太宰治の浦島太郎、昨日の続きです。
乙姫様のくれた玉手箱の秘密。小学校ではどのように教えているのでしょうね。
この謎解きは結構難しい。解が定まらないところに面白さがあるようで、太宰さんが一つの答えを与えてくれました。
「乙姫様のお情けで、浦島をいつまでも青年にして置くつもりだったのならば、そんな危険な「あけてはならぬ」品物を、わざわざ浦島に持たせてよこす必要はない。
…どうもわからぬ。私はそれについて永い間、思案した。そうしてこのごろに到って、ようやく少しわかってきたような気がして来たのである。
つまり、私たちは、浦島の三百歳が、浦島にとって不幸であったという先入観に依って誤らされて来たのである。絵本にも、浦島は三百歳になって、それから「実に、悲惨な身の上になったものさ。気の毒だ」などというような事は書かれていない。
タチマチ シラガノ オジイサン
それでおしまいである。気の毒だ、馬鹿だ、などというのは、私たち俗人の勝手な盲断にすぎない。三百歳になったのは、浦島にとって、決して不幸ではなかったのだ。
…浦島は、立ち昇る煙それ自体で救われているのである。
…曰く、
年月は、人間の救いである。
忘却は、人間の救いである。
竜宮の高貴なもてなしも、この素晴らしいお土産によって、まさに最高潮に達した感がある。
思い出は、遠くへだたるほど美しいというではないか。しかも、その三百年の招来さえ、浦島自身の気分にゆだねた。
…淋しくなかったら、浦島は、貝殻(玉手箱のこと)をあけて見るような事はしないだろう。どう仕様も無く、この貝殻一つに救いを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の忘却である。これ以上の説明はよそう。日本のお伽噺には、このような深い慈悲がある。
浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたという。」
(太宰治「お伽草紙 浦島さん」(新潮文庫)より)
これで玉手箱の謎が解けた、とは全く思わないけど、なるほどなという感じはする。
年月、忘却に「深い慈悲」つまり救いがあるのか。諦念とも関係することだ。
となると日本のお伽噺は、子どもの読みものというより歳を取ってから再度読み直すことに意義がある、深い意味を味わうことができるようになっているのだね。さすがは太宰!
でも、私の玉手箱は今のところは開けたくないなぁ。