上野千鶴子といえば口の悪いフェミニズムおばさんとして有名だが、昔は女栗本慎一郎と呼ばれ一時はまともな時もあった。「セクシィ・ギャルの大研究」や「「私」探しゲーム―欲望私民社会論」などは新鮮でとても面白かった。どこから道を踏み外したのか知らないが、いつの間にか嫌な左翼婆に成り下がっていた。
今回、東京新聞2/11付け「考える広場 この国のかたち 3人の論者に聞く」における上野の発言で、「移民政策は日本では不可能なのでやめた方がいい」と「日本は衰退を受け入れるしかないから平等に貧しくなろう」と発言して左翼どうしで揉めているようだ。
左翼の大御所が困ったことを言ってくれたと移民大好き左翼が怒っているのだ。面白い。もっと揉めてほしい。上野千鶴子も学者だから自分の言論をおいそれと取り下げないだろうから、当分はもめ事は収まらないし、移民問題に一石を投じてくれた上野千鶴子を評価したい。
この件について「世に倦む日日」がブログを分かり易く書いている。
「…上野千鶴子の「移民政策は日本では不可能なのでやめた方がいい」の主張について、移住連という名の外国人移民を支援する団体がクレームをつけ、上野千鶴子に公開質問状を出すという挙に出た。その抗議の内容は、今、せっかく政府(総務省)が多文化共生社会の取り組みを進め、外国人技能実習制度によって実質的な労働開国を進めているのに、上野千鶴子の発言はそれに水を差すもので反動的な暴論だとする批判である。そして、排外主義的な論理に取り込まれ、単一民族神話の言説を助長するようなナショナリズム的な発想だとして糾弾している。」
「この移住連の批判に対して、上野千鶴子は2月16日に自身のブログで反論を上げ、中日新聞に載って注目を浴びた持論を補強する形で詳しく議論を展開している。その中で、それでは、経団連が推進する「移民1千万人時代」については移民連はどう思うのか、その推進に賛成するのか、それが本当にうまく行くのか、移民と日本人全体に福利をもたらす方向なのかと逆に問い返している。
移住連の主張に対して「理想主義」という言葉を与えていて、すなわちリアリズムを欠いた空論だと反批判している。
私は、この上野千鶴子の移民慎重論と同じ観点に立つ。欧州先進諸国で行き詰まった政策を、日本が今から後追いして同じ矛盾に悩もうとするのはナンセンスきわまりない。」
公開質問状への上野千鶴子の反論を引用しよう。
「移住連の方たちや、のりこえネット、国際人権NGO等の方たちが、すでに国内に在住している外国籍の方たちの人権擁護のための活動を担っておられることには、100%の敬意を払っております。
とはいえ、ご批判には基本的な誤読があると感じました。(中略)日本の人口推計によれば2060年の人口推計は8674万人、人口規模1億人を維持しようと思えば1.3千万人の社会増(移民の導入)が必要となります。つまり40年間にわたって毎年およそ30万人、中都市の人口規模にあたる外国人を移民として迎えることを意味します。現在の1億2千万規模を維持したいなら3千万、およそ半世紀後に人口の1-3割が外国人という社会を構想するかどうかが問われています。
出生率を政治的にコントロールすることはできないし、すべきではありませんが、移民は政治的に選択することができます。2000年代に入ってから経団連は「移民1000万人時代」(これまで「外国人」という用語を使い、「移民」と言ってきたことがなかったので、驚きでした)をうたい、政府は家事・介護労働市場への外国人の導入を検討しています。今のところいずれも及び腰ですが、この先、「この国のかたち」をどうするかについて、政策が提示されれば、わたしたち有権者も、それに対して賛否の判断をしなければなりません。
現実には日本にはすでに相当数の外国人労働者が入ってきており、外国人労働力依存の高い業種があること、その外国人労働者が技能実習生制度等のもとで不当な取り扱いを受けていること、外国人の犯罪率は人口比からいうと日本人よりは低いこと…等はデータから承知しております。
ですが、移民先進国で現在同時多発的に起きている「移民排斥」の動きにわたしは危機感を持っておりますし、日本も例外とは思えません。これから先、仮に「大量移民時代」を迎えるとしたら、移民が社会移動から切り離されてサバルタン化することや、それを通じて暴動やテロが発生すること(フランスのように…と書けばよかったんですね、事実ですから)、ネオナチのような排外主義や暴力的な攻撃が増大すること(ドイツのように)、排外主義的な政治的リーダーが影響力を持つようになること(イギリスのように)、また移民家事労働者の差別や虐待が起きること(シンガポールのように)などが、日本で起きないとは思えません。
(なお移民国家であるアメリカとカナダは国の来歴が違うので、比較対象にするのは困難です。)
