない。各人が意識するかしないかは別としてサラリーマンの負の特徴としてよく見られると言いたいだけだ。

そして条件が整えば、そして環境が甘くなれば、その負の特徴がゾロリと出てくる可能性があるのだ。

 

今年の1月大雪が降った。新潟の信越線が雪に埋まり、列車が15時間も立ち往生した。そのことを私はこのブログに記事として書いた。JRの安全という名のもとの無責任さを批判した。

 

 

「…1月のJR信越線の大雪で立ち往生し乗客600人を15時間も閉じ込めた理由として、「車外に出すのは危険、安全を優先」として乗客降ろさなかったと。JR東日本新潟支社の担当者はどこまで真剣に対策を講じたのか聞きたい。

「車外に出すのは危険、安全を優先」なんて理由は後から思いついた理由だろう。責任逃れに作った理由だろう。何しろ屁理屈ばかりで何も対策を打っていない。

全くやる気がなかったJR東日本新潟支社。現代日本の象徴だ。真剣さがない。現場の大変さへの想像力が全くない。みんな他人事。

恐らく真剣な職員も少しはいたことだろう。しかし結果的に何もしなかった。それは「車外に出すのは危険、安全を優先」という理屈を誰かが言ったためにその言葉に呪縛され、何か起きたら責任を取らなくてはならなくなる。ここは何もしないことにしようという結論に至った。

つまり集団浅慮ということ。三人寄れば文殊の知恵の正反対の皆で考えたらバカな結論に至ったということだ。

リスクを取ろうとしないJR東日本新潟支社社員。当然責任を取れるのはトップの支社長だ。このバカ支社長がリスクを取ろうとせずに安易に「車外に出すのは危険、安全を優先」という理屈の中に閉じこもった。リスクを取らないことが如何にリスクであったかこの支社長にわからせないといけない。左遷!

それにしても日本人に怒りはないのだろうか。5時間ぐらい経った時点で乗客ももっと怒って、車掌に詰め寄るなり、自己の行動を起こすなりすべきでなかったか。あまりにもひ弱な羊のような日本人。大人しすぎるのはすこしも美徳ではない

 

JR東日本は安全優先、お客は二の次という企業風土があるらしい。この「安全優先」は、責任逃れのために使われるお札だ。

 

今回の「計画運休」という言葉に「責任逃れ」という臭いがしていないだろうか。

民鉄各社はそれぞれ運休の判断を独自にしている。西武各線は、池袋駅を2224分に出る池袋線保谷行きの電車をもって全線の運転を終えた、という。西武鉄道は儲け主義だから、安全を蔑ろにして遅くまで運転していたのだろうか。

そうではないだろう。輸送機関の責務を忠実に果たしただけだ。余り早く運休すれば、それだけ利用者に迷惑がかかる。しかし、台風が迫っている。そのギリギリのところまで追求して運転の取りやめを決めたのだと思われる。

 

 JR東日本はどうか。お客よりも安全という理屈優先で、この「ギリギリ」まで運転するという輸送機関の使命を早々と放棄した。社長の会見を見れば、苦渋の決断らしきものは微塵もみられない。安易に計画運休をしたように見える。

 

JR東日本の得意芸は「お客様は無視します」だ。

何年か前の大雪予報の時も、予報に引きずられ、朝全く雪が降らなかったが、JR東日本だけは運休していた。雪が止んだからといって、すぐに電車を動かすことはできませんだとさ。つまり、大雪が降るからみんな明日は運休だ。準備などしなくていいよということだった。ひどい話だ。

もう一つ。当時の石原都知事がJR東日本を叱った。東日本大震災のとき、JRは全線運休したが、早々と改札を閉めてしまい、帰宅困難者で駅前は溢れかえった。

混乱を避けるために、駅構内に入れなかったと屁理屈をつけたが、未曾有の災害で利用客が困窮しているのに、非人間的でそれを思いやる気持ちがJR東日本には全くなかった。だから、石原都知事は怒ったのだ。

 

こういう前歴のあるJR東日本。計画運休がみんなから称賛されたなんて、こんなにうれしい、ありがたいことはない。これからは少しでも気象庁が「大変だ」とアナウンスしてくれたら、何も悩まずに計画運休すればいいのだ。ギリギリまでどうするか考えるなんぞ全く悩む必要はなくなる。マスコミも利用者も「計画運休?しようがないよね、安全のためだから」と諦め顔で納得するのである。

 

こんな風潮が出来上がったら、JR東日本は万々歳だ。

昨日の日テレ「ニュースゼロ」で都市防災に詳しいという触れ込みだが、JR東日本の御用学者のようなおバカな廣井悠という東大准教授がこの計画運休についてコメントしていた。

 

「計画運休により、社会が非日常だというふうに認識し、社会全体の危機意識を高めるという効果があると考えられる。空振りを恐れずに、事前に運休を計画的に決めるということは効果が高い。」

 

おいおい、計画運休が非日常にまで高められてしまったぜ。そして計画運休が社会全体の危機意識を高めるんだとよ。

なんなんだよ、この言い草は。運休で会社に行かなかった人や運休直前で乗り遅れて帰宅出来なかったサラリーマンは、「社会全体が危機」なんだという意識が高まるというわけか。うんなわけねえだろう。

 

たかが電気、じゃなかった、たかが大型台風が来るということを何で「社会全体が危機」だとか、「非日常」だと思わなくちゃいけないんだ。

まあ確かに非日常ではあるが、こういうときに非日常なんて言葉を使うかねえ、おかしいんじゃないか、この東大バカ教授さん。

 

要するに、JR東日本が決めたことには文句をいうな、不満を持つな、お上に従え、諦めよ、といっているに等しい。JR東日本社長は泣いて喜ぶぜ。

つまり「社会全体が危機」ということは、「戒厳令」が敷かれたということに等しい。ああそうか、戒厳令の準備行動、意識改革だったのか。恐ろしいねえ。

 

今後この計画運休の試運転が成功したことから、日本では安易な計画運休が頻繁に実施されることだろう。

それは無責任機関の「二乗」ともいえるからだ。

つまり50年に一度とか記録的とか命に関わるとか責任逃れの気象庁の大げさ発表とそれを真に受けたJRの安易な計画運休。

空振りしたら、責任は気象庁に押し付ける。マスコミが批判したら(批判しないようだが)安全を優先したといえば済む。

こんなことでは日本の秩序を形作っている「たが」の崩壊といえるのではないか。

 

私は安全を無視しろと言っているのではない。安全と公共輸送機関の使命と責務をギリギリまで追求してくれと言っているだけだ。その結果の計画運休を否定することなぞしない。

しかし、どうもJR東日本の社長会見を見ているとそういう緊張関係に配意しているとはどうしても思えないのである。