W杯直前までの試合に負け続けた日本が、本場に入ったらドンドン調子を上げている。昨日のセネガル戦は勝ったようなものだった。
手の平返しということで、これまで文句を言ってきた人達は土下座をしようということになった。私もその一人だ。
ガーナ戦に負けた日本代表をセルジオ越後が徹底的にこき下ろしている。セルジオ越後も土下座組だ。
「ただでさえ心配が多い状況の中、心配が何倍にも増えるだけの試合だった。内容もひどい。その状況下で試合のテーマもまったく見えなかった。この試合は23人を絞るためなのか、新しいシステムを試す試合なのか、代表チームとして勝つことに徹する試合だったのか、そのすべてを中途半端にやってしまった。」
「試合後ブーイングもあったようだが、他の国であれば終わる前に観客の大半が帰るような試合。だけど、終わった後のコンサートが見たいから残る。そういう考えの人が多いようでは日本サッカーは強くならない」
「新監督への期待感はこの日の雨と一緒に全部流れたね。23人を選ぶはずが、もっと切らないといけない選手がいたような試合をしてしまった。日本代表には期待をするしかないんだけど、現実は厳しいよ」
「こういった試合では経験のある選手がチームを引っ張らなければいけないのに、結局指示された通りにやることばかり。練習含め、仲良くやっているだけでは、雰囲気も変わらないよ」
こんなひどいことを言っていたんだねえセルジオ越後は。そしてみんなもそう思っていた。ロシアに行く頃の代表選手たちには悲壮感が漂ってとっても暗かった。
さあ、勝てば官軍だが、単に運よく勝ったわけではあるまい。そうなら、コロンビアやセネガルの選手に失礼だ。日本選手の強さについて、まともな解説者が居なかった証明だろう。
セルジオ越後は今後どういう解説をするつもりなのか、そちらの方が興味深々だ。
私はほとんどサッカーを知らないが、素人考えで言うなら、やはり負けているときは日本は弱かったのであり、本番に入り、後がないという追い詰められた緊張感が底力を発揮し、コロンビア戦に勝って、グンと自信がついたのではないか。スポーツにおけるメンタル面の重要性がここにおいて遺憾なく表わされている。
さて、もうすぐ相撲の名古屋場所。サッカーよりは相撲のほうがよく知っているつもりだが、この日本代表の素晴らしい活躍を見ていると、稀勢の里も負けてもいいから土俵にあがるべきだった今さらながら思う。
このブログにも書いた。
「特別扱いが許されるなら、稀勢の里にチャンスを与える特別扱いをしてあげたらどうか。
これからする提案はトンデモ提案でとても許されるものではないが、国会審議ですら馬鹿げたことを毎日やっても許されるのだから、稀勢の里にも許してもいいのではないか。
さて、その提案というのは以下のようだ。
それは、横綱はいくら負け越しても地位が下がらないというルールを最大限活用するのだ。
ふつうは、横綱として相応しくない成績なら、引退するしかない。それを稀勢の里には適用しない、と始めから宣言するのだ。
少し位負けが先行しても休場させない。休場させないどころか1勝14敗でも15戦全敗でも横綱として居られる。そして例えば3場所通じて成績が悪くても横綱の地位は維持できることにするのだ。
目的は、引きこもりからの脱却、怖い土俵に慣れてもらうこと。
負けても負けても許されるとなれば、そのうち力士魂に火が点くことだろう。勝敗を度外視して、なんとか土俵に上がってもらうのだ。土俵勘が戻れば、強い稀勢の里に戻ることが可能となろう。
この提案は普通は許されない。しかし、稀勢の里にチャンスを与えるのだ。
もしこれに成功したなら、稀勢の里も相撲協会もこの事態から横綱への昇格のさせかた等様々な教訓を得ることができるだろう。」
サッカーも本番でグングン調子を上げてきた。実力があるからだ。稀勢の里も一応横綱だ、実力はあるはずだ。ただ、甘やかされて相撲が怖くなってしまっているだけだ。出てきて負けても勘は取り戻せるはずだ。
横審が今場所は何と言うかだが、これまでどおりだったら、稀勢の里は今場所も休場。出場しても3敗すれば引退だ。
そこを8敗しても許してあげるという特別扱いをしてやったらどうか。まだ若いんだから。
稀勢の里もサッカー日本代表の頑張りをよくみて、奮起してほしいね。