それどころか移民先進国であるこれらの諸外国が直面している問題を、日本がそれ以上にうまくハンドリングできるとはとうてい思えません。それはすでに移民先進国の経験が教え、日本のこれまでの外国人への取り扱いの過去が教える悲観的な予測からです。
アジアには人口輸出圧を持つ国がいくつもあります。もし非熟練市場を含む大規模な労働開国をしたとしたら、そのことによって得られる利益は当然あるでしょうが、その結果近い将来、起きうることが容易に予見可能でしょう。家事労働者を導入したら、「育メン」論争などふきとんで、機会費用の高い男女は、より稼いで家事をアウトソーシングする選択肢を選ぶでしょう。ケア労働者を導入したら、ケアワーカーの労働条件を改善しようという議論はふきとんで、現状の低賃金に同意して参入してくる外国人労働者への依存が高まるでしょう。
これまでもとっくに外国人依存は進んでいた、というお考えの方もいるでしょう。EPA協定で年間500人の看護・介護労働者が入ってきましたが(もともと労働力不足の解消のためではなく、そのためなら焼け石に水の人数でしたが)、これが年間5千人、5万人の規模なら、どうなるでしょう。外国人家事労働者の導入にあたっても、労働者の人権を守るために「入れるならば、日本人と同じ労働条件で」という声は聞かれますが、だからといって、家事労働者の導入そのものに対する賛否の議論は避けられているように思えます。
「移動の自由」と「労働の自由」を唱える「正義」のために、移民導入には表だって反対しないものの、現行の入管法を維持したまま、小出しに特例をつくっていくような姑息な政府のやりかたに怒りを覚えつつ、結果として沈黙によって追認を与えてしまっている事実を、わたしは苦い思いとともに自覚しています。その点では、移民導入是か非かの議論を避ける多くの人たちも、同じではないでしょうか。
わたしは日本の女性のかかえる問題が、外国人労働者への負担の転嫁を通じて解決されることをよしとしません。日本の女性が手を汚さずにすんでいるのは、たんに利用可能な選択肢がないからだけのことでしょう。これとても、とっくに国外労働力へのアウトソーシングを通じて負担の転嫁は起きているという反論もありうるでしょうが、問題は規模の違いです。「五十歩百歩」という言い方がありますが、「五十歩」と「百歩」は違う、というのが政治的選択というものです。
こう言うことは、もちろん、すでに国内に在住している外国人に出て行けということを意味しませんし、日本の難民受け入れが極端に少ないことは是正すべきだと思います。皆様方の熱意あるご活動にもかかわらず、すでに起きている国内の排外主義の動向やヘイトスピーチの現状を見れば、さらなる大量の移民の導入で、事態は悪化することこそあれ、改善することは望み薄というのがわたしの観測です。
ご指摘のとおり、「社会的不公正や抑圧」は「移民の導入」の結果であって、原因ではありません。また「世界的な排外主義の波と移民増加は並行して生じる」というご指摘もそのとおりです。ですが、このうちの一方だけを手に入れることが難しいとしたら、その両方を避けるという選択肢もあってよいのではないでしょうか。
反対にわたしの方からも、みなさま方に「移民一千万人時代」の推進に賛成されるかどうか、お聞きしたいものです。そしてそれが実現したときの効果を、どのように予測なさるかも。わたしたちが外国の人たちにどうぞ日本に安心して移住してください、あなた方の人権はお守りしますから、と言えるかどうかも。みなさま方の理想主義は貴重なものですが、理想と現実を取り違えることはできません。
わたしは移民の大量導入に消極的ですし、その効果についてかつてよりも悲観的になってきました。悲観的になる根拠が増えてきたからです。
どの社会も移民の導入について一定の条件を課しています。リベラルな移民政策を持つように見えるドイツやカナダも例外ではありません。まったく国境を開放した国民国家はいまのところ、ありません。それは再分配の範囲をどう定義するかという福祉国家の分配政治に関わるからです。そして福祉国家にはつねに潜在的に境界の管理が伴います。人口減少社会で「平等に貧しく」というシナリオは、再分配の強化を示したもので、国内の階層格差の拡大はその条件を掘り崩します。再分配路線に舵を切る、今が最後のチャンスかもしれません。(後略)」
(引用終り)
なかなか移民問題についてまともな考えをしている。憲法問題ではアホなことばかりいっている上野千鶴子にしては、今回は至極まともだ。この方向でわけのわからない「移住連」とやらの団体と大いに議論してほしい。
さて、もう少し、「世に倦む日日」が言っていることを引用する。
「…移民政策は無理があるからやめようという主張が、どうして排外主義のレッテルを貼られて糾弾されなくてはならないのか、私には理解できない。
移民受け入れを始めれば、当然、移民は日本人労働者が嫌がる3K職場に低賃金で就労する動きになり、経団連(新自由主義)の思惑どおりの進行となる。日本の雇用現場における実質賃金を引き下げる方向に作用する。単に人手不足を補うとか埋めるとかのハッピーエンドで済むはずがなく、2000年代に外国人労働者(中国、フィリピン、ブラジル)を製造業の派遣現場に投入して生じた帰結のように、全体と平均の労働条件が悪化するのは火を見るよりも明らかだ。労働者の権利が確実に切り下げられる。
現在のような、企業業績がまずまずで雇用が安定している間はまだいい。が、リーマンショックのような経済危機が襲来し、雇用が厳しい状態に一転したときは、外国人労働者が切られ、日本人労働者が劣悪な地位・待遇で働かなくてはならない羽目になる。さらに、地域社会は学校教育や住民サービスで余計な負担を強いられる事態になり、そのコストを住民が払うことになる。移民の流入は地域コミュニティを変質(混乱・荒廃)させ、昔からの住民にストレスを強いる。多文化共生社会と言うと聞こえがいいが、それは地域住民が自ら望んだものではないのだ。」
「移民政策がもたらした弊害は、上野千鶴子が指摘するとおり、ヨーロッパの先進国で顕著であり、矛盾が積もり積もって一般の住民(労働者)に拒否されるに至った。多文化共生の理想主義だけでは国家も社会もやっていけないことを、昨年EUに反乱を起こした英国が示している。
まさか、移住連も左翼も、英国国民の半数が排外主義の右翼だと罵ることはできないだろう。上野千鶴子が挙げる移民の否定的将来像の観測は、もっぱら、右翼によって民族差別の暴言を吐かれたり、嫌がらせを受けたり、外国人移民の側が蒙るヘイトの人権侵害にフォーカスした問題系となっている。
だが、トラブルに巻き込まれたり、仕事と収入の劣悪化を押しつけられるのは、それを半ば覚悟して日本に入って来る移民だけでなく、この国に元から暮らして働いている日本人の弱者であり、だからこそ移民政策は問題が大きいのだという本筋の正論を、われわれはもっと声を大にして言わなくてはいけないだろう。
移民奨励、労働の移動の自由化という政策は、基本的に市場原理の新自由主義の政策であり、資本が要求する政策であり、労働者が要求する政策ではない。移民を美化するのは、資本の論理であり、その宣伝工作に労働者の側が乗っかってはいけない。政府が進める多文化共生主義は、実際には、資本に奉仕する政策とイデオロギーである。
最近の左翼は、しばき隊を筆頭に、経団連よりも貪欲に移民を受け入れる立場になった。昔の社会党や共産党がそんな政策を担ぐなど考えられないことだが、今の左翼は外国人移民が大好きで、日本の人口に占める移民の比率が高まれば高まるほど、人種が複雑に混ざれば混ざるほど、日本が黄金の市民社会へと発展を遂げ、夢のリベラル王国が完成して幸福がもたらされるかの如くである。
いつから、そんな教義と信仰が左翼の世界で広まったのだろう。浦島太郎の気分だ。そうであるなら、昔の社会党や共産党も移民政策の推進を綱領と公約に掲げて欲しかった。
しばき隊や最近の左翼の論議を聞くと、とにかく、異なる民族の血が混じることが社会形成の普遍的方向だという強固な信念がある。アメリカ合衆国のような「人種の坩堝」の国家と社会こそが理想型で、日本はどうしようもなく愚蒙なガラパゴスの牢獄で、悪魔のイデオロギーたる単一民族主義が支配する暗黒の泥沼で、早くアメリカのような国に脱皮変身しなくてはいけないという動機と情熱で身を焦がしている。
しかし、この言説は、少し前、ビッグバンだの、日本版ビルゲイツだの、勝ち組負け組だの言っていた、竹中平蔵や大田弘子らの口調とそっくり同じではないか。私は、従来から、左の脱構築主義と右の新自由主義とは、経済政策が同じだということを口を酸っぱくして言ってきた。(後略)」(引用終り)
移民受け入れは左翼も財界も賛成している意味をじっくり考えないといけない。トランプ憎しで移民を天使のように扱うマスコミは狂っている。
1年半前にドイツその他の空港では難民・移民様歓迎のプラカードで出迎えた。そのためドイツには100万の大量移民が流れ込んで、今大混乱しているが、マスコミは伝えようとしない。そこにトランプだ。益々難民・移民は素晴らしいという倒錯現象が起きて、日本の財界と自民党も民進党も大喜びだ。移民問題は後戻りができない。目先のことで判断を誤れば大いなる禍根を残す。今欧米はそのことで国が疲弊し混乱していることを日本人はよく見ないといけない。
トランプをバカにしている暇はないのだ。上野千鶴子さんはいいところで警鐘を鳴らしてくれた。
移民で甘い汁を吸おうとする財界と国家と社会を移民で崩壊させようと画策する左翼はいま困っていることだろう。上野千鶴子が余計な事を言ってくれたと。